湘東学園剣道部の法条みゆきは、不調に陥る主将の桐生心に想いを寄せていた。バレンタインの日、みゆきは桐生が慕う京子先輩とライバル高梨が実の姉弟であることを明かし、桐生の心を救いながら失恋に前を向く。
・・私は、私であることを何時も望んでいることを知っている。
・・私は、卑怯で、寂しくて、悲しい自分を知っている。
・・それでも、前を向こうとしている自分を知っている。
・・ちょっとの勇気を持てる自分をしっている。
・・桐生君の想いを知っている。
・・京子先輩の想いを知っている。
私は、自分の名前が好きだ。
法条みゆき。
ひらがなが、柔らかな響きを与えてくれる。
名前の響きのように、私は、いつも柔らかに生きていきたいと思うようになった。
けれど、学校でのあだ名は ツン子 ・・・・。
私の総体がそういうあだ名を付けさせたのだから、私は甘んじて受け入れている。
湘東学園へ入学したのは、何かの目的があったからじゃなかった。
単に、家から一番近い中高一貫校だったからだ。
小さな頃から両親は共稼ぎで、学校から帰った私は、一人ぽつんと家に閉じこもって、本ばかり読んでいる子だった。
友達はみな塾へ通い、私立中学を目指していた。
そんなの無理だとわかってたけれど、冗談で、私も私立に行きたいってお母さんに言ったら、二三日して、私の机の上に湘東学園のパンフレットと願書が置かれていた。
家から歩いて通える私立校。思いもよらなかった出来事に、私は興奮を抑えきれず、夢中で勉強した。
きっと、そこへ行けば、友達がたくさんできる。でも、本もたくさん読みたい。そうだ、どんな部活があるんだろう。自分の中でどんどん夢が広がって行った。
春。
私は、湘東学園中等部へ入学した。
おそろいのブレザー。ちょっと大きめだけど、気にならなかった。
けれど、一ヶ月もすると、その真新しいブレザーに、次第に不純物が付いて行く。
気に入った者たちがグループを作り、迎合され、グループの中での自分を演じ始める。
私は、そういう雰囲気の中で、自分を無くしていくことを嫌った。
そして、嫌っている内に、友達をなくし、気づいてみれば、クラスの空気の総体に取り残されている自分を知った。
部活動の体験入部が始まった。
何の気なしに、のぞいた剣道の道場。
古風で、古典的な胴衣をまとった女の子が竹刀を振っている。
真っ白な胴衣。
長い黒髪。
一点を見つめる切れ長の目。
なんて凜々しいんだろ・・・・
私は、一瞬にしてその姿に魅了された。
剣道部に入る為には、胴衣と防具が必要だと知った。
けっこう高額・・・・。
私は、自分の居場所はここしかないと決心し、再び両親に無心した。
出世払いで必ずお返しします。
こうして、私は、剣道がどういうものであるのかさへも知らずに、あの姿に憧れて、剣道部に入部した。
入部して直ぐに、あの黒髪の女の子が、一つ上の音羽京子先輩であることを知った。
京子先輩は、小さい頃から剣道道場に通っていた様子で、他の部員達や上の先輩達よりも飛び抜けた実力を身につけていた。
そして、誰よりも優しかった。
何も分からない私に、一から剣道を教えてくれ、いつも私を褒めてくれた。
そして、京子先輩は、私の憧れの存在となっていった。
次第に剣道そのものにのめり込んでいった私は、クラスでのツン子という自分が全く気にならなくなり、私は私であることを貫けるようになっていた。
中等部二年生になった頃、誰もが近づきたくても近づきがたい雰囲気のある京子先輩に、ヅケヅケとため口をたたいている同学年の男子部員がいることに気づいた。
しかも、京子先輩の方も、その男子部員をからかって楽しそうに会話している。
桐生心。
一年生なのに、彼の胴衣だけ、どんだけ着古したのって感じで、原型の色さへも識別できないほどよれよれになっている。
同級生の部員達に聞いてみると、あの男の子と京子先輩は幼なじみであるらしい。
最初は気にならなかった。
けれど、あのよれよれの胴衣の男子は、防具を着けた瞬間。別人に変わったように見えた。
同級生で彼にかなう者はなく、上級生でも彼の竹刀の振りに追いついている先輩はいないように感じた。
そして、何よりも竹刀を握った立ち姿が誰よりも奇麗で、その動きに優美ささえ感じた。
同級生の女子部員の間では、彼の噂話が絶えない。
噂話というのは、無意識のうちに自分の心に変化を与える。
何故なのか分からないが、私は稽古中に、桐生君に視線が向いている自分に気づかされていた。
中等部三年に入って、ある事件があった。
それまで顧問となっていた先生が、突然辞任し、他の高校へ行ってしまった。
そして、同じ時期、京子先輩と桐生君の間に、それ以前とは全く違う雰囲気が生まれていた。
私には、桐生君が京子先輩を避けている様に見えた。
高等部にそのまま進学した私は、桐生君と同じクラスとなった。
高等部といっても、中等部がそのままクラス替えしたようなもので、だから、私は、中等部の時と同じ様に、ツン子というあだ名が踏襲され、一人の世界をかたくなに継承し続けた。
誰とでも直ぐに友達になれる。
誰に対しても分け隔てなく接している。
彼の一言で、淀んだ空気が一変する。
桐生君の印象は、そういうものだった。
クラスメイトが私の存在を忘れてしまっているような時、いえ、そんな時に限って、桐生君は、私に声をかけてきた。
私が、いくらぶっきらぼうな返事をしても、桐生君は変わらない態度で私に接してきた。
そして、いつの間にか、桐生君の存在は私の心の大部分を占領しはじめ、それを否定しようにも否定できなくなっていた。
高等部一年の秋、剣道部に新しい顧問の先生が就任した。
不思議なことに、また、それと同時に、京子先輩と桐生君との関係が、以前のようにとは言えないが、改善方向に向かっているように見えた。
私は、私自身の気持ちに初めて戸惑った。
桐生君・・・私の方を見て・・・・
新しい顧問の先生のご指導で、湘東学園剣道は再生し、厳しい稽古の中に埋没して行った。
年が明け、京子先輩にとっては最後の年となる大会が連続して行われる。
厳しい稽古の中でも、京子先輩は、桐生君を気遣い、桐生君の視線も常に京子先輩にそそがれていた。
八月。
インターハイ全国大会で、私たちは、京子先輩に団体戦出場をプレゼントできない悔しさに泣いた。
それでも、京子先輩は黙々と自分の道に邁進し、個人戦でベスト十六の結果を出した。
憧れの先輩。私を剣道に導いてくれた先輩の引退は辛かった。
けれど、もう一人の私が、桐生君を独占できると思っている。
私は、そのもう一人の私が大嫌いだった。大嫌いだけど、どうしようもできない自分が悲しくて、辛かった。
九月の試験が終わってから、新主将になった私と桐生君は、稽古のない月曜日の放課後には、一緒に帰りながら、部活運営のことについて話しあった。
そして、時々、私から誘って、二人でファミレスに入って、教室では絶対しない無駄話を二人で楽しんだ。
十月、十一月と季節は変化して行く中、私と桐生君との間は前よりもずっと近づいたような気がした。
いつの間にか、名前で呼び合うようになったし、部活や教室での出来事以外の事を話すようになり、それがものすごく楽しく感じる様になった。
その事件は、十一月の初旬のできごとだった。
珍しく、他校との練習試合が組まれなかった日曜日。
私は、桐生君を映画に誘った。エバー・アフターというシンデレラをモチーフにしたすてきな映画だ。
私は、ツン子のイメージを覆すべく、今まで着たことのない、派手な服装で家を出た。
シネコンで待ち合わせて、チケットを買おうとした時、桐生君が、同時上映していたオーメンリバイバルに目を付け、こっち見ようよと言ってきた。
わたしは、はぁ・・・てため息を付いて、桐生君の思うようにさせた。
どんな映画でもいい。
桐生君と一緒に居られる時間の方が大事なんだから・・・
予想通り、怖くて、映画の半分も見られない状況となり、二人はシネコンを出て街を歩いた。
遠く、前方に防具袋を担いだ男子と、ほっそりとした黒髪の女の子が見えた。
次第に、その防具袋が近づいてきて・・・・私は驚愕した。
京子先輩・・・
崇徳学園の高梨君・・・・
はぁっ!と私は我に返って桐生君の横我を見た。
お、鬼の形相・・・・
京子先輩は桐生君を見ずに俯いたままだった。
私は、とっさに桐生君の腕を掴んで、その場から離れた。
桐生君は、放心状態となって・・・
帰る。
と一言突然言って、私を一人置いて、帰宅してしまった。
私は、悩みぬいた末、京子先輩にメールで聞いてみることにした。
何故、京子先輩が高梨君と・・・・
京子先輩からの返信には、こう書いてあった。
誰にも話したことないんだけど、私には小さい時に別れた実の弟がいるんだ。
それが、高梨君。
でも、これはシンちゃんにも言ってないの。いろいろ家族の問題があって・・それに、シンちゃんの試合に影響しちゃいけないと思って、話してないの。
だから、この事は、みゆき一人の胸にしまっておいてね・・・・。
シーズンインとなる神奈川県新人剣道大会個人戦が十一月の末に開催された。
私は準優勝となったが、問題なのは桐生君だった。
普段の稽古の時はそれほど感じなかったが、試合では全く精彩を欠き、なんと三回戦目で敗れた。
原因は、分かりすぎるくらい明確だった。
年を越して、全国高等学校選抜大会神奈川予選団体。私たち女子部は、優勝を果たしたが、なんと、男子が四回線で敗退してしまった。
勝ち数、本数が同じで迎えた代表戦に出場した桐生君は、やはり精彩を欠き、面一本を取られて負け試合となった。
判りすぎるよ・・・桐生君・・・・
このままではだめだ。桐生君個人だけの問題ではないことは分かっている。
けれど、それは、私自身の問題でもある。
私は、心を捨てられるの? それでいいの・・・。
何度も、何度も、私は私自身に問い返した。
二月十四日。
バレンタインデーの日。運よく月曜日。
私は、桐生君の靴箱の中に、一通の手紙を入れた。
果たし状
本日、十六時、江ノ島西海岸でまつ!
みゆき
その時刻に、江ノ島西海岸に行くと、桐生君が、ぼうーと、海を見つめていた。
私に気づいた桐生君は、
「なんだよ、果たし状って」
と不機嫌に言った。
私は、昨日徹夜して制作した、タンタンの顔型のチョコレートをラッピングして、桐生君に、あげるって言って渡した。
桐生君は、あっけにとられた顔で、それを受け取って、中見ていいって聞いてきた。
私は、いいよって言って、桐生君の横に座った。
桐生君は、タンタンの顔型チョコレートに単純に喜んでいる。
私は、大きく深呼吸を一つして、話し始めた。
「シン・・・私を色で例えたら・・何色?」
俯いたままの、何気ない質問だった。
「あっ・・うん。そうだな・・・グリーン・・かな」
「・・・・グリーンか・・・そうなんだ・・・」
「ん、あっ・・でも、明るいグリーンでさ、光合成いっぱいしそうな色」
「じゃあさぁ・・・・・・・音羽先輩は・・何色?」
「んっって、なんでそんなこと聞くんだよ」
「いいから答えて!」
いきなり語気を強めて、真剣なまなざしで桐生君を見つめる。
それに圧倒されて、答えざるを得ないように、
「・・ぅ・ん・オレンジ色」
「・・・・・・」
無意識に私は、キッと桐生君を睨んだ。
でも、その目が次第に緩んで、そして、寂しい目に変化していくのが自分でも分かった。
「シンはね・・・水色なんだよ。中学の時からずっと・・・」
波の音だけが、二人を包む静寂・・・・
「私・・・知ってたよ」
「・・・・・・」
「シンが、ずーと、オレンジ色が好きだったってこと」
「・・・・・・」
「それでね・・・」
ひとしずくの涙が、私の頬を伝っていく。
「それで・・・オレンジ色があんまりまぶしくて、グリーン色なんか、シンの目に映ってこないの・・・どんなに輝こうとしても、適わないの・・・」
「・・・そんなこと」
「あるの。今も・・・この先もずっと・・・」
夕陽が傾きを深め、オレンジ色に変化して行く。
俯いたまま、静かに私は言った。
「私・・・水色が好きよ。ずっと前から・・そして今も」
「・・・・・」
「だけど、あの時、はっきり判ったの」
「・・あの時?・・」
「京子先輩と高梨君が一緒に歩いてた時・・・私たち偶然鉢合わせしちゃったじゃない」
「・・ん・・あぁ・・そだな」
「あの時、シン。どういう顔してたと思う?」
「・・べつに・・普通・・だったよ」
私は急に顔を上げ、泣き笑いの顔になる。
「うそばっかり。あの時のシンの顔ったら、ビクッって驚いてポカンとしてたと思ったら、急に仁王みたいに怒り顔になって今にも高梨君に飛びかかるんじゃないかって顔してたよ。あんな顔、今ままで見たことなかった」
「そ、そんなことないよ・・・」
心の波形を元に戻すように、私は笑顔をつくっていく。
「その後、シン、急に不機嫌になっちゃって、私が何話しても上の空だし。ほんと、失礼なやつだったんだから」
「・・・・・・」
うーーんと、一つ背伸びをして、私は立ち上がった。
その目には、もう涙は無かった。
「私がどんなにがんばっても、シンの心の中にあるオレンジ色は消せないの」
「・・・・・・」
「でもね・・・」
「・・・」
「何年か先、、いえ、それ以上かかるかも知れないけど、私の大好きな水色が、空にとけて透明になるまで、好きっていう気持ちを続けていくの」
「・・みゆき・・・」
オレンジ色から赤に変化した夕陽は、淡い紫色へ変化していった。
「シン。知ってた?」
「・・・何をさ・・・?」
「京子先輩をおもいっきり裏切っちゃうね」
「裏切る?」
「高梨君・・・京子先輩の血のつながった弟なんだよ」
「へぇ?・・・・・・・」
驚いている桐生君の顔を私は楽しげに覗き込んだ。
そして自慢げにこう言った。
「安心したでしょ?・・だから、桐生君はオレンジ色以外、好きになったらだめなんだからね」
私は、いつもの私自身に戻っていた。
私達は、その後何事もなかったように駅で別れた。
別れぎわ、私は、笑顔で桐生君に手を振った。
桐生君は、何かを必死に言おうとしたが、私は、それを無視するように、けっして振り返らず、前を向いて歩き始めた。
今の自分と決別する様に・・・・・




