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第十話 信念


 数日後。


「先生、僕は補習なんて受けませんったら!」

「バカを言うな! このままだと君は本当に進級できないぞ!」


 僕は赤点を取ったために補習を受けるように言われていたが、既にこの学校への執着が無くなりつつあったために、退学も辞さないつもりでいた。だから補習も受けずにさっさと帰ろうとしたところを、廊下で御神酒先生に捕まったのだ。


「どうして僕を放っておいてくれないんですか!? 僕はもうこの学校にいてもしょうがないんですよ!」

「それが君の本心ならそれでいい! だが私には、今の君がただ自分の思い通りにならないから逃げだそうとしているようにしか見えない! 学校を辞めてどうするつもりなんだ!?」


 御神酒先生のもっともな指摘に、僕はこう返したのを覚えている。


「そんなの……! また他の学校でも探しますよ。それかどこかで働きます。それでいいでしょ?」


 要するに、何も決まっていなかった。僕は先のことなど何も考えずに、ただ目の前の困難を避けたいだけだった。


「……仲里くん。教師である私が、生徒がそんな無謀な選択をするのを黙って見逃すと思うのか? 担当でなくとも、君は私の大事な生徒の一人だ。だから私は、君にも幸せになって欲しいんだ」

「なら、この学校を辞めるのが僕の幸せですよ。それなら文句ないですよね?」


「……そうか。君がそういうことを言うのなら、私にも考えがある」


 そう言うと御神酒先生は携帯電話を取り出し、どこかに電話をかけ始めた。


「今から、君の就職先を斡旋する」

「え?」

「私の知り合いで、解体現場の作業員をしている人間がいてね。君が何の予定も立てずに学校を辞めるのであれば、私が君の就職先を用意してやる」

「ちょ、ちょっと……」


 僕にはこの時の御神酒先生がとても嘘を言っているようには見えなかった。事実、電話からは呼び出し音が聞こえていた。

 これはまずい。解体現場と言えば人手不足で、しかもかなりの力仕事になるだろう。ただの逃げで学校を辞める選択をしようとしていた僕には、その仕事に就くだけの度胸が無かった。


「ま、待ってください!」


 観念した僕は、御神酒先生を制止する。


「……わかりました。補習を受けます」

「うん、それが君の選択だね。良かった良かった」


 御神酒先生は携帯電話を切って、快活な笑顔で僕を迎えた。


 それからというもの、御神酒先生は何かと僕に関わってきた。


「仲里くん、最近はちゃんと授業に出ているようだね」

「……誰かさんに、過酷な仕事に就かされそうになりましたからね」

「ははは、手厳しいな。だけど君が授業に出てくれるのは嬉しいよ」


 だけど僕には気になることがあった。そう、御神酒先生は何故僕にここまで拘るのかだ。


「あの、御神酒先生。どうして僕を放っておかなかったんですか?」

「ん? どうしてと言うと?」

「担任の先生や僕のクラスの担当である先生は、僕に授業に出ろとは口を酸っぱくして言ってましたけど、先生は僕のクラスは担当していないじゃないですか。それなのに何で……」

「そうだね……」


 御神酒先生は一旦顔を俯かせたが、意を決したように僕の顔を見た。


「私にはね、目標があるんだ。関わった生徒全員を幸せにするという目標が」

「幸せ?」

「そうだ。教師という職業についた以上、自分が関わった生徒は絶対に幸せにする。それが私の信念だ」


 御神酒先生の信念。言っていることは立派だ。でも、現実にそんなことが可能なのだろうか? それに、その信念は本心からのものなのだろうか?


「仲里くん、私は人は誰でも幸せになる権利があると思っているんだ。幸せになってはいけない人間なんていない。そして教師は生徒が幸せになるように導く。それが正しいと信じているんだ」

「……」


 先生の信念が実を結ぶのかどうかはわからない。だけど僕はこの時思った。御神酒先生は本当に僕を救おうとしてくれているのだと。

 いいのだろうか。こうやって差し伸べられている手を払いのけていいのだろうか。


「先生……」

「ん?」

「僕も、幸せになりたいです。そのためには、どうすればいいですか?」

「それは君自身で探すことだよ。でも、私は出来る限り君のサポートはするつもりさ」


 そしてその言葉通り、御神酒先生は勉強をサボっていた僕のために問題集を作ってくれたり、色々な職業に関する資料を集めてくれて、僕の進路について一緒に考えてくれたりもしてくれた。


 そしてそういった真摯な対応をしてくれる御神酒先生を見ているうちに、僕はある決意をした。


「御神酒先生……」

「なんだい?」

「決めました。僕は、○○大学の教育学部を志望します」

「……そうか。でも、教師の現実は教えた以上に過酷なものだと思う。それでも進むんだね」

「はい!」

「うん、いい返事だ」


 僕の返事にいつも通り快活に笑う御神酒先生を見て、嬉しくなる自分を感じた時、僕は悟った。

 そうだ、僕はずっと御神酒先生のような教師に出会いたかったのだと。


 そうして僕は過酷な受験戦争を勝ち抜き、晴れて第一志望の○○大学に合格した。


「おめでとう仲里くん!」

「ありがとうございます!」


 僕の大学合格を自分のことのように喜んでくれる御神酒先生の笑顔は今でも覚えている。

 だが、この時は僕も、御神酒先生もまだ気づいていなかったのだ。理想だけでは人は救えないこと。そして、誰かの幸福の裏には誰かの不幸があること。言葉としてはそれらを理解していたつもりでも、明確な実感を得ていなかったのだ。

 

 だから思いもしなかった。それが僕が見た御神酒先生の最後の笑顔になるということを。


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