5:海の色
黒。
目の前に広がる色を呟く。
いや、紺色だろうか。
そっと色に手を伸ばすと色はさらりと動いた。
光に当たったそれは美しい青だった。
私はどうやら今まで眠っていたらしい。街で自分の死を思い出した時からの記憶がまるで無いので多分その時からだろう。
いったいどのぐらい眠っていたのか。
自分で見ることの出来る範囲に時間の計れるものがないのでわからない。
目の前にあるのは街で見たのとおんなじ心配そうに揺れる今の母の黒い瞳と、光に当たり透けると深い海の色になるやや長い髪の毛。そして髪の間から時折見える獣のような形の耳。
ちょっと近所のみけ子を思い出す。
目が覚めたらいつもの畳の部屋だったということはやっぱり無くて、今の母の耳を見て異世界なんだと改めて実感した。
母の耳は人間の耳の形ではない。猫の耳のような形だが、耳のある位置は地球の人間の位置と変わらない。
耳に獣のような毛が生えているということも無く、体の色と同じ普通の象牙色だ。
少し普通の耳よりは大きめで、どちらかと言うと垂れ耳かな、と思う。
初めてこの世界での自我が芽生えた時にすぐに目に入ったものだった。
地球にはこんな耳の人間はいないから地球では無いと瞬時に理解した覚えがある。
その時泣いてしまったけれど、この母に対して「この人誰だ」とは思った記憶は無い。
理性の意識は無くとも、それまでの3ヶ月の肉体の意識はきちんと残されていたからだ。
だから、本当にふと気がついたという表現が正しかった。
「juiptt^hjskp!」
母が何か叫び、私を抱き起こした。目にはいっぱいに涙を浮かべている。頬は紅く染まり、口元は笑っているように見えた。その顔が消え、視界にはブラウンを基調とした部屋が写る。
ぎゅっと抱きしめられた感触に何故か安心感を覚え、自分でも訳の分からないままに泣き出してしまった。
この母と同じ耳が母の肩にぐっと触れる。
「hyounn…houot…!」
泣き声の間に呟く母の声は、とても心地よい響きだった。
そのまま二人してわんわんと泣いているとガチャリという音がした。
部屋の扉が開いた音なのだろう、ドアノブに手をかけた男の姿を見とめる。20代後半ほどの年齢の少し痩せ形で背の高いが普通の男だ。私たちと同じく半泣きのような嬉しいような顔をしている。
男は手に持っていたお盆を近くの棚に置くと早足でこちらに近づいてくる。
ぎゅっと抱きしめる力が強くなったのを感じる。母の顔も近いが男の顔も近い。
これはこの世界の私の父であった。
私は今、母と父に抱きしめられている。
こんな経験本当に久しぶりだった。
どうやら私はこの母とこの父に大変心配をかけてしまったのだ。
自分では自覚が無いがあまり良く無い状況だったのだろうか。
確かに体はいつも以上にだるいが、赤ん坊のこの体自体あまり自分では動かしていなかったのでどのぐらい悪かったのか把握は出来ない。まあ、気持ち悪くはないかな。
「hyihoiodpko1nuo……」
「nyuio。nbtwaipbeoou?」
「hywe」
私をひとしきり抱きしめた後、母はもう一度私をベッドに寝かせ父と何事かを話しはじめた。
数分話すと父は部屋から出て行った。途中、安心したような顔をして私を見た。
父が出て行ってから、母は私の居るベッドの横の椅子に座りながら歌を歌い始めた。
とても優しい音色だった。そよ風が耳を通る音に似ている。
頭がぼんやりしてもう一度眠りに落ちそうになった。ここで眠ったらまた心配させてしまうのだろうか。
そんな私に気がつき母がおでこを優しくなでる。
さらり、と深い青の髪が目に写る。すごく綺麗な深い海の色。あの母とは違う色。
「etro、シルヴァン」
薄れゆく意識の中に母の言葉がふわっと届いた。




