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思い出の水道水

掲載日:2026/08/24

登場人物

● おじいさん――何十年も前に住んでいた街を訪れる。昔よく飲んでいた水道水をもう一度飲むため、この街へやってきた。

『思い出の水道水』



 電車の扉が開いた。


 ゆっくりとホームへ降りたおじいさんは、駅の周りを見渡した。


●「……懐かしいなぁ」


 ここに来るのも、何十年ぶりだろう。


 おじいさんは、子どもの頃、この街で暮らしていた。


 駅前に並ぶ店は、昔とは違うものになっていた。


●「ここに本屋があったんだけどなぁ」


 おじいさんは記憶をたどりながら歩き始めた。


 今日、この街へ来たのには理由があった。


 昔の友人に会うためでもない。


 観光でもない。


 おじいさんは――


 水道水を飲むために、この街へ戻ってきた。


     *


 しばらく歩くと、昔よく通った道に出た。


●「ああ……ここだ」


 友達と何度も走った道だった。


 転んで膝をすりむいたこともある。


 あの頃の景色を思い出しながら、おじいさんはゆっくりと歩いていく。


 やがて、昔、駄菓子屋があった場所で足を止めた。


●「…………」


 そこには、別の店が建っていた。


●「なくなっちゃったか」


 十円玉を握りしめ、友達と何度もお菓子を買いに来た。


 そんな記憶だけは、今も残っている。


●「そりゃ、何十年も経ってるからなぁ」


 おじいさんは少し笑って、再び歩き出した。


     *


 そして――


 目的の場所へ着いた。


 そこは、子どもの頃によく遊んだ公園だった。


●「……ここだ」


 おじいさんは公園の中をゆっくりと見渡した。


 遊具は新しくなっている。


 昔とは景色も少し違っていた。


 公園では、知らない子どもたちが元気に遊んでいる。


 しばらく眺めていると、おじいさんは小さくつぶやいた。


●「……こんなに小さかったかな」


 あの頃は、この公園がもっとずっと大きく感じられた。


 友達と走り回っても、どこまでも続いているような気がしていた。


 おじいさんは静かに笑った。


 遊んでいる子どもたちに、昔の自分たちの姿が重なった。


 そして――


 公園の隅に目を向けた。


●「……まだあった」


 昔と同じ、水飲み場が残っていた。


 おじいさんはゆっくりと近づき、蛇口に手をかけた。


 蛇口をひねる。


 ジャーッ。


 水が流れ出した。


●「…………」


 おじいさんは手で水をすくった。


 そして――


 一口飲んだ。


●「…………」


 冷たい水だった。


 特別に甘いわけでもない。


 高級な水でもない。


 どこにでもあるような、ただの水道水。


 それなのに――


 おじいさんの頭の中に、昔の景色がよみがえった。


     *


『暑ちぃー!』


『なぁ、あそこの蛇口で水飲もうぜ!』


『俺が先!』


『ずるいぞ!』


 友達の声。


 夏の日差し。


 走り回った公園。


 蛇口から水を飲んで、「冷てぇ!」とみんなで笑ったこと。


 あの頃は、明日も同じようにみんなで遊べると思っていた。


 そんな毎日が、ずっと続くような気がしていた。


     *


●「……ふっ」


 おじいさんは水飲み場の前で静かに笑った。


 もう一度、水をすくう。


 ゆっくりと飲んだ。


●「変わってないなぁ」


 昔の街の雰囲気は、残っている。


 けれど、昔あった店や、公園の景色は変わった。


 あの頃、一緒に遊んだ友達も、今はここにはいない。


 そして自分も――


 おじいさんは蛇口を閉めた。


 最後の一滴が落ちる。


 ポタッ。


●「ごちそうさん」


 おじいさんは水飲み場にそう言って、ゆっくりと公園を後にした。


     *


 帰り道。


 おじいさんは、昔の面影が残る街並みを眺めながら駅へ向かった。


 ただ水道水を飲んだだけなのに。


 不思議と、来てよかったと思えた。


 おじいさんは立ち止まり、振り返った。


 遠くに、さっきの公園が見えた。


●「……また、来るか」


 そう言って、おじいさんは微笑んだ。


 ただ水の味が懐かしかったんじゃない。


 あの頃、みんなと飲んでいた水の味が、懐かしかったんだ。


『思い出の水道水』


――終わり――

最後まで見てくれてありがとうございました。

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