第6話 視覚の天才、渡辺崋山
高野長英と接触してから数日。彼は俺の屋敷に宿泊している。
もともと研究に没頭するタイプらしく、寝食を忘れて俺から知識を吸い上げようとしてくる。シールド工法に限らず、「貴殿は、医学についてどこまで詳しい」といった具合に、分野を問わない好奇心で襲いかかってくるのだ。
「しかし、崋山も来るのが遅いな。私とは大違いだ」
長英がそう言うが、まったく説得力がない。彼自身、シールド工法の試験をしたいと言って、到着が大幅に遅れているのだから。
「おそらく、名画を書いているのでしょう。緻密な表現をするには、神経を使いますから」
軽く返しながらも、内心では焦りが募っていた。
重臣たちは「いつまでも殿を待たせるわけにはいかない」と、遠回しというよりは半ば脅すように急かしてくる。
いや、本音は「金になる方策を早く知りたい」だろう。
あの守銭奴をうまく利用できないか。焦りながらも、頭の片隅でそんな計算を巡らせていた。
さらに数日後、渡辺崋山がようやく彦根へやって来た。
長英が火の玉のように動き回るのに対し、崋山は静かで落ち着き払った男だった。歩く音すら控えめで、ひとつひとつ慎重に呼吸しているように見える。
「文をもらったにも関わらず、来るのが遅くなり申し訳ない。描きかけの絵があってな。完成させなくては依頼主が満足しなかった。許してくれ」
「構いません。先生がお忙しいのは承知しています。わざわざ彦根まで来てくださり、ありがとうございます。屋敷の中で、お願い事を話させていただきます」
長英は、シールド工法の応用を早く議論したくて仕方がないらしく、もはや興奮状態だ。
「崋山、この男の提案する湖運河計画は素晴らしい。ぜひ、絵画として視覚化してもらいたい」
いや、そのセリフは本来、俺が言うべきなんだが……まあ、知り合い同士なら話も早いだろう。
「ふむ、計画を推し進めるべきなのは理解した。工事により民に対価の金銭が支払われるのも素晴らしい考えだ。しかし、この計画には大きな穴がある」
「大きな穴ですか。具体的にはどのような……?」
俺の中では完璧な計画だと思っていた。崋山からの指摘に、わずかに身構える。
「このシールド工法とやらは便利なことこの上ない。だが、帆船が通るには、それ相応の高さが必須。そこまで巨大な穴を開けられるのか疑問だ」
なるほど、そこか。
長英が興奮しすぎて気づかなかった部分だろう。俺も説明を飛ばしていた。
「おっしゃる通りです。そこで、帆船にもある技術を採用します。『ヒンジ』という技術です」
「ヒンジ? それを使えば、帆の問題を解決できるのか……?」
崋山は絵画の巨匠だが、構造を見る目も鋭い。ただ形を写すだけではない。仕組みそのものの整合性を重視するタイプなのだ。
「ヒンジとは、蝶番の技術に似たものです。多少異なる点もありますが。洞穴、つまりトンネルを通る時は、帆を畳むのです」
「ヒンジとやらについては、長英に任せよう。絵図については、こちらが引き受ける」
「助かります」
「斬新な絵を描くのは楽しみだ」
日本一の絵師を目指す崋山にとって、この運河計画はまたとない題材に違いない。その創作意欲につけ込む形になるのは少し心苦しい。だが、背に腹はかえられない。
主要メンバーは揃った。あとは、連中……金勘定でしか動かない重臣をどう扱うかだ。
――俺の経済知識チートで、あいつの常識を徹底的に叩き壊す。そう思うと、少しだけ胸が高鳴った。




