プロローグ
「私はあなたたちを決して許さない!」
マドレットは短剣を両手で持って構えるが、周囲には屈強の男が両手の指では数えられないほどいる。近衛兵は皆この男たちに殺された。王族である両親やきょうだいたちもすべてだ。
あたりはたくさんの死体で埋め尽くされ、鉄の錆びたような血の臭いが空中に充満している。勝ち目がないと分かって必死で逃げて、崖っぷちまで追い込まれた。一歩後ろに下がったら、海に向かって真っ逆さまだ。
その男達の中から一人、大仰なマントに背中を覆われた男が現れた。戦闘に特化してると一目で分かる他のものたちとは違い、権力で人を威圧するタイプ特有の表情をしていた。視線がねとりと身体にまとわりつくようで気持ち悪い。
にやりと勝ち誇ったように笑うと、彼はマドレットに向かって手を差し出した。
「そんな顔をすることはない。美しい顔が台無しだ。これからは、私の妻としてこの国を共に支えてゆこう」
「冗談じゃないわ! あなたなんかに国を任せたら、暴力でこの国が支配されるのは目に見えてる!」
「でも、あなたにはもう選択肢はないんだ。さあ、この手を取って」
目の前まで手を伸ばされ、マドレットは反射的に相手の手を叩いた。
「汚い手で触らないで!」
男――デュドルフは怒りに端正な顔を歪め、後ろの男達に短く命令する。
「連れていけ」
「いや!!」
あっという間に囲まれたマドレットは、逃げ場を失ってあとじさる。左足の踵の支えがなくなったと感じた瞬間、彼女は海に向かって落ちていった。
一瞬のうちに意識が消えていったが、その瞬間、これでよかったのだとも思った。あんな男に辱められるくらいなら死んだ方がマシだ。
☆ ☆
望月遊がまたどこかの女に告白されたらしいという話を聞いたが、遙香はシャープを動かす手をまったく止めることなく言った。数学の宿題を家でやるのを忘れたので、友達のを借りて写している。そんな、結末が分かってる話題には興味もない。
「そして断ったんでしょ? みんなも馬鹿ねー。断られるって分かってやってるんじゃない?」
「それがさ、受けたらしいよ。望月」
「へ?」
そこに至って、ようやく手を止めた。青天の霹靂もいいところだ。
「うっそお」
「マジマジ。さっき、A組の萬屋さんがみんなに自慢してたもん」
しばし硬直し、息まで止めていたことに数秒たって気付いた。周りに集まったクラスメート達は興奮に顔を赤くしている。中には彼に告白して断られた人も少なくない。
だがあり得ない。幼馴染のカンなどではない。単純に、遥香は彼が思いを寄せている相手を知ってるだけだ。
バン!! と教室のドアが乱暴に開かれた。見ると、噂の男子だった。
彼は真っ直ぐに遥香のもとに歩み寄ると、
「ちょっとこっち来い!」
と遥香の腕をとって踵を返した。
「待って。その前に、あんた萬屋さんと付き合うの?」
「へ? なんのこと?」
まったく覚えがないと顔に書いてある。なんということだ。クラスの全員が話を聞いていたらしく、その台詞で教室中が静止する。なんの音も聞こえない。
「萬屋さんがあんたに告って、あんたが了承したという話なんだけど?」
「あ……ああ、なんか色々騒いでた女子がいて、面倒だから頷いておいたんだけど、いや、それよりも!!」
「それよりも、じゃない!」
「いやいやそんなことよりも!! こっち!! 大変なんだ!!」
「そんなことよりもじゃない!! 萬屋さんにまず謝ってきなさい!! 土下座して許してもらいなさい!!」
引っ張られていた手を逆に引っ張って、遥香は遊を教室の外に追い出した。
「まずは謝ってこないとあんたの話は聞きません!!」
「なんだとおおおお!!!!!!」
遊はA組に向かってダッシュした。
こうして、地球が破壊される危機を彼は告げられないまま萬屋さんに謝り、平手打ちを食らっていた。