003
御伽話鞘月という学校内で有名な生徒を僕は勿論知っていた。それは僕と同じ二年であることが理由でもあるし、生徒会役員の一員というのも理由の一つなのだが、しかしそれよりもまず第一に、クラスが同じだからと言うのが明確な理由だ。
生徒会と部活動の掛け持ち部活生。
吉衣高校初の空手部女子主将。
空手部の部員でもあり、今年の生徒会――通称『吉高の三大美女』の一人でもある。どうしてその名称がついたかは肩書きを見てくれればわかると思うが――その中でも御伽話は副会長という役割を任されており、部活生や普通生や教師に多くの支持を得ている彼女なのだ。
吉高の三大美女。
理数系の小さなシンデレラ、詩辺槍野。
文化系の毒舌茨姫、朝暮呂里華。
体育系の黒い白雪姫、御伽話鞘月。
生徒会役員にそんな肩書きが名づけられたのは、一番の生徒の中で人気を得ている御伽話の影響かららしい。
身長が一五〇センチにも満たない詩辺よりも、毒舌と暴言を躊躇なく活用する朝暮よりも、スポーツ界の天才美女とも言える御伽話が一番生徒会の中で好評だからと言うことで、そんな肩書きになった――らしい。らしいというのは誰が考えたのか、謎であるからだ。
あるところでは武道揃いの生徒会、なんて言われているが間違いではない。むしろ正解だ。
三人ともそれぞれ合気道部、茶道部、空手部に所属しているのだから、そういわれても問題ないのだ。しかし三人ともが部活生なのに生徒会役員を務めているのだから、結構大変な女子高生達だ。
そういえば。
御伽話についてこんなエピソードがあった。
それは今の時期とは全く関係がなく、まだ桜が舞い散る四月の――生徒会選挙の時だった。
僕達の学校の生徒はそれほど生徒会に大きな期待を寄せているわけではないのだが、しかし生徒会選挙の時には、必ずと言っていいほど熱戦が起きる。
会長、副会長、書記兼会計。
どれを含めても必ず一役に四名以上が立候補する。そして立会演説会当日まで朝の校門前には沢山の人達が群がって、一人一人の立候補者を応援する。別に生徒会役員になったからと言って、それほど高校生活や受験には響かないだろうなんて思ったりしていた僕だったが、しかしその後に推薦入試の時に役立つと誰かからきいたのをよく覚えている。
御伽話のことを知ったのは、放課後に行われた立会演説会の時だった。
その頃、クラス替えをしたての僕は一年生の時と同じクラスだった人としか話さなく、だから御伽話のことなんてほとんど知らなかった。ただ、珍しい名前だとは思っていたが、しかし名前と顔がはっきりと合致できるほどの日が経っていなかったせいか、生徒会の演説の時までわからなかった。
だからなのか。その時の、演説会時の御伽話が最初に放った一言は僕を含め、誰もかれもが驚かされた。
御伽話の応援演説者のスピーチが終わって、一段落していたところに、彼女――御伽話は一言目からこう言ったのだ。
「私が生徒会役員になったら、私のことは副会長でもなければ御伽話さんでもなく、御伽話と呼び捨てで呼んでください」
その時、数秒の沈黙が体育館を包んだ。最初は物凄く白けた感が漂っていたのだが、しかしその後に続く彼女の演説は見事なものだった。
その時僕は、その人を印象付けるための何らかの工作なんだろうなあと御伽話を悪く見ていたわけだった。今となっては面目ない限りだ。彼女の演説が終わった途端になり響いた拍手といい、御伽話を早速呼び捨てで呼ぶ誰かの声といい、先生方のあの頷き加減は今でも鮮明に思い出せるほどだった。
後日の結果報告が放送で流れた時には度肝を抜かされたような気分だった。なんせ彼女に入った票といえば、全校生徒六百票中の五五二票という、吉衣高校過去最多の票数が入っていたのだから。
その後、生徒会のファンクラブみたいなものができたり、ホームページみたいなのができたりしたらしく、今もそのクラブは利用者を増やし活用しているのだという。噂によれば、三年生までも利用している人も多いらしい。
そんな御伽話は今現在、空手部二年女子代表を務めている。
話では空手部の二年の中で一番強いと――最強と言われているらしく、生徒会と部活動を両立して頑張ってるらしい。
吉衣高校初女子主将とは言っても、それはもう少し先の話で、まだ代表状態である。がしかし、御伽話が主将になるというのはどうやら決定状態らしい。
そんな全国を駆ける女子高生が。
自動販売機前の椅子に座っていた。
「あ、琴星君」
「…………」
……別に彼女が自動販売機に座っていて、どうというわけではなかった。しかしここまで御伽話について書いてしまうと、ついどこかの女優のように描写してしまう僕である。
気になっている人物に関して描写する時はいつもそうだ。
悪い癖と言えば、悪い癖。
実際、僕の方から気づいたのだから、僕から挨拶をかわすのが礼儀なはずだ。そっちの方が断然正しい。でもその前に御伽話が先手を打った。
否、本当のところ――言い訳をしてしまえば、僕も自動販売機近くの椅子で誰かが座っているのはわかっていたのだ。わかっていながら、知らないふりをしていた。
まさか今回の合宿を共にする空手部であるところの、その二年生代表に会うとは思いもしなかったのが、声をかけなかった理由だ。いや声をかけられなかった、か。
つまりはびっくりしてしまった。
僕は少しばかり遅れて応じる。
「あ、ああ……御伽話、久しぶりだな」
いつの日か彼女のことをさん付けで呼んだことあり、その時に逆に本人にこっぴどく叱られたことで、今では呼び捨てで呼んでいる。どういう叱り方をしたのかは――まあ、ここでは、生徒会の名にかけて、あえて描写しないでおこう。
「うん。久しぶり、琴星君」
御伽話はいつものような笑顔だった。
いつものような――と言ってしまうと変にとらわれてしまうので、この場合は『クラス内でのいつもの笑顔』とちゃんと素直に訂正しておこう。御伽話は三年生男子からも高評価――好印象なので、恋愛関係においては敏感なのだ。
と言うわけで、世間話の始まり。
いやいや偶然会ったので、まずそれが常識だろう。しかも僕と御伽話はあんまり話したことがないので、世間話が会話の内容としていいところだろう。
「どうしたんだ。こんなところで」
「琴星君こそ。こんな時間にいるなんて珍しいじゃない」
そうすぐに返されたが、御伽話は言った。
「まあ私はちょっと空手道場で明日の準備をしてた、ってところかな。明日から琴星君達と合同合宿だから」
「ああ。そっか」
そういえば僕達もそろそろ寮に帰って準備をしなくちゃな。あんまり図書室にいて雑談ばかりしていると、担当の教員に使用禁止されてしまう。図書室の担当教員、結構厳しいからなあ。
御伽話はまた続ける。
「……で? 琴星君はこんな時間に何してるの。もしかして今の今まで陸上部の部室で明日の準備とか?」
「いやいや。僕達は今まで勉強をしていたんだ。明日から夏休み最後の合宿だからな」
「僕達? 勉強? ……もしかして九竺君と?」
「あー。いや鬼谷と」
「鬼谷君か。頑張ってるんだね。私も合宿終わったら勉強頑張らないと」
「そうだな」
一旦会話を切って、僕は自動販売機の前に立つ。鬼谷に頼まれたジュースを探し当てた後、僕の分のジュースも買う。合わせて二本。そしてジュースを開けて一口。
「隣、良かったら座りなよ。立ったまんまじゃ行儀悪いし、話にくいでしょ」
「あー、ああ……じゃあ」
少しばかり、数十センチ距離を置いて御伽話の隣に座る。そうするのは、誰かにこの場面を見られれば、疑われること間違いなしだからだ。
御伽話の好意に是非とも甘えたいというのは、男子の最高の望みなのだが、しかし一年の秋頃にとある一年男子が御伽話と歩いているだけで三年生から影で何らかの行為があったという噂があったので、僕はあえて彼女と距離を置く。
「はあ……」
溜息。
三年生になれば、こんな苦労もしなくていいのになあ。
少なくとも人間関係が悪くだけで、決して誰かに何かされることはないんだろうけど。
御伽話のことを狙っている運動部の三年生も多少はいるらしいし。
御伽話、容姿端麗だからなあ。
成績上位で善良者。
おしとやかな口調で、誰からも愛されていて、信頼されている生徒。そして大和撫子。
欠けたところがない、女子高生。
こんな女子、嫌いになる人の方がいないもんなあ。
「……はあ」
「ん? どうしたの琴星君。さっきから溜息ばっかだよ?」
「いやあ、別に。ちょっと考え事しててさ」
「考え事? それって部活の事とか? だったら相談にのるけど。顔から察するに……深刻な悩みなんでしょ?」
「…………」
お前は心理学者か!
という鬼谷に向けての突っ込みもできない。
だっていい奴だもんな御伽話。
何でこんな誰にでも優しくできるんだよ。
「い、いやあ。別に大したことじゃないんだ。気にするな」
……どうして僕がこんなに動揺しなくてはならないんだ。いや、御伽話が凄い力を持っているせいか、ついそんな風になってしまう。仕方がないのかもしれない。
どうにかならないかなあ、僕の女子に対するこういう態度。
あの例の幼馴染だったら何でも話せるんだけど。
「んー……だったら追及しないけど」
御伽話はそう言って、何かにきづいたように話を変える。
「あれ、そういえば鬼谷君は? 一緒じゃないの?」
「あ、ああ……あいつは一人で勉強してるんだ。社会の海外についての宿題をやってるんだけど、意外にあいつやればできるんだぜ」
「社会かあ。私も社会は苦手なんだよね。槍野とかに教えてもらえればいいんだけど、あの子今大会で助っ人頼まれて忙しいみたいだから」
「大会? 助っ人、って?」
「うん。ちょっとした数学の大会に」
御伽話は続ける。
「あの子、ちっちゃい割に頭は凄くいいのよ。その上運動もできるし。全く、理数系なのか体育会系なのか」
「へー……あいつがね」
でも僕が思うに多分あいつは理数系だな。数学は大学生並みの力を持ってるからなあ。
三年でやる問題とかすらすら解けちゃうみたいだし。そういう本を読んだのがきっかけだったか。
全く、何してんだあの女子高生。
本当に現代っ子か。
「うん。私も何度か手伝ってもらったことがあるんだけどね。情報収集と数学は特に凄いのよ。一回教えてもらえば?」
「あ、ああ。……そうさせてもらうよ」
そういえば御伽話は詩辺と僕の関係を知らないんだっけか。いや僕達があんまり口外してないだけか。
鬼谷あたりは知っているみたいだが、それは詩辺の知り合いの誰かからききつけたんだろう。
僕としては、あんまり関係を知られたくないんだけどなあ。
一応、三大美女の一人だし。変な噂とかが流れたら大変だし。狙ってる三年生がいるかもしれないし。
「そういえば御伽話」
「何?」
僕は改めてさっきの質問をしてみた。
「お前、こんなところで何してるんだ? さっき準備しているとか言ってたけど、まさか空手道場に一人で準備してたわけじゃないだろ?」
危険だろ。一人で空手道場にいるなんて。ちょっと疑問に思ってきいてみたのだ。
「んー」
そう言って御伽話は話す。
「正直に言えば、ちょっと空手道場に忘れ物を取りにきたんだ。で、ちょっと疲れちゃったから、ここで息抜きって感じ」
ああ、そういうことか。じゃあ別にそこまで危険じゃなかったか。つい考え過ぎてしまった。納得した僕は言う。
「あんまり夜更かしすんなよ。僕のきいた話じゃ、夜更かしは美貌の敵だってきいたからな」
「生憎、私は美貌なんてものを全く持ち合わせてませーん」
まあでも忠告ありがとう。
冗談交じりにそう言って、御伽話は笑顔を僕に見せた。まるで女神の微笑みのような、そんな笑顔だった。さすが白雪姫と呼ばれるだけの御伽話。
……うーん。
御伽話は自分が可愛いとか、偉いとかそんなことを思ってないのか。思ったことはないのか。生徒会役員とか空手部の代表とかの役職を担っているのに、そういうことを誰かに言われたこともなければ、興味を持ったことがないのか。
あー。それがなー。
でもそういうのが、逆に僕達男子を引き寄せるんだよなあ。
自分が可愛いと思う人ほど、男子は寄せつかない例はあるんだけど。けど僕達の学校にはそっちの思想を持つ人はいないからなあ。
もしかしたら、御伽話はあえてそう装っているのかもしれないけど。
…………迷宮だな。
「ところで琴星君」
御伽話は急に話を切り替える。急な方向転換だった。御伽話は静かに言う。
「最近部活とかで変わったことない?」
「変わったこと?」
急に話が切り替わったって、僕は少しばかり困って戸惑ってしまった。
今まで本当に御伽話と雑談みたいな話をしていたので、僕は数秒時間を置いて、記憶を廻らせる。頭を使って、思い出す。
変わったこと、か。
過去を振り返ってみる。
………………うーん。
一昨日まで全国大会で県外に行ってて、男女で良い成績とって、その後帰ってきて……。
変わったところがあったとすれば、大会の時の三年生の調子が物凄く良かったくらいだろうか。いや最後の大会だから当たり前だったかもしれないけど。
……ああ、違うな。御伽話はそういうことをききたいわけ――じゃないのか。
近況報告とか、そういう話だよな。最近何か身の回りで変化があったこととか、だよな。
それじゃあ、多分ないな。
僕の周りに変わり者は少数いるけど。
僕は思ったことをそのまま言う。
「……別に? 変わったことがあるとすれば、鬼谷が勉強熱心になったくらいだな」
冗談混じりにそう言ってみた。いや鬼谷が勉強しているのは本当の話だけど、でも御伽話に何も変化はないということは伝わったか。
御伽話はここで笑うと僕は思った。少しでも笑ってくれるかと思った。
そう思っていた僕だったが、その後の御伽話は真剣な眼差しで僕を見ていた。
「本当に、それだけ?」
そう返してきたのだった。
「……それだけって?」
その意味を最初の時はよくわからなかったが、しかし御伽話が僕に対してそんなことを言ってきた。
御伽話が急に深く考え込み始めた。御伽話が僕のきき返しに対して、何も答えないので、僕は頭をフルに回転させた。
御伽話に言われた通り――半強制的にという状態みたいな感じで、僕は言ってみる。
「……あ、ああ。あるとすれば三年生から二年生の引き継ぎ式が合宿の最後にある、ってことかな。去年は九月の始めにやってたけど、どうせならって猿壁監督がいってた……んだけど?」
「………………ふーん」
御伽話は背もたれに深く座り込む。
何か意味を含んだような――怒ったような、そんな態度だった。
どうやらお求めの情報ではなかったらしい。
わけもわからず、僕はきく。
「何だよ。なんかあったのか?」
「いや、別に何かあったわけじゃないんだけど……ちょっとね」
御伽話が何か言いたくなさそうな口調だったが、気になった僕はきいてみた。
「ん。なんかあやしいな。……ひょっとして、僕達が大会でいない間なんかあったのか?」
「……いや」
そう言いながら、御伽話は理由を話した。
「別に大したことじゃないの。ただ大会の後、琴星君達がなんか気分というか、機嫌が悪そうだったからきいてみただけ。男子女子で良い成績とったはずなのにどうしたのかなのかあ、って」
「ああ」
そういうこと。
さすが学校内の情報通。
生徒会の役員になれば、そんな最新の情報もすぐに耳に入るのか。別にそんな重要な――大事で大事になるような話じゃないのか。まあ、そうだよな。
僕は起こったことをありのままに話した。
「男子の時、ちょっととある先輩がミスっちゃってさ。もうちょっとで全国制覇だったのに……さ。それで皆先輩に同情してたって話」
正直に答えた。
先輩方、一生懸命そのミスをした先輩を慰めてたんだけど――涙を堪えてたけど、バスの時声を出して泣いてたなあ。三年生、皆同情して泣いてたから、二年や一年ももらい泣きしてまった。という話。
繰り返すようだが、三年生はこの合宿が終われば引退だ。
人それぞれ――先輩それぞれ思うところがあって、名残り惜しいところがあるはずだが、しかし三年生が一団となって戦うような大会はもうないので、本当に引退だ。
何とも苦い終わり方だ。
僕達が来年――三年生になった時は、全国制覇をとりたい。三年生の敵をとるために。
御伽話は僕の話をきいて、静かに言った。
「引退か。その三年生も今回の合宿で名残りを消せるといいね」
「ああ、僕もそう思ってる」
「でも、私達二年生も来年で引退かあ。高校生活の一年半はもう終わったのか。早いようで、何だか短かったなあ」
「何だよ。後一年すれば高校生の青春のできる三年生になれるのに、随分と後ろ向きじゃないか」
生徒会役員としては――御伽話にしては珍しい一面だった。人を前向きにさせるのが上手らしいと評判で、そして人気な御伽話なのだが、しかし今回はちょっとばかし変である。
……夜だからだろうか。
いやいや鬼谷みたいにそんなはずはない。そんな馬鹿みたいなテンションに、なるはずがないだろう。
いや、そうしたら僕もテンションがおかしいかもしれないけど。鬼谷みたいにはなってないにしても、この時間になると妙にテンションがおかしくなる。
「引退しても九月に入ると受験シーズンになるから。その前にイベントはいろいろあるだろうけど、やっぱり勉強は大事だし。一回しか人生はないんだから、しっかり進路は決めとかないと。ゲームみたいにリセットや時は戻せないんだからね」
「時、ね」
進路か。
急にそんなことを言われてもなんて思ったが、しかし改めて考えてみると高校二年生――あと一年半後というもう目前に迫っているんだった。
実際僕はどうなのだろう。
大学進学か?
それとも就職?
はたまたいっそのこと海外進出?
いや最後のはないだろう。半分冗談交じりで考えたけど、やっぱり現実的に大学に進学か。専門的に学びたいって奴はないから、四年制の大学か。
…………うーん。
まだ一年先の話だと思っていたけど、逆に言えばもう一年先までに迫ってきたんだ。
いやこれから合宿なのに進路の話を急にするのは、部活を一生懸命頑張る部活生に対して、結局は後回しにするしかないんだけどな。
御伽話はそれでも、そんな場面でもしっかり考えている。
自分を持っている。自分で考えなければならないというプレッシャーでもあるのだろうか。僕達部活生も後々になればちゃんと考える――ぶつかる壁なのに、御伽話は既に高校二年生の時点からしっかり壁に挑んでいる。
凄い女子高生だ。
だから周りの人から好かれるのかもしれない。いろいろな事を先に考えてるから、だからいろいろな人に好かれるのかもしれない。
完璧主義な女子高生だ。
そう思いながら将来のために、僕は御伽話の進路をきいてみる。
「御伽話は、進路とかちゃんと考えてるのか? やっぱり、空手を続けるのか?」
そうきいてみたが、しかし御伽話の返答は僕の今までの予想からはるかに的を外していた。御伽話の返答は全く違うものだった。
「うーん、どうなんだろう」
と御伽話は考えながら言った。
「私の場合、家柄が家柄だから、もしかしたら進学しないでそのまま家業するかも」
「家業?」
初めてきいた話だった。
びっくりするほどの新情報だった。
初耳だった。まさか御伽話が自営業をやっているなんて、始めてきいた話だった。
てっきり大学進学かと思っていたのに。高校二年生の時からいろいろ考えていて、それでさっきの勉強の話とかしていたと思ったのに。急な展開だった。
「お前の家、家業とかやってるのか?」
「うん。一応華道をね。私も一度華道を小学校の頃にやってたんだけど……駄目だったんだ。やっぱり私は家で花を生けているよりも、体動かした方が好きみたいだったから。だから空手を始めたんだ」
「…………」
全然そうは見えないけど。
むしろ華道の方がばっちり合ってるって感じだ。僕はあんまり見たことないけど、ひょっとして空手道着を着ている時は性格が変わるのか? 多分、着物着ている方が絶対に性に合ってると思う。
とか。そんなことを思っていたのだが。
実際、最終的に思ったことは。
何だか妙に裏切られた気分だった。
「だからお母さんのお父さん――母方の祖父がやってた空手の方に進んじゃった。小学三年生から初めて、ずっとおじいちゃんに形を見てもらって今に至る、ってわけ」
「……へー」
ついでで何だが、僕は空手の形というものを知らない。いや形もそうだが組み手と呼ばれるものも知らなかった。簡単にいってしまえば、空手という競技自体の大まかな部分しか知らなかった。
ただボクシングの武道バージョンとか、そんなボクサーとか空手経験者の方々に失礼なことを思っていた。
てっきり鬼谷達のような剣道部の形みたいに、統一された剣道形で審査されるのかと思っていたが、そうではないらしい。どうやら空手の形にもいろいろあれば、流派もいろいろあるらしかった。
空手は剣道よりも奥が深いのかもしれない。
まあ鬼谷の話しかきいてないけど、きっと剣道も同じぐらい深いのだろうけど――ってそんな話はどうでもいいか。
「それじゃあ。私はこの辺で」
と。
急に御伽話が立ち上がった。急なことで、つい僕もつられるように立ち上がってしまった。
「もう行くのか?」
「もう行くのか、じゃないでしょ。琴星君、ジュースを買いにきただけじゃなかったの?」
「あ。……忘れてた」
随分と話していた。
改めて確認してみれば、二本のジュースが夏のせいかぬるくなっていた。鬼谷から貰ったお金、無駄にしちゃった感があった。
しまった。
やっちゃった!
「しょうがない」
と、御伽話は溜息を吐きながらも、自動販売機の前に立って、財布を出していた。
「まあ引き留めた私も悪かったから、そのお詫びとして――はいこれとこれ」
御伽話は僕が先ほど僕が買ったジュース二本買い、僕に渡してきた。
「え、あ、ああ、ん?」
「勉強頑張りなさいよ。それから鬼谷君にもよろしくね。そして明日からの合宿、一緒に頑張ろうね」
彼女が軽くウィンクをしてきた。慣れていないようなウィンクだったが、しかしその笑顔から放たれるそれは、間違いなく魅力の一つだった。
しかし僕は――
「お、おう」
と、半反射的にそう言ってしまった。後にもっとちゃんとした返事をすればよかったと後悔するのだが、しかしそれは夏の終わった数ヵ月後の話である。
「じゃあまた明日。琴星君と話せてよかった。また機会があれば話そうね」
最後にはまたそう言って――言い残して御伽話は女子寮の方へと去って行った。長い髪を束ねた後姿が見えなくなると、僕はすぐに大きな溜息を吐く。
大溜息。
別に御伽話との会話に対して、何か溜息を吐くことを感じていたわけではなかったが、しかしなんというか、僕は御伽話に対して変な気を遣ってしまった感があった。
何というかその魅力のせい、と言うか。
無礼があったら承知しないよ、とか誰かから言われたような気がしてしまったというか。
複雑な気持ちだった。
そう言えば結局、どうして空手部が陸上部や剣道部と一緒に合同合宿をするのかを僕はききそびれた。
どうして合宿をするようになったのか。
まあそれは合宿中に二年生の誰かにきけばわかるだろう――なんて今は思っていた。
しかしその理由は後に、御伽話本人からきくことになるなんて。この時僕は思いもしなかった。
思えるはずがなかった、と言った方が正しいか。
とりあえず僕は四本のジュースを丁寧に持って、ゆっくりと歩き始めた。落とさないように気をつけながら僕は図書館へ向かった。
鬼谷はちゃんとやっているんだろうなとか、そんなことは全く考えていなかった。
ただ御伽話のことを、僕は考えていた。
まだ四ヵ月ぐらいしか同じクラスになってないけど、彼女はとてもいい奴だったってことを、僕は今日学んだ。
てっきり御伽話はもっと裏では悪女のような感じだと思っていたけど、あの表情を見る限り全然そういうのはなかった。
琴星君と話せてよかった、なんて言うほどなのだ。
僕もいつの間にか。
御伽話の魅力に魅かれていた。
「お、薫。お帰りー。随分と遅かったなあ――って、うわあ、何だそれ! 自動販売機で当たったらもう一本、とかでもやってたのか!?」
鬼谷がペンを止めて、僕の方を見る。僕がいない間でも社会をやっていたらしく、見れば鬼谷の近くには数本の本が散乱していた。随分と進んでいたようだ。
「早速一本。いっただきまーす」
「お礼ぐらい言え」
よほど待ち望んでいたのか、僕の言葉を遮って鬼谷はジュースを手に取る。開けて飲むと思いきや、開けて飲まないまま僕にいう。
「薫薫、見てくれ。この素晴らしい社会の出来を! こんなに勉強したのは紀元前以上よりも前だぜ!」
「じゃあ、お前はずっと生きてるのかよ」
「それぐらい勉強したってことよ。すげーだろ俺。やばいだろ俺。スーパーやばいだろ俺」
「わかったから、そのハイテンションさは明日にまわしてくれ……」
少しばかり眠い。急に睡魔が襲ってきたようだった。
別にそこまで眠いというわけでは無いけれど、でも帰ってきた途端、急に睡魔とは。
まるで図ったかのように、仕組まれたかのようにきたものだ。疲れてるんだろうか。
「でもでも、薫の力を借りずに今日はやったんだぜ。凄いだ――」
「今日は?」
鬼谷の言葉に思わず割り込んだ。
今日は?
今日はって、言ったか?
つまりいつもは僕の宿題の解答を――いや誰かの解答を見て書いていたということか?
眠気ありつつも僕は鬼谷に詰め寄る。
「あ、いや。これはその……言葉の綾とか、噛んだだけといいますか……そ、そそそう! 俺は今噛んだのさ! 本当は『今日、流行った』って言いたかったんだ!」
「…………」
全く。
溜息。
眠いせいか逆に怒ろうとしてしまったが、しかし今回は大目に見てやろう。感謝しろよ鬼谷。
「え? 薫。怒らないのか? いつもは暴言とか毒舌とかを使って俺を攻めてくるのに、今日はしてくれないのか? 毎日の習慣なのに、今日はしてくれないのか?」
「お前はマゾヒストか」
しかも僕にそんなキャラ設定はない。
勘違いを招くから止めろ、この中二。
今日は少し眠いから、短気になってしまっただけだ。
「ふっ……マゾヒストで何が悪い」
「だから急に自分のキャラを変えようとするなよ!」
テンション復帰。
はい、いただきました夜のボケ。
まあ、何と言うか。
鬼谷と話すと本当に時間が――日を本当に越してしまいそうなので、ラストスパートまでちゃんとやるとしよう。
というわけで。
鬼谷の勉強が終わりにさしかかり、僕も明日の準備をするために寮に帰るために片付けをしていたころ。
僕はあることに気づいた。
「……そう言えば結局、ほとんど勉強しなかったな」
「ああ、どっかの誰かさんのせいで」
「ああ。どっかの鬼のせいで……」
「あー。あの話? ……忘れた。最近、ものもらい激しくて」
「ものもらいじゃねえ」
「あ? ああ、間違えた貰い物だった」
「ベタな間違い方するなよ! そういうことじゃねーんだよ!」
「さっきから短気だな薫は。どうしてそんなに器が小さい男なんだ。これ以上怒鳴ると、今度から器の小さい『うつ男君』と呼ばせてもらうぞ」
「何そのうつにかかってる人みたいなニックネーム!?」
うつ男君言うな!
それで全ての元凶はお前にある!
そんでもってものもらいでも貰い物でもなくて、物忘れだろ!
お前のボケに突っ込みをするのに、器の小さいも大きいもあるか!
別の意味でうつ男君になりそうだわ!
「うつ男君、呼ばれてみたいな、世界から」
「世界から!? 七十億人からマゾと見られたいのか!?」
「第一号は薫」
「いくら友達でももうカバーできねえ!」
「か、カバー? ぎゃ、逆だろ? ……き、厳しくしてくれよな」
「もうお前嫌いだよ! 大嫌いだ! 早く寝ちまえ、そして今日あったことは全て忘れろ!」
とか。
鬼谷を倒し(物理的にすっ飛ばしてやった。深い意味はない)、鬼谷も片付けが終わったと言ったので、今日はここら辺で雑談とも言える会話は終わり、僕達は寮に帰った。
鬼谷も精神的に限界らしく、溜息を吐いて寝ると言いだした。社会で頭を使うよりも、ボケで力を使ってしまったようだ。いや、僕としてはこれから始まる合宿に使ってほしいんだけど。
そんなわけで、合宿の前日の出来事はこれで終わりだ。
早い話、僕もそろそろ寝るとしよう。
さあ、明日から合宿だ。




