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運命の番は祝福か?呪いか?

運命の番は祝福か?呪いか?

掲載日:2026/04/27

運命の番とは、獣人にとって祝福である。

それは古くから語り継がれてきた。


獣人たちは皆、幼いころから聞かされる。いつか神が選び給うただ一人と出会うのだ、と。その瞬間、世界は色を増し、胸の奥に満ち足りた光が灯るのだ、と。


番に出会えた者は幸いだ。

番に出会えぬまま生涯を終える者は、どこか欠けたままなのだ、と。


――それが、彼らの常識だった。


***


アンネ・ラッセルは男爵家の長女だ。

亜麻色の髪に同じ色をした瞳。光を受ければ柔らかく揺れるそれらも、宝石のような鮮烈さとは無縁で、とりたてて語るほどの特徴はない。どこにでもいそうな、人間の娘だった。


けれど、爵位こそ高くはないが、彼女は精一杯勉学に励んできた。同時にマナーも懸命に身につけた。

そのお陰で、貴族の子息子女が通う王立学園を常に上位の成績で修め、卒業後は外務局へ。言ってしまえば、外交官の下働きとして配属された。


書類は山のように積み上がり、上官たちは揃いも揃って一筋縄ではいかず、振り回される毎日。

それでも、華やかな舞踏会よりも書類仕事の方が自分の気質に合っている自覚はあった。アンネはこの仕事に満足していた。


そして――。


「アンネ、無理はするなよ」


アンネの隣りには、いつだって彼が居た。


ヤコブ・ベネット。

男爵家の三男。彼もまた爵位は低いが、堅実で、誠実で、何より真っ直ぐな人間だ。

二人は学園時代からの仲だった。

同じ図書室で夜遅くまで課題に取り組み、互いの弱音を知り、それでも隣にいた。

派手な恋ではない。だが確かに、積み重ねてきた時間が二人にはあった。


「出世しても、僕を置いていかないでくれよ」


冗談めかしたその言葉に、アンネは微笑み返した。


「さあ、どうかしら? 沢山働いて、ばんばん出世しちゃうかもだからな~」


肩をすくめてみせれば、


「おいおい」


と、困ったように笑い返される。そのやり取りすら、どこか心地いい。


「なんて、嘘よ。置いていくわけがないでしょう。わたしとあなたは婚約者なのよ、……ずっと一緒よ」


その言葉にヤコブは一瞬だけ目を見開き、照れたように目を細める。

未来を語るたび、ふたりの頬は少しだけ熱を帯びる。穏やかで、変わらない日常。それが、これからも続いていくのだと――疑いもしなかった。


***


その日、外務局の空気がわずかに張り詰めた。

封蝋の押された緊急通達。隣国の獣人国との正式な国交交渉が決定したという知らせだった。


長く緊張状態が続いていた隣国。文化も価値観も、人間とはまるで違う種族。

若手も数名、視察団に加えるという。そのなかに、アンネが選ばれた。


「ラッセル子爵令嬢。学園での成績と語学力を評価しての抜擢だ」


名前を呼ばれた時、胸の奥がかすかに震えた。驚きと、緊張。そして、じんわりと広がっていく確かな手ごたえ。努力が認められた証拠だと感じた瞬間だった。


休日、アンネはヤコブにその報せを伝えた。彼は目を丸くし、それから大きく笑う。


「すごいじゃないか。おめでとう! 俺も誇らしいよ」


「少しの間、会えなくなってしまうけど……」


「たった2カ月だろ。今までずっと一緒にいた期間を思えばなんて事ないさ」


軽く言うが、指先がわずかに強く彼女の手を握る。

その温度が、名残惜しさを物語っていた。


「でも、そうだな……」


ヤコブは一度だけ視線を伏せ、覚悟を決めるように言った。


「なあ、帰ってきたら……結婚しよう」


ほんの数秒、言葉の意味が胸に落ちてくるまで、時が止まったようだった。


「……っ」


「もともと、仕事が落ち着いたらって話だったろ」


ヤコブは少し照れたように笑いながら続ける。


「俺も職場に慣れてきた。いい頃合いだと思うんだ。……もう、待たせたくない」


待ちに待った言葉だった。アンネは頬を染めながら頷いた。

声にすれば、胸の奥から溢れ出しそうで――うまく言葉にならなかった。ただ、必死に頷く事しか出来ない。

嬉しかった。嬉しさのあまり、視界が涙で滲む。


「……泣くほどか?」


困ったように笑うヤコブの声が、少し震えている。からかうふりをしているくせに、彼の目元もわずかに赤い。

アンネは涙を拭いながら、かすれた声で答えた。


「だって……ずっと、待ってたから。嬉しかったんだもの」


子どものような言い方に、自分でもおかしくなって、ふたりで小さく笑い合った。


将来は、共に地方赴任して、小さな屋敷で暮らそうか。

子どもは二人くらい欲しいな。きっと、賑やかになるよ。

忙しい日々の合間にも、紅茶を飲みながら二人で語り合う時間を作ろうね。


燃え上がるような恋心はなくとも、

ただ、同じ歩幅で、同じ景色を見ていけるなら――。


そう信じて、アンネは獣人国へと旅立った。

彼と並ぶ未来を、疑うことなく。



獣人国の王都は、予想以上に発展していた。


堅牢な石造りの城壁が街を囲み、遠くに見える城が空高くそびえている。門をくぐれば、広い石畳の通りに整然と店が並び、市場には活気ある声と香辛料の匂いが満ちていた。


そして何より目を引くのは、人々の姿だった。

狼や狐、猫、豹――種族ごとに異なる耳や尾が揺れ、感情に合わせてぴくりと動く。毛並みの色もさまざまで、なかには鱗の肌を持つ者もいた。


視察団は王宮へ通された。

高い天井と白銀の石柱に囲まれた謁見の間で、アンネはそっと顔を上げる。


玉座に、ひとりの青年が座していた。

黄金の髪に、威厳を湛えた黒曜石の瞳。長身で、広い肩に無駄のない体躯。通った鼻梁と、涼しい目元。神が気まぐれではなく、丹念に彫り上げた彫像のような、ひとつの隙もない美貌。


獅子の獣人だと聞いている。

その証拠に豊かな髪と同じ色をした耳が、頭上に立っている。背後では長くしなやかな尾がゆるやかに揺れていた。

その名は、ルスラン・ザハルディア。獣の国を統べる、若き獅子王。


ふと。

彼の視線が、まっすぐアンネを射抜いた。


その瞬間――彼の瞳が揺れた。次いで、息を呑む音。

空気が、変わった。

彼の表情が、驚愕から、歓喜へと塗り替わる。


「……ようやく、出会えた」


低く、押し殺したような声だった。

周囲の獣人たちがざわめく。


「まさか……ッ」

「彼女が殿下の……!?」


彼は王座から立ち上がり、一歩。また一歩とアンネへ歩み寄る。

その瞳に宿るのは、疑いのない歓喜だった。


「ああ、神よ……感謝する」


そう呟いたあと、彼は告げた。


「あなたが、俺の運命の番だ」


その言葉が落ちた瞬間、広間は歓声に包まれた。獣人たちは頭を垂れ、祝福の声を上げる。まるで、長く待ち望まれていた奇跡が、今ここに成就したかのように。

アンネは、あまりに突然のことについていけない。ふるふると頭を振り、逃げ場を探すように視線を彷徨わせた。


「番? 運命の番って、なに?」


掠れた声が、驚くほど弱弱しく響いた。

気づけば、彼はすぐ目の前に立っていた。大きな手が、彼女の手を取る。


「あなたのことだよ。俺の、運命の番……。ああ、愛しき人――」


囁きは甘く、確信に満ちている。

その手の甲に、そっと口づけが落とされる。


しかし。運命の相手と言われても、アンネの胸に浮かぶのは、別の顔だった。

祖国で待つ青年。不器用に笑う、あの人。

違う! 私が望んだ未来はこの人じゃない――。


けれど。

王の視線に射抜かれて、心臓がぎゅっと締め付けられるような痛みを覚える。そこに宿るのは、疑いようのない熱情と、決して逃がさないという強い意志。

そのまなざしに、はっきりとした恐怖を覚えた。


ああ――この人からは逃げられない。

理屈ではなく、本能がそう告げていた。


獣人の王は、そのままアンネを抱きしめる。

腕の中にいるのが運命の番だという事実だけで、彼の胸は歓喜に震えていた。長く探し求めた奇跡を、ようやく手にしたのだと手に入れた幸せに浸っていて、腕の中の彼女の絶望には、ついぞ気が付かなかった。


運命の番とは、獣人にとって祝福だった。

では、

人間にとっては――?


***


王の運命の番だと判明したその日から、アンネは事実上、囚われの身となった。

王の運命を帰すわけにはいかないと、帰国は禁じられる。


番を得た獣人は、理性より本能が優先される。

王はアンネを決して離さなかった。

無論、国際問題へと発展した。人間の国は強く抗議し、使節は幾度も交渉の席についた。


しかし、獣人国は一歩も引かなかった。

番を引き離すことは、王の命を脅かすに等しい――そう公然と宣言されたからだ。実際、アンネを遠ざけようとしたわずかな時間でさえ、王は苛立ちと焦燥を隠さなかった。


やがて交渉は膠着し、妥協案として提示されたのは「正式な婚姻」だった。

囚われのアンネに会うため、父が獣人国へやってきた。

そして娘に会うなり、深く頭を下げた。


「……アンネ、すまない。これが……両国にとって最良の選択なのだ」


押し殺した声が、重く落ちる。

顔を上げた父の表情は、見たこともないほどに疲れ切っていた。


「獣人にとって、運命の番は絶対だ。お前が番である以上、獣人王は決して手放さないだろう。拒めば国交は破綻する……最悪の場合、戦争になる」


外交問題、戦火の可能性。子爵家ひとつの意思で抗える規模ではなかった。

獣人は人間より体格に優れ、戦闘力も高かった。しかも、その国土は祖国よりはるかに広い。その国と戦えば、祖国がどうなるかなど、もはや想像するまでもなかった。


「ヤコブも……」


「ヤコブ!? ヤコブも来ているの!?」


愛しい男の名前に、アンネは身を乗り出した。

だが、父は首を振った。


「ヤコブも……何度も面会を求めたんだがな。それは叶わなかった……」


「そんな……」


アンネは幼なじみのヤコブを、愛している。

幼いころから積み重ねた時間の中で、ゆっくりと育った確かな想いだ。彼の不器用な優しさも、努力家なところも、誰より知っている。

将来を誓いあったのだ。帰国したら、正式に婚約を結ぶと。

それなのにーー。


やがて父は帰国し、アンネは再び王宮の一室へ戻された。

重い扉が閉ざされると、現実が音を立てて迫ってきているようだった。


昼は静かに過ぎていく。

逃げ場のない部屋で、ただ時間だけが削られていく。


そして夜になると、廊下の向こうから足音が近づく。

夜ごと、王は訪れた。


「怖がらないでいい」


低く甘い声で囁く。


「君は俺のすべてだ。どんな願いでも叶えよう。何がほしい、何をしてほしい……?」


その言葉に嘘はない……のだろう。彼の瞳は、溢れ出すほどのアンネへの愛に満たされていた。


アンネは震えた。

私は、あなたを愛していない。そう言いたいのに、声が出ない。


「それなら、お願いです。私を帰して……」


かすれながらも、そう訴えた。

王は苦しげに眉を寄せた。


「……それは、できない」


拒絶された瞬間、彼の尾が大きく揺れ、室内の空気が張り詰める。

番を失う恐怖。その気配が、獣のように滲む。


「君がいないと、息もできないんだ。どうか、俺の側を離れないでくれ」


それは比喩ではなかった。獣人にとって、番は生存本能に近かった。


「俺を受け入れてくれ、運命の人よ」


アンネは理解する。

望まないにしろ、自分はこの獣人の王に嫁がなければならないのだと。


***


婚礼は急だった。アンネの意思を置き去りに、外堀だけが瞬く間に埋められていく。

獣国の威信を懸け、彼女は美しい純白のドレスを纏わされた。贅を尽くした衣装はあまりにも華やかで、平凡な容姿をした自分には不釣り合いに思えて、アンネは苦笑いを浮かべた。鏡に映る花嫁を見ても現実感が沸かない。まるで、覚めない悪い夢を見ているようだ。


王宮の大聖堂に祝福の鐘が鳴り響く。

獣人たちは涙を流して喜んだ。


「王が番を得られた」

「これで、国は安泰だ!」


ヴェール越しに、アンネは扉の向こうを見つめる。

そこにいるはずのない人の姿を、無意識に探してしまう。ヤコブは来られない。来たとしても、何もできない。


「愛すると誓いますか?」と神父が問う。


「愛すると誓う」


「……」


即座に返された声は、揺るぎない。アンネは何も返せなかった。

王は力強い手で彼女を抱き寄せるた。うっとりと細められた黒い瞳に、アンネは静かに目を閉じた。


(……ああ。ごめんなさい、ヤコブ)


心の中で、たった一人に向けて呟く。

抗うことも出来ないまま、口づけを受け入れた。


***


その日から、アンネは獣人国の王妃となった。


王は惜しみなく愛情を注いだ。宝石も、衣装も、庭園も、彼女が望むかどうかに関わらず、国の最高級品のすべてが与えられた。

朝は共に食卓につき、昼は政務の合間を縫って顔を見せ、夜は必ず彼女の部屋を訪れる。片時も離れまいとするその執着は、周囲から見れば理想の寵愛そのものだった。


「まあ、なんて羨ましいの」

「王にあれほど愛されるだなんて――」

「元はしがない男爵令嬢なのでしょう? それが王に見初められるなんて、まるで夢物語のよう」


侍女たちは頬を染め、貴婦人たちは妬ましそうに囁き合う。

誰の目にも、アンネは幸福の象徴だった。


「……」


やがてアンネは、少しずつ現実を受け止めようとした。せめて王妃として何か役目を果たしたい。政務に関わりたいと願い出る。

だが返ってくるのは、決まって同じ言葉だった。


「王妃様の仕事は、王に愛されることです」

「あなたが無理をする必要はありません」


いくら頼んでも許されず、求められるのは世継ぎを産むことだけ。

かつては仕事に生きがいを感じていた。外交の場で発言し、国と国を繋ぐ責任を担うことに誇りを持っていた。

けれど、今はどうだろう。ただ美しく着飾り、愛されるだけの日々。

それは甘やかな牢獄だった。

アンネの精神は、少しずつ、確実にすり減っていった。微笑みは形を保っていても、瞳の奥の光は日に日に薄れていく。


その変化に、ようやく獣人の王も気づいた。

夜、寝台の端に腰かけた彼は、苦しげに問いかける。


「なぜ……あなたは俺を愛してくれない?」


黒曜石の瞳が揺れる。


「運命の番だというのに……」


縋るような声音だった。

絶対のはずの祝福が、思い通りに実らないことへの戸惑い。

やがて、低く押し殺した声で続ける。


「……婚約者だったという男のことが、忘れられないのか」


室内の空気が、ひやりと冷える。

アンネは俯いたまま、答えない。否定も、肯定もできなかった。

沈黙こそが、何より雄弁だった。


「そこまで、一途に想い続けるのか。……だが、その男はあなたのことを忘れたようだよ」


静かに落とされた言葉に、アンネは顔を上げた。


「……え」


かすれた声が喉からこぼれる。

王はじっと彼女を見つめていた。黒い瞳の奥に、わずかな翳りを滲ませながら。


「あなたの祖国からの報せがあったよ。彼は家の意向で、別の令嬢と縁談を進めているらしい」


淡々とした口調。

だがその視線は、アンネの反応を逃すまいと鋭く光っている。


「あなたを待ち続ければ、立場が危うくなる。賢明な判断だろう」


胸の奥で、何かが音を立てて崩れた。

忘れた? あのヤコブが?

信じたくない。けれど、ここに閉じ込められた自分に、確かめる術はない。

嘘よ、嘘。嘘……。

否定する言葉すら、喉に張り付いて出てこなかった。

王の指が、そっとアンネの頬に触れる。


「あなたがどれだけ想い続けようと、彼はもう別の女のものだ。彼の事は忘れなさい」


低く、甘く囁く。


「あなたの居場所は、ここだ。俺しかいない」


優しい声音。うっとりと細められた瞳、歓喜に歪んでいる。

けれどその優しさに、今度こそアンネの心は音を立てて崩れた。


好きでもない男に抱かれ続ける日々。何ひとつ選ぶことを許されない立場。限界が訪れるのも、無理はなかった。

アンネは泣いた。声を殺し、夜ごと枕を濡らした。

やがて悲しみは、ゆっくりと形を変える。冷たく澱んだ感情は、次第に恨みへと沈殿していき、獣人の王を恨むようになった。


とはいえ、一国の王に刃を向ける術などない。

夜伽の最中に命を狙うことも現実的ではなかった。体格差は歴然で、獣人は人間よりはるかに強い。


ならば、とアンネは密かに決心する。

別の復讐方法を、と。

祖国の事を思えば、決して選ぶべきではなかった。

けれど、心は限界だった。自分を獣人の国に差し出した祖国と父。別の女と結婚した元婚約者のヤコブ。仕方がないと、理解している。……断れないとはいえ、別の男と結婚したのは自分が先だった。

「それが貴族の務めよ、受け入れなさい」と、何度もそう言い聞かせた。理屈では理解していても、積み重なった疲労と諦念が思考を鈍らせていく。

とにかく……、此処から逃げたかった。


真夜中、ひとりきりの寝台。

人の目をかいくぐり、彼女は隠し持っていた小さな刃を取り出した。

震える指で、それを喉元へとあてる。


王の黒い瞳が脳裏に浮かぶ。

幸福に満ちた顔。


(運命の番が祝福ですって? ……ふざけないで)


ありし日の光景が、鮮やかによみがえる。

柔らかな陽だまりのなかで微笑んでいた、彼。少し照れ臭そうに、それでも真っすぐに差し出された手。

重ねた指先の温もり。交わした約束。


わたしの未来は、確かにそこにあったのに――


(……奪われた)


運命の番と呼ばれた瞬間、すべてを奪われた。


(あなたにとっても――この祝福が、呪いになればいい)


かすれた祈りのような呪詛を胸に、アンネは、自らの首を掻き切った。

温かな血が、白いシーツをゆっくりと染めていく。

ぐらりと身体が崩れ落ちたとき、遠くで誰かの叫び声がした。侍女か、護衛か、それとも――。


視界が揺れる。

天井の装飾が滲み、やがて赤に染まった。


(これで、終わる)


そう思った。次の瞬間、獣の咆哮が王宮を震わせた。

叩き壊される勢いで扉が開き、大きな影が駆け込んでくる。アンネを抱き上げた腕は、恐ろしいほど震えていた。


「アンネ……アンネ!」


あれほど満ち足りていた声が、今はひび割れ、悲鳴に近かった。


「誰か、医官を呼べ! 早く――!」


血に濡れた彼女の身体を抱きしめ、ルスランは何度も名を呼ぶ。

漆黒の瞳から涙が零れ落ち、一粒。また一粒と、アンネの頬へ落ちていく。


「なぜだ……なぜこんなことを……」


その問いにアンネは答えなかった。薄れゆく意識の中で、アンネはかすかに思う。

あなたが望んだ“祝福”は、私にとっては、足枷でしかなかった。逃れるにはこれしか方法がなかったのだと。


王の腕の中で、彼女の呼吸は次第に弱まっていく。

ルスランは番を失う恐怖に、じわじわと襲われていた。


獣人にとって、番は生きる意味そのもの。

それを自らの手で壊してしまったのだと理解したとき、王は初めて悟る。


愛していた。確かに愛していたはずだった。だが、その愛は一方通行だったのだ。傲慢にも「運命」という言葉で縛り付けるだけで、彼女を理解しようとしなかった。

祝福だと信じ込み、彼女の心を見ようとしなかった。

人間は運命の番を感じられないことを、もっと理解していれば――あるいは……。


「逝くな……頼む……」


懇願は、夜に溶ける。アンネの呼吸は細くなっていき、

やがて――


王宮から祝福の鐘が鳴ることは、二度となかった。

目の前で番を失った獣人の王は、その日を機に気が狂ってしまった。

ものが喉を通らず、水さえ受け付けなくなっていき、眠ることも叶わず……衰弱して死んでいった。


果たして――

運命の番とは、祝福だったのか。

それとも、呪いだったのか。


少なくとも、彼らに幸福をもたらさなかった。

それだけは、確かだった。


「面白い!」「切なかった!」と思っていただけましたら、ブックマーク&広告の下↓にある【☆☆☆☆☆】から評価していただけると嬉しいです。


運命の番って、ある意味かなり残酷だなと思っています。絶対に惹かれ合う、唯一無二の存在――ロマンとしては完成されているんですけど、その分、裏側では悲劇も起きていそうだなと感じて、この話を書きました。

連作として続きを書いてみました。『わたくしを狂わせる運命の番なんて要らない』も宜しければ。ハッピーエンドの運命の番に興味があれば、『奴隷の私、竜人に拾われたら“番”でした ~最強種に溺愛されて一人前の淑女になるまで~ 』も是非。


また、拙作『悪役令嬢のダイエット革命~〜前世の知識で健康美を手に入れてざまぁします!~』が書籍化いたしました。発売日は5月1日になります。

下記にリンクを掲載しておりますので、ご興味がございましたらぜひご覧いただけますと幸いです。

どうぞよろしくお願いいたします。

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