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13/20

13:夢想

少し前から私は掴まり立ちが出来るようになった。

リビングの絨毯の感触を足に感じる、目線もハイハイよりもずっと高くなり世界が広がった。けれどまだまだ飄々と歩いたりするにはほど遠い。

これからもっと色々とやれることも増えてくるのだろう。


と、普段ならしみじみするのだが、そんなこと今はどうでも良いのだ。今、問題であるのはそんなことではない。

立ったことで深く実感せざるを得なくなったことが問題であるのだ。


うわあ、やっぱり男なんだ…

股の間に在ってはいけないものの重みを改めて感じ心が泣く。

今までは寝転んで居たり、座って居ることが多くあまり気にならなかったし、あれっと思うことがあっても一瞬の出来事だったので良かった。

しかし立ち始めると、布オムツで支えていても気になるようになった。もう女子大生であったから若干のそういう何かで見てしまったりとかはあったのだが、自分に付いているのとは話が別である

むしろ女だったからこその衝撃なのだ。きっと智子のままであったなら一生出来ない体験、だ。

一生しなくても良い体験だったのだが…と思うと同時に「一生」は終わらせてあったのだと気づきもやもやしてしまう。


うわぁ、うわぁと頭の中で繰り返し歩く練習を続ける。

砂浜に広がるナマコの大群の上を裸足でゆっくり歩くような、背筋の凍る気分で一歩一歩足を進める。


「うわぁ」

うっかり口に出してしまうと近くに居た母が慌てて駆け寄る。

「大丈夫、シルヴァン。痛い痛いあったの?」

心配そうに母が言う。

そんな母に問題無いと笑顔で応える。眉間の皺は無くせなかったが。


ああ、どうして男に生まれたのだろう。元が女の子なんだから神様ももう少し空気を呼んで対応して欲しいものだ。

または、前世の記憶など引き継がせないで欲しかった。チートで得をするなんてことよりも、メンタル面でのダメージのほうが大きいと思うのだ。

私は成長して行く間にいくつこの修羅場を抜けるはめになるのだろうと、さらに渋顔になる。

はたから見たら二足歩行を必死でがんばる表情なのか、はたまた赤ん坊らしからぬごつい顔になっていたのかどちらだろうか。


……大丈夫、慣れる慣れる。むりやりそう思う事にした。


「いっぱい立ってられるようにになったね!偉い子偉い子」

ぼーっとしつつも掴まり立ちを続けていたらしい私を母は優しく抱き上げた。

その感触は1年以上も肌に馴染んだものだった。やはり「母」の温もりは子を安心させるものがある。どんな魔術だってこの力には敵わないのだ、と私も母を抱き返す。

「まぁま」

「んー、どうしたのシルヴァン。ああ、ジュースですよー」

手渡されたコップももうしっかりと持てるようになっていた。中の少し温いりんごジュースがおいしい。

母に抱かれジュースを飲む。これが最近のお気に入りだ。

精神も1歳児に逆戻りしているのかもしれない。けれども不思議と恥ずかしいと思ったことなどなかった。

甘えられるうちにいっぱい甘えておきたかった。だって、大人になってしまえばちょっとしたことで母に無防備に甘えることなんて出来なくなるのだと知っているから。


智子が生きていたらそのうち、この母のように誰かの母になっていたのだろうか。

母になることとはどんなことだったのだろう。もう、私は母になる事はない。

私を優しくあやす母の表情は、この前第二王子の生誕祭で見た王妃のものと一緒だった。子どもが居るという事はそんなに幸福なものなのだろうか。

なんの意味があるのか分からないこの転生だが、私が生まれて来たことで幸福になる者が居るならばそれだけで意味のある転生だったのかもしれない。

そうだとしたら私はこの世界でもっと前向きに生きて行こう。心がぱっと明るくなった。


そういえば、あれはなんだったのだろう。

考え事が終わると別の考えを始めてしまう。智子の頃からそれについてはしょっちゅう親にも友達にも「また夢想してるね」などとからかわれて居た。


先ほども心に上がった、第二王子の生誕祭。あの時バルコニーの上に居たまだ生まれて三日も経っていないであろう赤ん坊、第二王子ヘリオドール。

あの赤ん坊と相手が見えなくなる距離に行くまでずっと目が合っていた気がした。

ずっと、ずっと、あのヘイゼルの目が私の心を射抜くように見つめていた気がした。

自意識過剰と言ってしまえばそれまでなのだが、何故かあれは私を見ていたとしか思えなかった。その根拠などは無かったが。

一体どうして彼は私を見ていたんだろう。どうしてあの時私は目を逸らすことが出来なかったのだろう。

前世でよくあった「赤ちゃんは大人をじっと見つめてくる」アレだっただけなのだろうか。


なんというか、この世界に来てから誰かに見つめられてばかりだ。

紅色の目にヘイゼルの目。見つめてくるその眼光はどれも怯んでしまうぐらい強いものだったし。

こちらの人たちは「目」に力がありすぎると思う。


あいかわらず母は私を抱き、いつの間にか「テレビ」…「ビジョンガラス」を見ていた。

抱かれた私は夢想の彼方に頭を沈ませていった。


手の平が眩く光り、コップのジュースが少し凍りついたことに誰も気づかなかった。




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