第58話 万国博覧会閉幕――そして永遠の道へ
「大日本博覧会」の最終日。彦根の空は、雲一つない、吸い込まれるような快晴に恵まれた。
琵琶湖のほとりに築かれた特設演壇。その周囲を埋め尽くすのは、各国の威信をかけた軍服や正装に身を包んだ、オランダ、イギリス、フランス、アメリカ、そして清国や朝鮮といった世界中の使節団だ。
かつてこの島国を、安価な労働力や資源の供給地として、あるいは侵略の対象として冷徹に品定めしていた彼らの瞳に、もはや慢心の影はない。そこにあるのは、理解を超えた知性と圧倒的な工業力を誇る「新興の巨龍」に対する、拭いがたい敬意と、震えるような畏怖の念であった。
俺は一歩一歩、確かな足取りで壇上に登った。眼下には、色とりどりの異国の旗が春風にたなびいている。だが、それらすべての旗が、今の俺を、そしてこの地を仰ぎ見ているのだ。
背後には、天を仰ぎ咆哮する竜骨を抱いた博物館がそびえ立ち、傍らには、太陽の光を跳ね返してとうとうと水を湛える琵琶湖運河が横たわっている。それらは語らずとも、沈黙のうちに「日本の実力」という冷徹な事実を、世界に突きつけ続けていた。
「諸君。この一年の間、我々は言葉ではなく、その成果をもって対話してきた」
俺の声が、最新の音響工学――木造の反響板を精密な角度で組み合わせ、現代の音楽ホールの理論を応用して設計した演壇を通じて、静まり返った会場の隅々まで、朗々と響き渡る。
「海を隔てた地で、諸君らは日々、進歩という名の苛烈な戦いを続けていることだろう。だが、今ここで明確に知ってほしい。日本は、もはや貴殿らの足元を掬う敵ではない。この運河が、荒れ狂う日本海と穏やかな太平洋を繋ぎ合わせたように、我々の技術と富は、世界という巨大な理を繋ぎ、潤すための大動脈となるだろう」
俺は、懐から一冊の、厚みのある書物を取り出した。
それは、俺の知識を基軸とし、長英が理論を詰め、崋山が緻密な図解を描き、伝蔵が現場の知恵を加え、そして佐吉が持続可能な経済の仕組みを構築した、血と汗の結晶。工業規格、衛生管理、そして道徳的経済倫理の集成――『文政開拓全書』の初版原稿だ。
「我々は門を開く。だが、それは過去の歴史が示したような、力による屈服ではない。我々の描く『未来の地図』を、世界と等しく共有するためだ。この博覧会の火は今日、その役目を終えて消える。だが、諸君がその目に焼き付け、持ち帰る技術の種は、それぞれの国で、これまでにない新しい文明の芽を出すに違いない」
俺は一度言葉を切り、並み居る列強の代表たちを一人ずつ見据えるように視線を走らせた。
「ただし、忘れるな。その文明の『根』は、常にこの彦根の地に、日本の不屈の知恵にあるということを。我々は、常に世界の数十年先を歩み続ける。追いつきたければ、共に進む道を選べ」
一瞬の、静寂。
琵琶湖の波音さえ聞こえるほどの沈黙の後――。それは、大地を揺るがすような地鳴りとなって爆発した。
割れんばかりの拍手が、湖面を震わせ、大気を叩く。イギリス人が帽子を投げ、アメリカ人が叫び、フランス人が胸に手を当てて深く一礼する。それぞれの母国語で、彼らは俺の名を、そして畏敬を込めて「NIPPON」という名を連呼していた。
熱狂の渦の中、俺は隣に立つ佐吉と、少し離れた場所にいる長英と視線を交わした。
佐吉は、使い古された算盤を、折れんばかりの力で握りしめ、溢れ出る涙を隠そうともせずに笑っていた。長英は、かつて潜伏生活をしていた時の陰鬱な表情など微塵も見せず、晴れやかな顔で、高く、どこまでも高く広がる青空を見上げていた。
やったぞ。歴史のレールは、今、この瞬間、完全に俺たちが敷いた新しい時代へと切り替わったんだ。
博覧会の終焉、そして新時代の号砲。祝砲の白い煙が、春の空へと吸い込まれていくのを、俺は誇らしげに眺めていた。




