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7:感覚

「違う」


自身の口から人差し指を引き抜き、そうつぶやく。

ぼそりと言ったはずなのに部屋全体に響き渡った気がした。


3ヶ月ほど前に味わったものはなんだったんだろう。

9年生きた中で初めて体験した感覚。ぞわりと背筋を這うあの震える感覚は。

もう一度それを味わいたくて自分の指を何度もくわえてみた。しかし何も感じない。

強いて言うならば唾液でべとべとになった指に不快感を覚えたぐらいか。


自分でやるからだめなのかと思い、飼い犬のアルーフに手を舐めさせてみた。

けれど従弟の口で感じた、あの身体の芯から這い上がるような感情を再び体験することは出来なかった。

それでも諦めることはできずに友達の家の犬、農場のヤギ、羊、鶏などの口にも手を入れてみたがやはり思うものは得られなかった。


一体何が違うのだろう。人と動物の違いだろうか。

そもそもあの感じたことの無い、快感とも不快感とも言いがたい感覚とは何なのだろうか。

あの日以来従弟の家に行く機会が無かったので、もう一度従弟に手をくわえてもらうことは出来ていない。だからその正体は分からない。

そもそも従弟に会い、再現できたとしても同じ気持ちになるのかどうかも不明である。

感覚自体に対しての疑問はずっと考えても答えの出ないものだった。

それでも暇さえあれば考えてしまう。


両親には手を舐めてもらおうとは思わなかった。友達にさえ頼めないと感じた。

何故だか分からないがその行為はひどく後ろめたいもののような気がして、むしろ知られてはならないものなのだと無意識に判断したのだった。


両親には言えない、頼めもしない。そう思う。

では、そんな感情は…


やめた。


今ここで考えても意識の泥沼に嵌まって行くだけだ。答えの出ない回答を求めることは中止しよう。

俺が今やるべきことは宿題である。鉛筆を握り直し、学校で出された魔術数式のプリントに手をつける。

小一時間広げられ放置されていたプリントが、ようやく少年の意識の主役に返り咲いた。


「リクハルド、こんなところにいたの!大ニュース、大ニュースなのっ!」

「お母さん。ノックしてっていつも言ってるだろ」

満面の笑みでドアを開ける母の顔が見える。そこに何を気にした様子も見られない。

ノックもせずに部屋に入られるのはいつものことだ。しかしだからといってそれでよしとは思わない。

せっかく宿題をやっているのだから気が散るようなことをしないで欲しい。

ため息が自然に出てしまう。どこの母親もこんな感じなのだろうか。


「ええ、家族でしょう。リクちゃんったら気にしぃなんだから」

不満げに口を尖らせる。

ああ、相変わらず話していると気が抜ける人だ。絶対に俺はこの人似ではないな。

本人はそう思って居るが、リクハルドの人懐こいようなイタズラっぽい性格は丸々母親似である。


「そんなことよりも!」

母の声に嬉しそうな色が戻る。


「王妃様がご懐妊されたんだって!さっきお城から発表があってね、3ヶ月ぐらいらしいの!」

「へえ、おめでたいね!ってことは第二王子?」


王族が産まれるのは良いことだ。自然と嬉しくなってしまうのは国民の性なのだろうか。

先ほどまでのげんなりした感情はどこかにふっとんでしまっていた。


「まだわかんないわよぉ、かんわいいお姫様かもしれないし。そしたら第一王女殿下ね!」

「第一王女か」


それも良い。王族の整った顔は他の国の民からもよくうらやましがられる。

だからもし王女が産まれたらそりゃあもう可愛いのだろう。

しかもそれがもし次期国王陛下であったとしたら一層の自慢になるだろう。


「今度は次期国王だといいな!」

「そうね。今回はちょっと魔術のやり方を変えてみたって噂よ。すっごい王様が産まれるかもね!」

「変えてみたって、形式いじったのか!?すっげえことするな、今の高魔術士は!」

「ね!まあ私はアゲート様も可愛くて好きよっ」


次期王の魂を捕まえる魔術。遥か昔から行われて来たそれはいくつもの歌の題材にもなっていた。

数百年変えられていなかった形式を変えるのは、それだけでも大ニュースである。

もし形式をいじって失敗でもしたら目もあてられない。下手な魂を集めてしまうかもしれない。

それなのに形式をいじろうなんて今の高魔術師は本当にすごい。


「じゃあ、ほら早く支度して」

「え、支度?なんで」

「お祭りに行くのよ!もう通りもお祝いムード一色で、夜店だって出始めてるんだから。ほら早く早く!」


王族の誕生は国民全員の喜びでもある。今夜は国中夜通し大騒ぎになるだろう。


「じゃあ宿題やんなくてもいい!?」

「どうしてそうなるのよ。帰って来たらやんなさいよ」

「悪魔だ」


夕飯近くまで宿題を残していた俺が悪いのか、いきなりお祭りに行くと言い出した母が悪いのか。

きっとこの分じゃめんどくさくなって、帰ってからも宿題なんかやらない。

宿題を忘れて学校に行くなんてよくあるし、先生に怒られるだけだからまあいいか。

それにどうせ明日はほとんどのヤツが宿題をやってこないだろうと、俺は宿題の完了を放棄した。


「それじゃあ、支度すませるのよ。ママはパパを急かしにいくから」


スキップでもし出しそうな声で告げ、母は部屋を出て行った。

扉の閉まる寸前「雲飴買おっかな」と聞こえた気がした。


4年ぶりに王族が産まれる。王子もしくは姫か。……今回は次期国王だろうか。

王様としてはそうであって欲しいと切実に願っているだろう。後継者が決まっているのと居ないのでは大きな差がある。


現国王の第一子、第一王子アゲートには次期国王の紋章がなかった。

だからこそ今度は、と思うのだろう。


—産まれたらシルヴァンのひとつ下か。


ふっと、先ほどまで考えていた自分とは違う耳の形をした従弟のことを思い出す。


ー王宮で産まれる赤ん坊相手でも、あんな気持ちになるのだろうか。


振り切っていたあの感情が再びリクハルドの心に広がっていった。

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