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異世界恋愛系(短編)

何か、ひとさまに知られて困るようなことがございましたでしょうか。

作者: 石河 翠
掲載日:2026/11/01

 没落令嬢のジェーンは、行儀見習いとしてドラモンド伯爵家に預けられているが、実態は無期限の奴隷のようなものである。とある貧乏子爵家の一人娘だったジェーンは、良縁を求めて伯爵家に預けられた。彼女の両親が生きている間も、ドラモンド伯爵家はあまりよい預け先とは言えなかったが、それでも貴族令嬢として最低限の礼儀作法を身に付けることは可能だった。


 しかしジェーンの両親が病死し、土地や家屋が借金のかたとして差し押さえられると状況は一変する。ジェーンは行儀見習いから、下働きに格下げされた。ただし通常の下働きではない。雇用契約が結ばれた下働きであれば、わずかばかりとはいえ給料が手に入る。条件が折り合わなければ、退職することだってできる。けれどジェーンは伯爵家に従うことしかできない。無給かつ無休のまま一生飼い殺しだ。そのくせ伯爵家は、身寄りのない元令嬢を世話する慈善家という評判まで手に入れていた。


 現在ジェーンは、一部の使用人たちからは塩対応のジェーンと呼ばれている。最下層の使用人であるジェーンが周囲に対して塩対応なんてするはずがない。逆に、誰が相手であっても失礼のないように対応しているつもりだ。なにせ屋敷の中に、ジェーンほど立場の弱い者はいないのだから。


 ただジェーンは心を乱さないように、できるだけ静かに過ごしている。隙を見せれば周囲に攻撃されて無駄に傷つく。嬉しくても喜びすぎず、悲しくても落ち込み過ぎない。その姿が、ジェーンにより惨めであってほしい人間からすれば塩対応に見えるのかもしれなかった。


 そんなジェーンの悩みは、伯爵家のご令嬢カミラから嫌がらせを受けていることだ。もとよりジェーンのことを嫌っていたようだが、家が没落したことで悪意を隠さなくなっていた。ここ最近のカミラのお気に入りは、ジェーンを遠くの郵便局までつかいにやることだ。特に足元が悪い日は嬉々としてジェーンに急ぎの手紙を押し付けてくる。


 昔は使用人が主人の手紙を直接相手の家に届けていたが、今では郵便を使って手紙のやりとりができるようになっていた。郵便配達人だって日に何度も配達と回収にやってくる。しかしこの家のお嬢さまは、既定の時間を待っていては大切な用事に間に合わないからと、あえてジェーンを郵便局へ向かわせるのだ。もちろん、馬車を出してくれることもない。しかも出かけている間にできなかったジェーンの仕事は溜まったままになっており、帰宅後夜遅くまでかかって終わらせなければならなかったのである。



 ***



 ある秋の日。冷たい風が吹きつける雨の中、ジェーンはカミラの指示で郵便局まで手紙を運んでいた。傘が強風にあおられ、押し負けたジェーンは体勢を崩す。ろくなかばんも貸してもらえないせいで、濡れないようにコートで庇っていた手紙は盛大に地面にぶちまけられた。唇をぎゅっと噛みしめ、ジェーンは急いでしゃがみ込む。泣いたって無意味なのだから、泣くだけ労力の無駄だ。さっさと拾わなければ。


 ただ黙々と手紙を拾い集めるジェーンの前に、物腰の柔らかい美しい紳士が通りかかった。濡れた地面に落ちた手紙は、清潔とはいいがたい。それを彼は自身の手が汚れるのもいとわずに回収してくれた。惨めな道端のゴミと変わらないジェーンの横をみんな黙って通り過ぎていく。けれど彼はわざわざ足を止めて手を差し伸べてくれたのだ。それだけで、ちゃんとジェーンはここにいるのだと認めてもらったような気がして胸があたたかくなる。


「ありがとうございます。なんとお礼を申し上げたらよいのか」

「礼には及ばないよ。だが、もしも感謝の気持ちをいただけるというのなら……僕と一緒にお茶でもいかがかな?」


 目を瞬かせるジェーンを連れて、彼は颯爽と歩き始める。折れ曲がったジェーンの傘を閉じられ、彼の持つ大きな傘の中に引き寄せられる。あまりにも自然な強引さで、ジェーンもそのまま付き従っていた。


 アリスターと名乗った男は、小奇麗なカフェに連れてきてくれた。そして店の者に頼んでくれたのだろう、渡された手触りの良いタオルにくるまりながら自己紹介を返す。久しぶりに飲む温かく上等な紅茶は、冷えた身体に染み込んでいく。広いテーブルの上で乾かされる濡れた手紙を横目で見ながら、彼の嫌味のない施し方に感心した。


 やがて身体は温まったものの、ジェーンの心は晴れない。預かった手紙はすっかり汚れてしまった。屋敷に戻ればカミラに叱られるだろう。慣れているとはいえ、カミラの金切り声を想像して耳の奥が痛くなった。ジェーンの顔がゆがんだのを見たのか、アリスターがとりわけ柔らかな声音で話しかけてくる。


「この手紙のことを心配しているのかい。だが無事に郵便局へ到着していたとしても、君のご主人の希望は叶わなかっただろうな」

「それはどういう意味でしょう?」

「よくみてごらん」


 アリスターがジェーンに見えるように手紙の一部分を人差し指で叩く。いくつかの手紙には切手が貼られていなかった。さらにアリスターはそのうちのひとつの封をいきなり破る。慌てるジェーンに向かって、宛先の人間がここにいるのだから構わないだろうとアリスターは笑った。


 手紙の宛先は、新聞社だ。まさかこの品行方正な男が、悪名高い新聞記者なのだろうか。ひとは見かけによらないものだ。砂糖のようなとろける微笑みで、取材対象から話を聞き出しているのかもしれない。そんな失礼なことを考えるジェーンに、アリスターは説明を続ける。


「切手がない手紙は基本的に届かない。罰金として本来貼るべき切手の倍額を、受け取り手が払うことになるからね。幸運にも届いたところで、やはり手紙の本来の趣旨は果たされないだろう。この手紙の中身では、新聞社の人間も対応できない」

「これは……誰かを探しているのでしょうか?」

「尋ね人欄に掲載してほしいようだ。だが文章が長すぎるし、掲載に必要な金額が入っていない。新聞社で直接支払うこともできるが、そうでなければ小切手か為替で同封が基本だ」


 納得するジェーンに、アリスターは少しばかり意地悪な笑みを浮かべた。ひどいとか、無料で載せてあげてと言わないのかと尋ねられて、ジェーンは首を横に振る。お金がなければ世の中が回らないことは身に染みて理解している。そんなジェーンを、アリスターは面白そうな顔で見つめていた。



 ***



「雨の日によく会いますね?」

「雨の日は新聞が売れなくて暇なのさ」


 いつの間にかすっかり定番となった雨の日のお茶会。アリスターは毎回当然のようにジェーンの前に現れて、お茶に誘ってくる。アリスターが新聞少年のような売り子をするはずがない。この男の職業が新聞記者なのだとしたら、基本は夜討ち朝駆け。雨の日に必ず郵便局に向かうと行動パターンが決まっているジェーンなど、格好のカモだろう。お世話になっている伯爵家は、ジェーン以外のことでもあくどいことに手を染めている。叩けばほこりが出る身の上なのだから情報はいくらだってほしいはずだ。


「スキャンダルをお求めですか?」

「少しばかり刺激的なものを探しているだけだよ。そうだね、ラブレターコンテストでも開いてみようかな。手軽に恋のスパイスを摂取できるなんて素敵じゃないか」

「塩と砂糖と酢をいきなり口に含んだようなパニックが起きそうな気がします」


 アリスターとのおしゃべりは心地いい。この男と一緒にいたら、うっかり口を滑らせてしまいそうだ。伯爵家の一番の醜聞は何と言っても自分だろう。よくある話だが、よくある話だからこそ面白い。自分の身の上を話したら、何も事件がない日の紙面の穴埋めくらいになら使えるだろうか。馬鹿なことを考えていると自分に思わず呆れてしまう。


「本当に悪い殿方ですね。甘い蜜をささやいて何人ものご令嬢をたぶらかしているのでしょう。ラブレターコンテストなんて開催したら、あなた宛ての恋文が山のように届いてしまいますよ。刺されても知りませんから」

「おや、これは心外だ。自分ほど誠実で一途な人間はいないよ。嘘だと思うなら、自分宛に手紙を送ってみてほしい。『誠実で一途な紳士、アリスター』と書いて新聞社宛に出してくれたら、どんな手紙だって届くさ。切手がなくたって、君からの手紙なら罰金込みでも喜んで支払って受け取るとも」


 切手代も払えない一文無しのジェーンのことを見越したのか、アリスターはそんなことをうそぶく。彼の言葉に騙された憐れなご令嬢の手紙で新聞社は埋まってしまいそうだ。意外と恋文コンテストが実施されるのはもうすぐなのかもしれない。


 ひとしきり話が弾んだ後、アリスターは驚くような提案をしてきた。君さえよければ伯爵家を出て自分のもとに来ないかなんてどうかしている。確かにジェーンの話を記事にしたら、伯爵家でどんな目に遭うか想像に難くない。取材対象者のその後まで慮ってくれるなんて、自分で誠実というだけのことはある。


「残念ですが、新聞記者のお手伝いはできませんよ」

「仕事ではなく、プライベートのお誘いだよ。せっかくだから、君の手料理を食べて暮らしたいと思ってね」


 炊事洗濯はジェーンの得意分野だ。彼が連れて行ってくれる店の食事はどれも絶品だが、毎回外へ出かけるのも面倒だ。家庭料理を食べたい日もあるだろう。それに彼はとんでもない色男だ。家政婦がいれば面倒な女性が現れた時の防波堤としても使えるかもしれない。なんて合理的。下の世話まで任せてしまえば、一石三鳥である。


 だがこの男には、都合のいい女として使われてもいいかなと思ってしまう魅力がある。きっと他の女も、悪い男に騙されていると知りながら自分の身体や金や情報を差し出しているのだろう。ぐらりとよろめきそうになりながら、それでもジェーンは首を横に振った。


 令嬢としての矜持ではない。借金をせず、自分の力で稼いだ金で手切れ金を支払うことができない限り、ジェーンの人生の決定権は彼女にはない。そういう契約になっている。世間的に見れば無理な金額ではないけれど、伯爵家の奴隷同然であるジェーンには、どだい無理な話だった。


「脈ありだと思ったのだけれど。自惚れだったかな」


 アリスター以外が言ったなら、自惚れ以外の何物でもない言葉にジェーンはそっと目を閉じた。



 ***



 どうにも先の見えない毎日の中で、アリスターとのおしゃべりはジェーンにとってシュガープラムのように甘美な時間だった。しかしジェーンの郵便局へのお使いは、ある日突然中止となる。


 カミラが手紙を出していたとある貴族令息が、別のご令嬢と結婚したことが判明してしまったのだ。彼はカミラと親密だったはずだが、あっさりと彼女を捨てて、より条件の良い令嬢に乗り換えていたらしい。なるほど、連絡がとれないとカミラが新聞社に手紙を送ろうとするわけである。手紙の中身を見たということもできず、尋ね人欄を使う場合のアドバイスもできない。けれど、とうとう潜んでいた爆弾は爆発してしまったのだ。令嬢らしからぬ絶叫が響き渡っている。


「許さない! なんでよ! どういうことか説明しなさいよ!」


 彼女の手に握られていたのは、新聞の一面を飾ったとある結婚式の写真。愛しい男と異国の富豪の娘の結婚を報じる記事に、カミラは顔を怒りに染めていた。憎しみは、自分を裏切った男でも、男をかっさらった富豪の娘でもなく、手紙を運んでいたジェーンに向かっていく。ジェーンがもっと早く手紙を運んでいたら、彼はまだ自分の隣にいたかもしれない。そんなありもしないもしもの世界を思い描いていたら、カミラはジェーンの泣き顔を見たくてたまらなくなった。だって自分が苦しんでいるのだから、ジェーンはカミラよりも不幸でないといけないのだ。


 急に郵便局のおつかいがなくなってしまい、外へ出かける機会を失っていたジェーンは、突然伯爵家の当主夫妻に呼び出された。当主夫妻に呼び出されるときは、だいたいろくな目に遭わない。嫌な経験則で口元が引きつりそうになるのを堪えながら、ジェーンは礼をとる。その場に当主夫妻だけではなく、嘲るような笑みを浮かべたカミラがいたことでその不安は的中したことを知った。なんと彼らは、ジェーンを小金持ちの老人に嫁がせようというのだ。


「お前のような娘が、年上とはいえこのような方に嫁げるのだ。感謝しなさい」


 良縁は行儀見習いの娘に与えられる預かり先からの贈り物だ。しかしこれはあんまりではないか。耐えられずに言い募ったジェーンの頬を叩き、恩知らずと怒鳴りつける。嫁ぎたくないというのなら、今までジェーンにかかった費用を耳をそろえて今すぐ返せと彼らは口々に責め立てた。


 何年もタダ働きをさせられているジェーンにそんな金はどこにもない。何時間も罵倒され、ふらふらになりながらジェーンは自室に辿り着いた。書き損じの紙や使い古しの道具が詰め込まれた物置が、彼女の部屋だった。


 部屋の中からはすすり泣きが漏れ聞こえており、カミラは大満足だった。あのすかした女を泣かせてやったのだ。これほどまでに嬉しいことがあるだろうか。しかしジェーンは翌朝には、いつも通りの顔でカミラの部屋を掃除し、机の上に放置されていた手紙をまとめ、郵便配達人とも何事もなかったかのように対応している。カミラは不満げに小さく鼻を鳴らした。


 それからしばらくして、小金持ちの老人とジェーンの顔合わせが伯爵家で行われることになった。老人は舌なめずりをしてジェーンを値踏みしている。その視線は気持ちが悪いが、ジェーンは伯爵家の人々の前でうろたえたりしたくはないといつも以上に無表情を貫いていた。動揺を見せないジェーンが面白くないカミラは、挑発的な発言を繰り返す。聞くに堪えない発言を浴びてもなお、ジェーンの表情が崩れることはなかった。


 そこへ屋敷の執事が、来客を知らせにやってきた。事前のアポイントメントが入っていない客など放っておけと言った当主だったが、使用人から客人の名前を聞いてにわかに慌て出している。一体、誰が来たのだろう。貴族のお偉いさんだろうか。不審に思ったジェーンが扉に目をやれば、そこからすらりとした長身が姿を現した。



***



「アリスターさま?」

「受け取りの確認をお願いできるかな。ああ、本人以外に渡すつもりはないよ」


 横からひったくろうとした主人の手を止め、アリスターはジェーンに手紙を差し出す。なぜここにアリスターがいるのかわからないまま、ジェーンは封筒を開ける。封筒の中に入っていたのは便箋が一枚。飾りのない手紙に目を通したジェーンが目を丸くする。そこにはジェーンが新聞社で開催されていた懸賞小説の大賞に選ばれたこと、作品は発表後即紙面上で公開されるということが記載されていた。


「信用できないと言われても困るからね。ほら、現物はこちらに。よろしければどうぞ。そちらは差し上げるよ。ああ、なぜ事前連絡がないのかなんて聞くのは野暮というものだ。せっかくの素晴らしい作品が、周囲の横やりでお蔵入りになることだけは避けたいからね」


 アリスターは意味ありげに笑ってみせる。彼の手際の良さに、ジェーンも思わず苦笑してしまった。


「な、なんだこれは! 我が家の内情を垂れ流しにしおって。この恩知らずが!」


 当主夫妻はアリスターが証拠だと言って手渡してきた新聞に目を通すと、顔を赤くしたり青くしたりして騒いでいる。どうしてこんな恥知らずなものを書いたのだと責め立てる当主夫妻の横で、アリスターが文中の一節を読み上げる。その低くて心地よい声を聞きながら、ジェーンは不思議そうに首を傾げてみせた。


「確かに恥知らずな内容と言えなくもない。この物語の中の伯爵家の面々の行いは、畜生にも劣る行為だとも。だが、これは小説だ」

「そうですとも。ドラモンド伯爵家の皆さま。何か、ひとさまに知られて困るようなことがございましたでしょうか。こちらに掲載された小説はただの物語、絵空事でございますよ」


 ジェーンはころころと笑い、アリスターも訳知り顔でうなずいてみせる。


「きっと小説の出来があまりに良すぎて、本当のことだと思い込んでしまったのだろうね。時々、聞く話だ。素晴らしい舞台の悪役は、私生活でも悪役のような生活をしていると思われてしまうことがあるそうだよ」

「まあ。あくまで舞台は舞台。現実とは別の世界のお話ですのに、困ったものですわね」


 新聞に掲載されている小説は、あくまで物語だ。舞台や登場人物、繰り広げられる出来事に類似性があったとしても、ただの偶然でしかない。それなのに鬼の形相で作者であるジェーンに向かって怒鳴り散らすだなんて、小説の内容は事実であると自分たちで公言しているようなものではないか。見るひとが見れば伯爵家がモデルであることは明白だとわかっていながら、ジェーンもアリスターも笑顔で言い切ってみせる。


 ジェーンは手紙の文面をもう一度確認し、小さく息を吐く。手切れ金として伯爵家に色を付けて支払ってもなお、ジェーンの手元にはまとまった額が残る。新しい生活に足を踏み出すには十分な金額だ。


「賞金は新聞社で受け渡すことになっている。小切手なんて同封しておいたら、何をされるかわからない」

「なんとも信用のないことですわ」

「ドラモンド伯爵家は信用できないという負の信頼はあるんだよ」

「あらまあ」


 くすくすと笑うジェーンに向かってアリスターは、エスコートを申し出た。この屋敷の中に、ジェーンにとって大事な物なんてない。ジェーンはアリスターの手を取ると、着の身着のまま屋敷を後にする。伯爵家の中の怒声はもうジェーンには届かない。薄暗い屋敷の外は、小春日和のあたたかさときらめきに満ちていた。


 新聞社に向かう馬車の中で、いたずらっぽく笑いながらアリスターがジェーンに問いかける。


「先ほど言っていたけれど、あの物語は完全な絵空事なのかな」

「まあ、ご存じのくせに」

「とはいえ、君の口から聞きたくてね」


 珍しくジェーンが不貞腐れたような顔になった。塩対応と言われるが、基本的に礼儀にうるさいジェーンが明確に不満を出すのは逆に珍しい。


「確かに私はどんな使い方をしてくれても構わないと書き添えておりました。私生活の切り売り上等、紙面にそのまま載せられる覚悟でアリスターさまに手紙を出しました。ですが一体全体どうして、懸賞小説に応募したことになっているのです」


 実はジェーンは身売りのような縁談が決まった後、アリスターに対して手紙を書いていた。それはジェーンが初めて書いたラブレターだ。もちろんジェーンはアリスターの家の住所なんて知らない。けれど彼は言っていたではないか。「誠実で一途な紳士、アリスターさま」と書いて新聞社宛に出してくれたら、どんな手紙だって届くのだと。切手がなくたって、君からの手紙なら罰金込みでも喜んで支払って受け取ると。


 プレイボーイのご自慢だと思いつつ、それでもジェーンは自分の身の上を書き連ね、アリスターに出会えて何より幸せだったと書いて送ったのだ。「ラブレターコンテストでも開いてみようかな」と話していたから、賑やかしとして出場作品のひとつとして公開されても構わないという覚悟だってあったのだ。ジェーンは賭けに勝ったといえる。とはいえそれがどうして、小説という形になっているのか。


「そもそもあんな薄幸の美少女は私ではありません」

「あの文章は君が書いたものをほぼそのまま出している。誰も勝手に書き換えたりなんてしていないよ」

「組み立て方と順番を変えてしまわれたでしょう!」

「あれだけのボリュームの手紙だったからね。僕の腕の見せ所だ」

「そもそも肝心のラブレター部分を一切合切抜いて、よく小説として組み立てましたね」

「君が僕にくれた愛の言葉を、なぜ赤の他人に見せてやらなければならないんだい?」


 アリスターの言葉に、ジェーンは首を傾げた。彼は伯爵家の醜聞を聞き出すために自分に近づいてきたのではないだろうか。アリスターがジェーンの頬に手を当てた。


「君は僕をあくどい新聞記者だと思いながら、それでも僕のことを愛していると言うのだね」

「馬鹿な女だとお思いですか」

「まさか。一目ぼれした女性に恋文を送られて喜ばない男なんているわけがないだろう? 肩書抜きで僕の話に付き合ってくれた君の存在がどれだけありがたかったことか」

「お茶につられただけかもしれませんよ」

「いつも遠慮ばかりしているくせに? ねえ、君のすべてを僕に教えて。絶対によそ見はしないから」


 嘘ばかりと思いながら、ジェーンの瞳がうるむ。その声に耳を傾けてしまう。


「愛しい君は、涙さえ甘いのだろうね」

「涙は塩分を含んでいますから、しょっぱいに決まっております」


 唇をわずかばかりとがらせながら、ジェーンは泣き笑いを続けた。ジェーンがアリスターの職業は新聞記者ではなく、新聞社のオーナーであることを知るのは新聞社に到着してからのことである。

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