012
「すみませんでした」
御伽話が剣道場で謝ってから数時間経って、僕は鬼谷と共に剣道部の活動をしていた時だった。
剣道部は合宿の練習でありながらも、いつも通りの練習内容を行っていた。素振りから始まり、防具を着けてからは一気にヒートアップする。それが吉衣高校剣道部のいつも通りの練習内容だった。
僕も今日は一人の剣士として練習に参加する。本当なら今の時間の剣道部は、あの空手部と一緒に合同練習するはずだったのだが、思わぬアクシデントにより、今日は剣道部の個別練習になったのだ。
あれから。
御伽話の存在が明らかになった時、空手道部員や教員を含め多くの生徒が驚いていた。空手部員や僕達二年や三年は勿論のこと、あまり関わりのない一年の部員でさえ、当たり前のように驚いていた。
御伽話は今までのことを全部話した――はずがなかった。僕と御伽話は剣道場に入る前に、やっぱり出々雲のことは言えないと思い、急遽でっち上げのシナリオを、あれから二人で考えたのだ。
本当に即興で考えた僕達だったが、その嘘は部員や教員のほとんどが「信じられない……」と言うほど信じ込んでいた。
シナリオ概要を簡単に説明すれば『親戚が急に入院してしまったので、そのお見舞いに行っていた』というシナリオだ。それだけでは多分嘘だとばれてしまいそうだったので「本当は皆さんに伝えるつもりでしたが、病院の中でしたので」と御伽話がアドリブで入れてくれたおかげで、何とか信じ込ませることができた。
御伽話も空手部に戻り、空手部はまた部活動を再開した。ほとんどの生徒が御伽話のことを心配していたらしく、泣き出す生徒もいたようだが、一時間後には部活が始まったらしい。
今日は剣道部と空手部との合同合宿になるはずだった。しかし御伽話が帰ってきたということで、その祝いというか、安全が確認されたと言うことで、空手部は通常の練習をするということだった。剣道部や陸上部もこれに合わせ、今日は各自で練習をすることになったと言うわけなのだ。
しかし実際、御伽話に関しては彼女自身が練習に参加するのは午後からだそうだ。話によると一週間近くの経緯を教員から事情聴取されるらしく、御伽話は職員室の方に連れていかれた。
それは僕にとって予想もしていなかったことだが、御伽話の嫌そうな顔や、驚いた顔一つせずついて行った。もしかしたらそのことを承知でいたかもしれない。僕は御伽話に声もかけることもできないまま、練習が始まってしまった。
今日は陸上部の顧問である猿壁監督の許可を得て、剣道部の方の練習に参加させてもらった。別に今回に限って、というわけではない。元々は剣道部に所属したかった僕は、陸上部に入部した後も陸上部がオフの日や練習が午後からだった時等、時間があれば剣道部に訪れていたのだ。
それをどこかで見た――知った監督は、剣道部の顧問である一之宮監督に頼んで、剣道部にも出入りを許可してもらった。
これほど嬉しいことはなかった。ただし、剣道部に入るのは週二回だけ。これは両監督――ではなく僕が決めたことだ。出入り許可とはいえ元々僕は陸上部員なのだから、週三回以上は厳禁と僕自身で決めたのだ。
どちらの部活も深く入り込むために。
僕は剣道と陸上を往来しているのだ。
やっぱり両方の部活動を楽しみたい。
「薫。お疲れ」
鬼谷はスポーツドリンク両手に持って寄ってきながらそう言ったのは、午前中の練習が終わった時だった。
相変わらずやりきった感を見せる顔だった。まだまだ午後の練習があると言うのに、何事にも一生懸命な鬼谷は、僕から見ればいつも通りの顔だった。
そして気のきいた奴だ。僕はドリンクを受け取る。
「サンキュウ」
「いやいや」
周りを見渡せば、他の剣道部員も僕同様に疲れているようだった。今日はいつもと比べて練習が厳しかったと言うわけではない。今日は異常に気温が高いのだ。予報によると日中は三十度前後になるらしい。
一応窓を全開にし、更に備え付けられている八つの扇風機を回しているが、これでやっと普通の状態よりも少し暑いという感じだ。
本当に今日は暑い。きっと今日はここらの地域で最高気温を出すだろう。そんなことを思っていると、鬼谷は暑いこととは別の話題を持ち出した。
「いやー。今日は朝から大変だったなー。薫はどっか行っちまうし、そう思ってミーティングやってたら薫が鞘月副会長を連れてくるんだもんなー」
どうやら今日の朝のことらしい――当然か。逆にその話が出てこなかったら恐ろしいことだ。
周りもその話で持ち上がっていた。どうやら多くの部員が御伽話のことを気にしていたようだ。僕もさっき後輩の女子に御伽話のことについてきかれた。
「ぷはー」
鬼谷はスポーツドリンクを一気に飲み干した。まるで一日の終わりのご褒美を満喫しているかのようだった。そして鬼谷は言う。
「そう言えば俺は薫には言ってなかったけど、御伽話のこと知ってたのか?」
「……へ?」
しまった。何も考えてなかったと思った。御伽話のことでつい頭が一杯だった。かといって鬼谷に対して黙っているのも怪しまれるだろう。
僕は頭に浮かんだ単語を口から出任せに言った――言うしかなかった。
「ああ……まあな。事情は昨日詩辺からきいてたんだ。御伽話がいなくなって、空手部とか大変だったらしいな」
「大変ぐらいじゃねーよ。今日のミーティングじゃあ、今日一日使って捜索しようって案が出たほどなんだぜ。監督達が御伽話のことを皆に話したところに薫が御伽話連れきて……全く何が何だかわからなかったぜ」
「……あの後御伽話にばったり会ったんだよ。そしたら大きな荷物抱えてたから手伝ってやってたんだ。いろいろ片付けをしている内に一時間ぐらい経っちゃって。それでどうせならって、僕も一緒にきたんだ」
「……そうだったのか」
そう言って鬼谷は大きな息を吐いた。安心したから出たのだろう。
実際これは全部嘘な話だが、しかし鬼谷はどうやら信じてくれたようだ。後は拡散されるのを待つだけと言った感じだろうか。
鬼谷はそういう点で役に立つ。口の軽い高校生なのは少しいただけないが、今日のこのことはひとまず情報が拡散されるのを待とう。
御伽話や出々雲のために、少し鬼谷には辛抱にしてほしい――いやそれ以上に出々雲はもっと辛抱しているのか。
部屋には鍵をかけてあると御伽話は言っていたけど、本当のところどうなんだろうか。
御伽話が考えてくれた話は、物凄い納得性を帯びているけど、これがどこまでもつか。
誰かが不審に思えばすぐにばれる嘘だ。特に目撃者が出てしまうのが一番危険だ。
まあきっと大丈夫だろう。
納得性を帯びてるから。
空手部の帯だけに。
…………ははは。
「ん? どうした薫? 顔が普通にアヘってるぞ? 何か悪いことを考えた犯罪者のごとく」
「そんな顔してねえよ!」
いやしてたかも。いやしてねえ。
ただ笑いそうになっただけだ。
「え? 本当にどうした薫。いつもならクールに返してくれるのに、何で今日はそんな突っ込みをするんだ?」
「はっ!」
本当のことだったせいで、つい本当の突っ込みで返してしまった。
そしてマジで鬼谷に心配された!
そうだよな。いつもなら普通に返すもんなあ……普通に失敗した。
「何だよどうしたんだよ薫。…………あ! わかったぞ! きっと御伽話と二人でいたせいで、突っ込みも進化したんだな!」
「いやいやいやいや」
ねーよ。普通にねーよ。
なんで御伽話といたからってコメディ度も進化しちまうんだよ。
退化の方がまだわかる気がするわ。
「いやいや薫。実は退化も進化のうちなんだぜ」
「鬼谷が久々に上手いこと言った!」
でも突っ込みしずらい!
そういうことを言うと突っ込みしずらい!
「じゃあ劣化って言った方が正しいか?」
「ボケに正しも間違いもねーよ。っていうか、皆が弁当食い始めてるから僕達も食べようぜ」
「あー…………そうだな」
そうして鬼谷と僕は昼食をとることにした。まあ昼飯と言っても、そこまでがっつり食べるというわけではない。午後もあるので軽食程度という感じである。
合宿と言うことや、僕が久々に剣道部にいるということで、鬼谷の考案で僕と鬼谷を含め、多くの部員と昼食をとることにした。これは嬉しいことだった。
小一時間という休みの中で、僕は改めて一年の剣道部員のことを知った。週二回が最大でしかくることができない僕だから、こういう場を設けてくれる鬼谷にとても感謝した。
「………………」
とはいえ。
実際、僕はそんな風にできる僕自身を申し訳なく感じた。
申し訳ないと思う理由は勿論、出々雲のことだ。
彼女は今どうしているのだろう。何とかすると御伽話には言ったものの、今の僕には何の策もなかった。
きっと部屋の中で誰も開けないことを願いながら閉じこもっているに違いない。恐怖のせいで多分、動けてさえいないだろう。
あまり良い策とは言えないが、後で何かを買ってこよう。せめて食べ物ぐらいはしっかりと食べさせてあげよう。何も食べていないはずだ。
それだけしか僕は考えることができなかった。とりあえず今は普段通りにするために、剣道部の練習を続けていなければならない。
依然として詩辺とは連絡がつかなかった。さっきも練習の休憩中にも何度か電話はしたが、コールは鳴るものの電話には出なかった。何をしているのだろう。
忙しいのはわかる。数学やらの選手権で忙しいのはわかる。しかしメールの一通でさえ、詩辺からの連絡はなかった。
一応僕の方から何度かメールは打っておいた。数分の休憩の中で長文は書けなかったものの、できるだけ多くの情報は伝えようと何とか努力したのだった。
「そーいやー薫」
時間が飛び、そろそろ練習が再会する時間だった。軽い昼食を終えた部員達はアップを始める。僕や鬼谷もそうだった。ストレッチを交互にしている時に鬼谷は僕に言った。
「言い忘れたんだけど、今年は皆で花火大会に行くことに決定したぜ。やっぱ夏と言ったら花火だからな」
「へー。結局花火にしたのか」
「ああ。でも見るだけだけどな。俺的に一番それが夏らしいと思った」
「まあそれが一番良いかもしれないな」
そうは言ってみたものの、やっぱり気がかりだったのはこれからのことだった。さっきは鬼谷の会話で渦に巻き込まれそうになったが、僕はいろいろなことを考えていた。
「まー薫がいないのが残念だな。来年こそは皆で楽しもうぜ」
「あー…………」
「ん? どうした薫。そんな馬鹿みたいな顔して」
「お前に言われると一番腹が立つ!」
「ほー。腹を立たせてみろ」
殴った。
渾身の力を込めて殴った。
鬼谷が腹を立たせてみろと言ったので、腹を立たせて腹を殴りました。
「か、薫。……冗談だろ。ギャグに決まってんだろ? 何マジになってんだよ」
「いや、普通に腹が立ったから。鬼谷に対して腹が立ったから」
「薫がクールさをなくしてる! 事件だ! これは陸上部と剣道部を揺るがす事件だ!」
「………………」
まずい。
焦りのせいか、鬼谷に対してもいらいらしてる。いろいろなことを解決しようとしていたのが原因かもしれない。
我に返った僕はすぐに鬼谷の様子を見る。
「だ、大丈夫か。鬼谷?」
「あ、ああ。でもさすがに今のは強かったな。……ひょっとして、鞘月副会長となんかあったのか? だったら俺が相談でも何でも――」
「いや」
きっぱりと僕は断った。遮るように断った。
「大丈夫だ。何もない」
「うーん……そっか」
「でも鬼谷。後でお前と一戦交えても良いか? ちょっと気持ちを落ち着かせたい」
「しゃーない。それでお前に殴られたことをチャラにしてやるか。お前から一本とることなんて朝飯前だからな」
「その言葉、後で後悔するなよ」
昼休みが終わった。部員全員が三年の部長と共に面をつけ始める。僕もその一人で、鬼谷と揃ってつけ始めた。
そう言えば御伽話は空手部に復帰したのだろうか。きっと大丈夫だろう。そんなことを思いながら面を着ける。
練習が始まった。総勢三十人を超える剣道部員がいる剣道場は一気に一杯になった。綺麗に並ぶ。そして部長の声と共に、練習が始まり――気勢を出した。
僕達はそれから三時間ほど練習をした。暑いせいか最後の方では疲れながら練習をしていたものの、僕は気を抜かず一生懸命やり通した。気分を入れ替えるには――心の整理をするのには十分な時間だった。
後一日。
そして僕達は部活を終えた。