思い出の水道水
登場人物
● おじいさん――何十年も前に住んでいた街を訪れる。昔よく飲んでいた水道水をもう一度飲むため、この街へやってきた。
『思い出の水道水』
電車の扉が開いた。
ゆっくりとホームへ降りたおじいさんは、駅の周りを見渡した。
●「……懐かしいなぁ」
ここに来るのも、何十年ぶりだろう。
おじいさんは、子どもの頃、この街で暮らしていた。
駅前に並ぶ店は、昔とは違うものになっていた。
●「ここに本屋があったんだけどなぁ」
おじいさんは記憶をたどりながら歩き始めた。
今日、この街へ来たのには理由があった。
昔の友人に会うためでもない。
観光でもない。
おじいさんは――
水道水を飲むために、この街へ戻ってきた。
*
しばらく歩くと、昔よく通った道に出た。
●「ああ……ここだ」
友達と何度も走った道だった。
転んで膝をすりむいたこともある。
あの頃の景色を思い出しながら、おじいさんはゆっくりと歩いていく。
やがて、昔、駄菓子屋があった場所で足を止めた。
●「…………」
そこには、別の店が建っていた。
●「なくなっちゃったか」
十円玉を握りしめ、友達と何度もお菓子を買いに来た。
そんな記憶だけは、今も残っている。
●「そりゃ、何十年も経ってるからなぁ」
おじいさんは少し笑って、再び歩き出した。
*
そして――
目的の場所へ着いた。
そこは、子どもの頃によく遊んだ公園だった。
●「……ここだ」
おじいさんは公園の中をゆっくりと見渡した。
遊具は新しくなっている。
昔とは景色も少し違っていた。
公園では、知らない子どもたちが元気に遊んでいる。
しばらく眺めていると、おじいさんは小さくつぶやいた。
●「……こんなに小さかったかな」
あの頃は、この公園がもっとずっと大きく感じられた。
友達と走り回っても、どこまでも続いているような気がしていた。
おじいさんは静かに笑った。
遊んでいる子どもたちに、昔の自分たちの姿が重なった。
そして――
公園の隅に目を向けた。
●「……まだあった」
昔と同じ、水飲み場が残っていた。
おじいさんはゆっくりと近づき、蛇口に手をかけた。
蛇口をひねる。
ジャーッ。
水が流れ出した。
●「…………」
おじいさんは手で水をすくった。
そして――
一口飲んだ。
●「…………」
冷たい水だった。
特別に甘いわけでもない。
高級な水でもない。
どこにでもあるような、ただの水道水。
それなのに――
おじいさんの頭の中に、昔の景色がよみがえった。
*
『暑ちぃー!』
『なぁ、あそこの蛇口で水飲もうぜ!』
『俺が先!』
『ずるいぞ!』
友達の声。
夏の日差し。
走り回った公園。
蛇口から水を飲んで、「冷てぇ!」とみんなで笑ったこと。
あの頃は、明日も同じようにみんなで遊べると思っていた。
そんな毎日が、ずっと続くような気がしていた。
*
●「……ふっ」
おじいさんは水飲み場の前で静かに笑った。
もう一度、水をすくう。
ゆっくりと飲んだ。
●「変わってないなぁ」
昔の街の雰囲気は、残っている。
けれど、昔あった店や、公園の景色は変わった。
あの頃、一緒に遊んだ友達も、今はここにはいない。
そして自分も――
おじいさんは蛇口を閉めた。
最後の一滴が落ちる。
ポタッ。
●「ごちそうさん」
おじいさんは水飲み場にそう言って、ゆっくりと公園を後にした。
*
帰り道。
おじいさんは、昔の面影が残る街並みを眺めながら駅へ向かった。
ただ水道水を飲んだだけなのに。
不思議と、来てよかったと思えた。
おじいさんは立ち止まり、振り返った。
遠くに、さっきの公園が見えた。
●「……また、来るか」
そう言って、おじいさんは微笑んだ。
ただ水の味が懐かしかったんじゃない。
あの頃、みんなと飲んでいた水の味が、懐かしかったんだ。
『思い出の水道水』
――終わり――
最後まで見てくれてありがとうございました。




