愚痴男と猫女
「おはようございます」
そう必死にツイートするのが日課になっていた朝の満員電車で、僕は今日も押しつぶされていた。
せっかく持ってきた文庫本すらまともに読めやしない。
東京に住むようになって数年が経つけれど、この満員電車というやつは本当に好きになれない。
以前の営業マン時代も思ってたけど、なんでこんな苦しいってわかる状況に毎朝毎朝突っ込んでいかなければならないんだろう。
狂気の沙汰もいいところだ。
いろいろ事情があるのはわかる。
わかるけどなんか「他にうまいやりかた」はなかったのかと目の前のサラリーマンの背中に押されながら僕はこの朝を繰り返していた。
この人を人として思わぬ状況・・・
皆が皆働きに行くわけでないにしろ僕を含めたこの奴隷達を載せたぎゅうぎゅうの電車は今日は3分遅れで新宿三丁目に到着する。
いてて
本当にこの時間は、誰も誰にもやさしくない。
つらい、きついってわかっていながら、むかっていくわけだ。
なにかおかしい、狂ってる。
まあタクシーは高いしそもそも車を持って生活できるってのは東京ではまれなのは理解できるけど・・・。
でも、田舎でほとんど電車に乗らない生活をしてた僕からすれば東京のこれはかなりきついものがある。
文句ばっかり口にも出さず頭のなかで怒鳴りながら、人波から逃れて次の電車を待つ。
通勤特急から各駅に乗り換えると、だいぶ乗客は減る。
一気にストレスからは開放されるのだ。
池袋から副都心線の各駅停車に乗り換えてこの時間の
4号車両の入り口の向かいの座席。
その人はいつも眠そうに座ってた。
すらっとした体に長く黒い髪に黒縁のメガネ、片手で気だるげに文庫本を読んでいる。
それが彼女のいつものスタイルだった。
最初はきれいな人だな、というイメージしかなかったし
電車の中の一風景でしかなかった
その電車の一風景が、目的地である赤坂駅の改札近くで話かけてくるまでは。
「やあ、新人君。元気してるかい」
彼女は、僕が先月入社した、ゲーム会社のプランナーだった。
僕は以前の営業マンから、あこがれの地獄、ゲーム会社に転職を果たしていた。
あらゆることに疑問を抱えていた営業マン時代、そこからゲーム業界に入るのは正直大変だった。
お金もなかったし、前職のキャリアもクリエイター職ともなれば生かせる場所は限られてくる。
業界的にも昔ならともかく今はいい噂は聞かない。それにほとんどが経験者募集。
でも僕はゲーム業界に飛び込んだ。
理由は簡単「ゲームがすきだから」
今どき学生だってこんな志望理由はないだろう、でも当時の僕にはこれが全てだった。
ただお金を稼ぐため嫌いな仕事を続けるより、好きなことをやりたい。
そんな単純な考えだった。
今思えば繰り返す日々からの逃げだったのかもしれないけど、残ってた大量の有給をつかい僕は転職活動に勤しんだ。
久しぶりの面接に入社試験、学生に終わりを告げた年を彷彿とさせたあの日々は、なかなかに刺激的な日々だった。
いろいろ言われたし、こき下ろされたし。
どうして面接官ってのああも高圧的なんだろうか。
営業マン時代の経験を活かし未経験ながらなんとか入社を決まった。
かくして僕は、大手企業の営業マンからゲームクリエイターとなったのだ
クリエイタといっても、ソーシャルゲームのディレクターだけれども。
僕の入った会社はそこそこ大きな会社だったがゲーム会社と言うよりはIT会社のそれに近かった。
作っているゲームはいわゆるポチポチゲーで、それを6つほど運営している会社だった。
面白いものを作る!というよりはいかにユーザーから課金を引っ張りだすか。
それに注力している会社でありとにかく企画、ガチャのアイディアを求められた。
ゲームシステム、キャラクターも独創性のかけらもなくとにかく可愛い女の子のイラストでガチャを引かせる。
毎日毎日KPIを追いかけ続ける。
売上を創りだすのはそれはそれで面白かったけど。
今の僕なら、それがどれだけ大事か理解できるけど。
その当時の僕には
ぼんやりとわかってはいたものの、なんとも味気のない世界だった。
クリエイティブとエンターテイメントにあこがれて入った世界は求めたものと違っていた。
慣れ合いをあまり好きになれない性分も含めて、正直3ヶ月も続かないと思ってた。
勘違いしてほしくないのは作っている連中はみんな面白いものをつくろう!と思っているのだ。
業界の速度が、それをゆるさないだけなのだ。
毎日企画で駄目だしをもらい続け、少しづつ売上が安定してきた入社1ヶ月目の終わりの事だった
「やあ、新人君。元気してるかい」
通勤にも慣れてきたころ声をかけてくれた彼女は同じ会社のプランナーだった。
同じ会社といっても、チームが違えば部屋が違えば階層も違う。
その頃の僕は自分のことで精一杯で、ようやく同じチームの先輩方の顔と名前が一致し始めた頃だった。
ましてや、他のチームのことなどこれから勉強していくつもりだったから彼女ことなんて知る由もなかった。
まわりに聞いてみると彼女は社内では「猫のような人」と評判だった。
気まぐれで変わり者で、とにかくおもしろいものが好きな人で
眠そうに仕事をしている割に凄まじく優秀だった。
あっという間に仕事を終わらせ、いつも彼女は退屈そうに本を読んでいた。
「なんか面白いことないかなあ」
が彼女の口癖だそうだ。
そんな彼女が、どうして僕なんかに声を掛けてくれたのかは、今となってはもうわからない。
「おはよう、新人君」
彼女と、毎朝おなじ電車で挨拶を交わした。
「新人君、またあったね」
彼女と、会社までの道を二人で歩く。
「ゲームを、面白いことを作るってのは大変なんだよ?新人君」
彼女は、僕にいろいろ教えてくれた。
「この本が気になるかい?新人君」
彼女は毎朝、違う本を読んでいた。
「新人君、おもしろいってのはね、とても大事なことなんだ」
彼女にとって、面白さを探すことは生きがいだった
「新人君、君の企画はつまらないなあ!出直してきなよ!」
彼女にとって、僕はつまらなかった。
「新人君、君の企画はまずここがだね・・・」
彼女にとって、僕は面白くはなかった。
「新人君、君の企画もプレゼンもよかったよ!がんばったね!」
彼女にとって、僕はすこしだけ面白くなれた。
「新人君、君と一緒に仕事ができて楽しいよ」
彼女と、僕は同じチームになった。
「新人君、昇進おめでとう!もう新人君なんて呼べないなあ」
僕は彼女と同じチームのリーダーになった。
「新人君、次は何をやるんだい」
一年ちょっとたった今も、彼女にとっては僕は新人らしい。
きらきら輝く目が、次の面白いことを求めていた。
「へえなるほど!新人君、君はほんとにおもしろいね」
彼女に、少しだけ認めてもらえた気がした。
「新人君、私、次の会社が決まったの」
彼女は、会社をやめた。
彼女ほどの人材が当社を離れるということで、引き止めもあったみたいだけど
彼女は会社をやめた。
昨夜は送別会だった。
帰り道
「また会おうね、新人君」
彼女はいつもと変わらずそう言った。
「・・・君は、本当に面白いなあ」
閉ろうとする電車のドア越しに僕が彼女に想いを伝えた時、彼女は困ったように笑ってそう言った。
そして今僕は朝の電車に乗っている
いつもと同じ4号車両。
・・・
今日は、いないんだな。
今日は、じゃない。
今日も、だ。
これから、もう、だ
なぜだろう。
人であふれる通勤時間に、この時間の、この電車の、この車両がとてもとても空っぽになってしまった。
喪失感と共にこみ上げてくるこの気持はなんだろう。
なにもかもが、色を、音を失ってゆくのは。
この涙は、なんの涙だろう。
昔の、なにかを純粋に追い求めていた自分と重ねていたのかもしれない。
彼女に認めて欲しかったんだ。
認めてもらえて嬉しかったんだ。
もう彼女に会えないと思うと、もうあの声が聞けないと思うと
この世のすべてが改めて敵に回った気すらしてくる。
もっと、もっと早く伝えておくべきだった。
どうしてあの時ちゃんと答えを聞かなかった。
なんで伝えてしまったのだろう。
黙っていれば、今頃メールの一つも打てたんじゃないだろうか。
いつも僕はこうだ。
「こんなはずじゃなかった」「ああすればよかった」と誰かに言い訳をし続けるのだろう。
文句を言いながら、生き続けていくのだろう。
それはちょっと、おもしろくないよなあ・・・。
・・・
その時、携帯がメールを受信する。
内容は
「やあ、新人君、元気してるかい」
「この前の返事だけど」
文章としてかなりしっちゃかめっちゃか。
酒のんだ勢いで書くものではないですね。