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021


「あ、姉さん。ど、どういうことだ。下手な冗談は、やめろよ。こんなの、こんなの姉さんらしくないぜ」


 毬虫がきた後。毬虫が狐影の行動を止めてから既に数十秒後が経過していた時だった。僕が狐影に殺されかけた直前、毬虫は僕の目の前に現れ――狐影の首をつかんでいた。


 いやつかんでいたという表現は、この場合おかしいのかもしれない。彼女の小さい手は狐影の首をつかんでいたのではなく、単純に触っているようにも見えたのだから。


 その様子に対して狐影は、動揺を隠せずに体を後ろに向けることなく、顔だけを彼女に向けていた。狐影の言葉に毬虫は言う。 


「ウチらしくないって何? ミコト君」


「な。な、何とぼけてんだよ。あ、姉さんらしくねーぜ。こんなこと、姉さんがするはずねーだろ。俺様達、互いにここまで、い、一緒に戦ってきた姉弟じゃねーか。な、なのにこれは……どういう冗談だ?」


「どういう冗談? ……ウチには何を言ってるのかわからないね。それともこう言った方が良いかな? 『どうしたのコカゲー。元気ないじゃーん』」


 いーいー、と。


 毬虫はわざとらしくそう言った。


 まるで狐影に自分の嘘の姿を――偽りを見せるかのように。彼女はそう付け加えた。いや違う。


 今考えたいのは、そういうことじゃない。


 僕の頭が混乱しそうにだった。


 一体どういうことだ。どうして毬虫がこんな場所にいる――いや、そうじゃない。そういうことでもない。僕が気になっていたのは、毬虫の方じゃない。


 問題はもう一人の少女の方だった。


 もう一人の制服姿の女子中学生の方だった。


「い、出々雲……お前」


 最初に出てきた言葉がそれだった。傷の痛みのせいか、声を出すのがやっとだった。その質問に出々雲は言う。


 静かに、言った。


「……琴星先輩。とりあえず今は安静にしていてください。応急処置をしますから」


 そう言っただけで、彼女はグラウンドの上に僕を寝かせた。背中が少し痛いが、今は腕や足の方がもっと痛い。出々雲は、足から止血の処置を始めた。持ってきていたであろうタオルで、僕の足の傷をおさえた。


「ぐっ……」


「ごめん、なさい。こうすることしかできないけど、我慢してください。……ごめんなさい」


 そう言って彼女は傷口をおさえ続ける。制服が血で汚れようとお構いなしに、彼女は傷をおさえ続けた。


 僕はその様子を見ながら言う。


「出々雲、どうして、お、お前がここに」


「事情は……後で話します。今、話しても琴星先輩が混乱する、だけですから。だから、少しだけ時間をください」


「……どうして」


「……私のせいで、先輩がこんなことになるなんて思わなかったから。だから、ごめんなさい。……ごめんなさい」


 出々雲は泣いていた。何度も何度も謝りながら泣いていた。いや、もしかすればずっと泣いていたのかもしれない。ここにくる前から、彼女は泣いていたのかもしれない。


 僕がそれを見ていなかっただけで――出々雲は。


「出々雲……」


 彼女の言葉の意味を僕は深い意味では理解できなかった。どうして彼女がここにいるのかだとか、そこまではきけなかった。


しかし、彼女が僕を心配していたのは本当だった。御伽話や詩辺や九竺や、そして鬼谷だけが僕を心配していると思って――僕は彼らに心配させたくなかったのに。


それ以外にも――その他の、出々雲も僕のことを心配していた。


当たり前か。こんな場所で僕は彼女と会うなんて思わなかったし、会うとすればお別れの時ぐらいだと思っていたのだから。


だから、思わぬ盲点だった。


いや。


本当は、出々雲は、出々雲小枝は――


「ま、マジかよ。なあ、姉さん。嘘だって言ってくれよ、冗談だって言ってくれよ。な、なあ! そ、そんなはず……嘘だろ、おい。…………だ、騙したな。騙しやがったな。姉さん、俺様をはめやがったな!」


「………………」


 大声がきこえて、僕は咄嗟に僕は横を見た。毬虫が狐影に対して攻撃態勢のようなものを、とっている場所を僕は見た。


 狐影は――叫んでいた。


 僕の目の前で――毬虫に脅されている状態で叫んでいた。勿論、狐影が叫んでいる相手は、狐影の真後ろにいた毬虫に、だった


 もう後一歩か二歩踏み出せば、狐影の持っている鎌で僕を殺せる距離で、狐影は後ろにいる毬虫に向かって叫んでいた。


 狐影は吐き捨てるように言った。


「変な術使ったのは――俺様の体を止めたのは、全部そういうことだったんだな! 俺様と今まで一緒にいたのは、俺様の様子をずっと監視するためだったんだな!」


「正解だよ、ミコト君」


 毬虫はそのままの体勢で静かに言った。


「そう。ウチは君とは真逆の神――君を捕まえるためにきた神様さ。鬼でもなければ、君の味方でも何でもない」


 毬虫は続ける。


「ウチの任務を『狐影を捕まえること』。つまりは君を捕まえることが、今回の任務だったんだよ」


「ぶざけんな!」


 狐影は興奮状態のまま続ける。


「俺様を騙した上に、俺様を捕まえるなんて、そりゃあ契約に反してんじゃねえのか! 契約違反じゃねえのか! それこそ鬼の裁きを受けるべきじゃねえのか、姉さん! いや、もうお前は姉さんじゃねえ! 俺様の敵だ!」


「そうだね。君の言うことにも一理ある。魔界条例第二条『神は神を騙してはいけない』。……でも、そんな道徳や倫理や法律が、君みたいな神にも通用するのかな?」


「くっ……畜生!」


 狐影はそれにそれ以上何も言わなかった。毬虫も何も言わず、手の平だけを狐影に向けたままだった。


僕は静かにそれを見ていた。横になったまま、その光景を見ていた。


まだまだ右腕と足が痛い。どうやら腕の方よりも足を深くきったらしい。幸いなことに出々雲のおかげで出血はほとんどなかったが、しかしこれで安心していいのだろうかと内心で思っていた。


 安心して休んでいていいのだろうか。


狐影は今、本当に毬虫の手の内にいるのだろうか。また何か企んではいないだろうか。そんなことを思っていた。


 そういえば毬虫はここにきてから、僕に対して一切の言葉もかけていなかった。何も言わず、ただ狐影が捕まっている様子を僕に見せていた。


 まるで捕まえたと、安心しろと言わんばかりに。そんな風にも思えた。


「せ、先輩……大丈夫、ですか」


「………………ああ」


 いや。


 それ以上の問題が僕の身に起きているんだったな。


 ついいろいろなことが起きていたせいで、簡単な方から順番に謎を解いていた。しかし最難関とも言える問題に、僕はすぐにたどりついてしまった。


 僕の横で泣いている――出々雲小枝と言う女子中学生の問題だった。


 出々雲小枝。


 御伽話の後輩であり、空手部の練習に参加しようと思ってここまできた唯一の中学生であり、そして狐影によって影を奪われた――一人。


 そんな彼女が、どうして僕のそばにいる?


 いや違う。


 どうして彼女がこんな場所にいる?


 出々雲は今まで御伽話と一緒に、部屋にいたんじゃなかったのか。御伽話の電話の話からすれば、熱が下がってぐっすり眠っていたんじゃないのか。


 昨日の朝に出々雲に会った時、彼女は苦しそうだったはずなのに。なのにどうしてこんなに彼女は正常な状態なんだ。


 一体、何が起きているんだ。


「出々雲、お前って、まさか」


 まさかお前って――


「安静にしてください琴星先輩」


 続きを言おうとした直前に、出々雲に遮られる。


「事情は後で話しますから――この場が終わったら全部話しますから。今は安静にしてください。興奮すると、出血がひどくなりますから。…………お願いします」


「………………」


 そうだな。


 とりあえず今は、彼女がどうしてここにいるかより、僕の体の方が優先か。最優先か。


 足の方の出血は止まりつつあった。それを見て、出々雲は足の傷から心臓に近い方の太ももを止血したタオルで軽く結んだ。僕は起き上がって地面に座ろうとすると、出々雲が手をひいてくれた。


 大丈夫。足の方もそれほどきつくない。


 痛みはあったが、さっきよりも出血はひどくなかった。止血し切れたわけでもないから一時的なものだけかもしれないが、安静にしていれば大丈夫だろう。


「俺様は、これからどうなるんだ?」


 そんな時に声がきこえた。狐影だった。勿論、体が硬直したままだった。一寸とも動かず、声は毬虫の方に発せられていた。


「五分もすれば援軍がくる。そうすれば君はもう地獄行き確定。君は永遠に地獄をさまよっていく神様になる。魔界初の神様にね」


「……ふざけんな」


「別にふざけてなんかないよ。きかれたから答えただけ。……ウチはもう、君の家族でも何でもないからね。君とはもう、赤の他人だよ。血縁関係も何も関係ない」


「そうだったな………………でも、そうか。後五分で俺様の敵がくんのか。こりゃあ、俺様もぐずぐずしてられねーな」


「……なんのこと?」


 狐影が言った言葉に対して毬虫と僕は反応した。出々雲は何を言っているのかわからなかったみたいだが、僕はすぐに出々雲を守る態勢をとる。


 また、何をするつもりだ。


「勿論、俺様らしい考えさ。死神らしく、そして悪役らしい考えさ。今回は失敗したけどな。次に活かすために、今ここでくたばるわけにはいかねーんだよ。……んじゃ」


 がぎっん、と。


 何かが外れた音がした。いや何かが壊れたような音と言った方がいい。しかしその表現も間違ってる。


 何かが切れたような音がした――が、何が切れたのかが僕にはわからなかった。そんな音だけが僕の耳に響いただけだった。


 それと同時に。


 それと同時に狐影は、袖から大きな鎌を――


「かー君! 逃げてえ!」


「……!」


 出々雲の言葉に反応して、僕はすぐにどこかへ逃げようとした。が、体が思うように動かない――足か。


足のせいで僕の体は動かなかった。深い傷といい今までの肉体的疲労といい、僕の足が疲れ切っていた。


 くっ。駄目か。


 これ以上は、もう駄目か。


僕の体は――既に限界か。いや戦う前から既ボロボロだったか。動ける力さえない。喋る力もない。


 これで僕の陸上人生や剣道人生や学校生活も――終わりか。


 畜生。動きたくても体が動いてくれない。足さえ動いてくれない。まるで僕自身が凍ってしまったようだ。体が言うことをきいてくれない。


駄目か。


 僕ももうここまでか。これで終わりか。


思えばいろいろなことをやっとけばよかったと後悔したなあ。もっと練習しておけばよかったとか、もっと楽しい人生おくっておけばよかったとか、もっと多くの人と話せばよかったとか、いろいろやっておけばよかったなあ。


御伽話や九竺に全部話しておけばよかった。そうすれば何か別の解決策が見つかるかもしれなかったなあ。そうしておけば僕が死なずにできたかもしれないのに。


これじゃあ犬死だ。


 狐影の鎌が――大鎌が僕に向かってくる。狐影が力を込めて振りかぶっている。僕が腕で守っても、腕自体が斬れそうなほどの力を込めて狐影は振りかぶってる。いや、ここで僕が防いだとしても、貫いて体を裂かれるか。


「裂かれろ!」


 狐影の声がきこえる。……ああ。


 この気持ちを経験したのは二度目か。僕が死ぬんだと思ったのは、人生で二度目か。


 中学三年生の夏。


 そして高校二年生の夏。


 もう――僕は。


 僕は終わりか。



「諦めちゃだめ、剣道男児!」



「!」


 大きな音がして、その直後に大きな声がきこえた。金属が重なる音が、二回僕の耳に響いた。


 その声の主は、毬虫だった。


 彼女の左腕が真っ赤に染まりながらも、彼女は右手に持っていた短剣で狐影の大鎌を止めていた。僕の目の前で止めていた。狐影の攻撃を必死で止めていた。


「い、毬虫」


 いつの間にか左腕には見覚えのない傷が――更にそこからは血がとめどなくあふれ出していた。


 彼女は言った。


「君は生きなきゃいけない! 君にはその義務や、背負わなきゃいけない『責任』がある! それが――それが君の犯した罪だから! 人間が死んでも償えない罪だから! だから君は生きていかなきゃいけない!」


 毬虫は――続けた。


「今死んでどうするんだ! ここで終わってどうするんだ! 君は、君は生き続けることを任されたんだろ! 任されて、願われたんだろ! だったら生きなきゃいけないだろ! 今死んでどうするんだ!」


「………………」


 そうだ。


 僕は。僕自身は今まで何を考えていた。


 生きることを辞めようとしていた。


生きる道を外れようとしていた。


死ぬことを受け入れようとしていた。


 昔の約束を、過去の約束を破ろうとしていた。


 最愛の友人との約束を破ろうとしていた。


 やってはいけないことを、思ってはいけないことを普通にやろうと――受け入れようとしていた。


 何をしているんだろう。


 僕は今、何をしていたんだろう。何もせず、どうしてここに座っていたんだろう。死ぬ気で――死ぬのを恐れる気でやれば、足なんか痛くても動かせたはずなのに。


 ……畜生!


 また思ってはいけないことを、考えてはいけないことを。


 僕はなんて最低な人間なんだ!


 毬虫に言ってくれなかったら、毬虫がいてくれなかったら、自分で自分を取り返せていなかっただろう。


 過去に殺し合った奴がいなかったら、僕の思いを知っている奴がいなかったら、きっと僕は――


「てめえ、ふざけやがって。いい加減にしやがれ」


 狐影は僕達から一歩下がって言った。毬虫に言っていた。遂に本性を表して、狐影は言った。


「いい加減にしろよ! そいつらは俺様の獲物だ! 取るのも操るのも俺様の勝手だ! 大体、俺様達は――死神は人間を不幸にするのが役目だろ! だから人間に悪いことをしてきた! 仕事を真っ当してきた! なのに、なのに姉さんはどうして人間をかばう!? かばって一体どうするんだ! 姉さんが人間をかばう意味なんてないはずだろう!?」


「そうだね……狐影。狐影の意見にも一理ある。でも、でもね狐影」


 


「でも、ウチはもう死神じゃない」



「……くっ」


 毬虫は僕に目もくれず、ただ狐影に言った。


「君にはもう帰る場所なんてない。あるのは行く場所だけ。今まで沢山の神様に迷惑をかけてきた分――そして関係のない人間を巻き込んだ分、君は償わなきゃいけない」


 毬虫は続けた。


「ここにいる人間達が君に何をした。何もしてなんかないだろ? なのに君は人間に危害を加えた。剣道男児に至っては問題外さ。……それこそ君がこの世界で犯した罪さ。はっきり言って重罪だよ。もしかすれば、地獄流しじゃ済まなくなるね」


「なん、だと。嘘だろおい。冗談だろ姉さん」


 狐影は動揺していた風にも見えたが、毬虫は続けた。


「嘘じゃない。そして冗談でもない。本当の話さ。君は魔界から永久追放さ。今度は脱獄なんてさせないように、神様にさらけ出しながら生きてもらおう。それが君にとってどれほどの苦痛か、ウチは知らないけどね」


「………………畜生!」


 狐影は袖からもう一本鎌を取り出して――両手に鎌を持って、交互に、何度も何度も何度も毬虫に向かって殴りつけた。


「畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生、ちくしょう! 俺様の願いが叶うと思ったのに! 願いが叶うと思ったのに! こんなところで終わっちまうのかよ! 死神らしいこともできやしねーで終わっちまうのかよ! そんなのたまるかよ!」


 狐影は涙声で毬虫に何度も攻撃をする。毬虫は僕の目の前でその鎌を短剣で交わし続けた。全ての攻撃を交わせなかったが、しかし斬れたのは彼女の腕や足だった。胸や頭に当たることはなかった。


「い、毬虫!」


「……安心して剣道男児。大丈夫、ウチの傷はそれほど深くない。痛くない。だから安心して。……安静にしてて」


「………………」


 僕はそれ以上何も言うことはなかった。言えなかった。ここで毬虫に対して何かを言っても、通じないと思ったからだ。


 ありがとうとも言えず。


 頑張れとも言えず。


 僕はただ、二人の攻防が終わるまで待った。


出々雲も僕と同じようなことを思っていたのだろう。何も言うことなく、ただ二人の戦いを見ていた。


 攻防は数十秒続いた。長かったような気がした。何度も攻撃を繰り返している内に、先に止めたのは狐影だった。二本の大鎌を落として、彼は膝をついた。


 息を吸ったり吐いたりしている。それとは真逆に毬虫は何もなかったかのような顔で狐影を見ていた。


 まるで疲れていないかのようだった。いや疲れていないのだろう。防御に専念している彼女は、ほとんど動きという動きをしなかった。


 傷を負いながらも、僕達を一本の剣で守っていた。


「…………狐影」


 僕はつい彼の名前を呼んでしまった。彼に殺されかけた――傷つけられたにも関わらず、僕はつい彼の名前を呼んでしまった。疲れている――疲れ果てている彼に対して、僕はつい名前を呼んでしまった。――どうしてだ。


 どうして僕はこんなにも悲しいんだ。どうしてこんなに狐影が悪者じゃなく見えるんだろうか。


 ……同情、しているのか。


 僕は彼に同情しているのか。


 そんな――そんなはず。


「ねえ、ミコト」


 毬虫は傷ついた腕をおさえながら言った。白い着物はところどころが破け、そこからは出血していた。その一か所をおさえながら彼女は言った。


「一緒に魔界に帰らない? 今なら『自首』ってことにもできる。それぐらいのことしかできないけれど、でも罪は少し軽くなると思う。……地獄流しを免れるのは、難しいかもしれないけど。でもそれぐらいのことは、ウチの義務として――姉として、させてほしい」


「…………」


 狐影は黙ったままだった。毬虫は続ける。


「これからどうなるかはウチにはわからない。多分、誰にもわからないと思う。もしかしたらウチも狐影みたいに、罪を負っちゃうかもしれない」


「姉さんが?」


「……うん。ウチも君を捕まえるために、いろいろとここで悪さというか、嘘偽りを人間にしてきちゃったからね。でも――それぐらいのことなら、ウチは覚悟してる」


「…………」


「だからお願いミコト。こんなことはもう止めよ? これ以上罪を重ねたって仕方がないよ。……ウチはそんな狐影の姿、見たくない」


「あね、さん……」


 毬虫はそれ以上何も言うことはなかった。ただ狐影の答えを待つだけだった。


僕もそして出々雲も何も言うことなく、ただ黙っていた。


 何秒間の沈黙が過ぎた。グラウンドに静けさが残る。僕は痛みを忘れて、二人の様子をうかがう。


 きっと狐影は悩んでいるのだろう。


 毬虫と一緒に魔界へ帰るか否か。


 ここの影の蒐集を諦めるべきかどうか。


 それを今、彼は凄く悩んでいる。


 彼は更生しようとしているのだ。


 これからどう生きていくべきなのか、彼は時間をかけて必死に悩んでいるのだ。


 狐影の考えが決まるまで僕達は静かに待った。待ち続けた。いつまでも明けないような夜のグラウンドで、僕達は彼自身の答えを待った。


 そして。


 そして狐影は言った。



「わかったよ姉さん。一緒に帰るよ――とでも言うと思ったか。バーカ!」



「……! 剣道男児!」


 毬虫をすり抜けて、大きな鎌が僕に向かってとんできた。狐影が投げた一本の大鎌が僕に向かってとんできた。縦投げに、向かってくる。


 まずい!


「てめえのせいで全部台なしなんだよ! だから影だけでも貰うぜ!」


「くっ!」


 想定外の出来事だった。てっきり毬虫と狐影が和解したんじゃないかと思った。そう思っていた。


 しかしそんな期待は外れた。大外れだ。


 毬虫も予想外だったのだろう。僕を呼ぶのに少し遅れた。僕も気づくのが遅れた。


 まさかこんな時にくるなんて――いや。


これぐらいなら交わせる。僕の足が言う通りに動いてくれれば――死ぬつもりで動けと命じれば、動くはずだ。僕の体はそれほど、疲れてないはずだ。


 僕はすぐにその鎌を避けようと足を動かした――足よ動けと願った、が。


「キキキキキッ! 交わせるわけねーだろ! 俺様の手は二本だぜ!」


 もう一本の別の鎌が僕に向かってとんでくる――まずい!


「かー君、避けて!」


 不意にそんな声がきこえた――そうだ。


 そうだ。後ろには出々雲がいたんだった。出々雲小枝が僕の後ろにはいたんだった。


 助けてもらった出々雲がいたんだった。


僕が交わしたとしても、出々雲に当たる可能性がある。彼女に当たらない保障なんてどこにもない……畜生!


 何でもっと早く気づかなかった! 何でもっと早く行動に出なかった。


 僕は反射で出々雲を守る態勢をとった。


「かー君!」


 後ろからそんな声がきこえる。が、そんな言葉は気にしない――きこえないふりをした。きこえるのは大鎌が空を切る音だけだ。


「……ごめん、詩辺」


 僕は少しだけ立って、出々雲を思いっきり伏せさせた。彼女の体が小柄なおかげで、僕の体で十分に防げる。


 これなら、彼女の体を防げる。


 二本の大鎌がくる。が、僕はそれを見ないことにした。彼女を守ることだけに専念した。出々雲を守り抜くことにした。


「いや……かー君」


 そんな声もきこえた。が、今の僕には何もきこえない。


 誰かを守れるなら、それでいいい。体が動けないなら、言うことをきいてくれないなら、誰かを助けて守り抜くまでだ。


 守って、助け続けるまでだ。


「ありがとう。詩辺」


 僕は出々雲に少しだけ呟いた――その瞬間だった。


 狐影の大鎌が僕の体を突きぬけた。


 はずだった。


「………………え?」


 ぎん、ぎん、と。


 急にそんな音が僕の近くで響いた。何かがはじかれた音が僕の耳に響いた。


 勿論、僕は何もしてない――いやできなかった。僕は出々雲を守るのに精一杯だった。だから何が起きたのかわからなかった。


 狐影の大鎌はどうなったんだ。


 僕は斬られたのか。


 いやまさか――出々雲が斬られたのか?


 そう思って僕は目を向けた。狐影は毬虫がいるグラウンドに目を向けた。


 そこには。


僕のすぐ近くには。


 毬虫と僕達の間には、刀を持った二人の少年がそこに立っていた。同じ背格好をし、同じ服を着た――別の世界からきたような、西洋風でもなければ東洋風でもない、そんな服を着ていた。


 白い服をきた二人の少年が、立っていた。


「やっときたみたいだね」


 と。


 毬虫は静かにそう言った。


 何が、起こった。


「狐影。いや、毬虫ミコトだな」


 左側にいた人が声を出した。声からして男性だった。


その男は続けた。


「魔界条例第710条の違反及び、七柱連続殺神容疑、そして人間ルレレス界侵入によりお前を地獄流し永久追放に処する!」


 



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