第一部
学校のちょっとした文学賞に出すために書いてます
どれくらいの長さにするかどうかも分からず大体の結末くらいしか決まってませんが夏休み中に書き上げないと間に合わない…
とりあえずここまで投稿しときます
白い車に乗り、黒いアスファルトを走り抜ける。黒いタイヤは白線の内側を通り、時々横断する。季節は夏のど真ん中で道路からは陽炎が立ち上っているが、ガンガンに掛けたクラーとお気に入りのメロディーを大音量でまき散らすスピーカーのおかげで非常に快適だった。交差点には一人の老婆が一生懸命に進んではいるが既に信号は赤に切り替わっている。ボロイ手押し車の車輪が横断歩道の横縞の白線のわずかなでっぱりを拒んでいるために、なかなか渡りきることができない。焦れば焦るほど車輪はいうことを聞かず、時間はただ過ぎていく。イラついても、時間が押しているわけでも、後続車がいるわけでもないが、ただ慌てる様が面白かったからクラクションを鳴らした。
白と黒という二つの色について考えてみよう。白は全てを拒絶し、黒は全てを受け入れる。白は男と比喩されやすく、黒は女と比喩されやすい。僕は白は嫌いで黒のほうが好きだが、自分は黒か白かで言われると白だなぁと感じる。紙は白く、文字は黒だ。車道は黒く車線は白い。白は自然界ではなかなか見つけずらい。そんなことから、白は人工的だとも感じる。夏は白の楽園だ。太陽光によって白は人々の網膜に己を焼き付ける。逆に冬の夜は黒の本領であろう。僕は雪国生まれではなく、かといって都会生まれでもないく、中途半端な都会に近い田舎に住んでいたせいもあって大好きだった。街灯の少ない田舎において冬の夜は、心が落ち着く空間を作り出す。夜空は澄み渡り星は空に散りばめられている。優しい冬の帳が僕の心にひと時の安寧をもたらす。
どうしてこんなに白と黒について考えてしまうかというと白を心から拒絶した女性、戸籍で言うと姉にあたる血の繋がっていない兄弟がいたからだ。
僕の母と姉の父親はともに別々の事故ではあるが自動車によって命を落とした。親父は自分が留守がちな家と僕のために、母は部屋に籠りっきりで病院に通い薬を飲む娘と体の弱い自分のために、それぞれがそれぞれを求めあい結びついた。僕は日々の家事から解放されおいしい食事にありつけるようになり、ぎごちない時もあったけれども母親としての愛情を好意的に受け入れることができた。安定したお金を手に入れることができるというのが母に安定をもたらしたのであろう。家庭環境において余裕があるというのは必要不可欠である。それがはじめ必要に迫られて偽りの愛から始まったものだとしても。母の死は高校二年の時であったし、父の再婚は大学一年。テレビなどでやる再婚によって起きる問題なんていうものからはもはや縁遠いところまで成長してしまった。精神病の姉と言ってもちょっと気を付けるだけで何の問題にすらならない。
我が家の決まりでみんなが揃えるときはちゃんとみんなで食事をとろうというものがあった。その時僕と父は必ず白以外の洋服を着ていた。それだけで家族という関係が成り立つ。姉は白い服を着た男を異常に怖がるというそれだけの症状だったのだ。白は嫌いで持ち物のほとんどは黒か藍に統一されていたが精神が異常をきたすのはそれ以外はなかった。月に一度病院に行くのだが精神科の医師は姉の診察の時は黒っぽい服を着ていたし姉は外出時真っ黒の色の濃いサングラスを常にかけていた。だが、世間に立ち向かっていくほどの力はなく水色の壁紙の部屋に大体引きこもっていた。僕は母から頼まれ時々話をしに部屋に入っていた。ただ姉と話すという感じではなく女の子と話すだけだから気が楽だ。ある一定の距離を置いて少人数で話すのは嫌いではない。大勢の中、特に決起会のようなものや打ち上げのような一丸となってみたいな空気の中で僕は自分の立ち位置を見つけられない。普段明るく接する自分はどこかに影をひそめ離れたところから集団を見守り酒を飲むだけになる。親しき友達は僕のいつもの病気などと言って笑い飛ばしてくれるが彼らがいないと誤解されてそのまま集団から孤立していく一方となる。もう慣れてしまったが・・・。