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【江戸時代】琵琶湖運河、開通ス  作者: 雨宮 徹


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第56話 ナポレオンの末裔と深緑の沈黙

 イギリス使節団が青ざめた顔で去った数日後、彦根の地に降り立ったのは、フランス公使とパリから派遣された高名な博物学者であった。



 彼らはイギリス人とはまた違う、独特の傲慢さをまとっていた。彼らにとっての「文明」とは、単なる機械の精度ではなく、洗練された芸術、歴史、そして神の秩序に基づく学問を指す。



「ムッシュ・義春。イギリス人が驚いたというトンネルは確かに見事だ。だが、我らフランスが求めているのは、もっと高次な……精神の震えなのだ。この極東の地に、我々の『ルーヴル』に匹敵する価値があるのかね?」



 フランス公使は、刺繍の施された手袋を直し、優雅だが棘のある笑みを浮かべた。随行する博物学者に至っては、東洋の竜骨――恐竜など、どうせ想像上の産物を繋ぎ合わせたキメラだろうと、鼻から信じていない様子だった。



 俺は無言で彼らを「大日本博物館」の深部へと導いた。



 まず彼らを迎えたのは、シールドトンネルを埋め尽くす「ヒスイ」の輝きだった。イギリス人がその「構造」に驚愕したのに対し、フランス人たちはその「美」に足を止めた。



「素晴らしい。この深い緑、そして光の透過度。これはただの石ではない、地地の魂を磨き上げた芸術だ!」



 フランス公使が思わず溜息を漏らす。彼らがアフリカやアジアの植民地で略奪してきた宝石とは違う、自然と技術が高度に調和した空間。だが、それはまだ序の口に過ぎなかった。



 一行がホールの巨大な扉を潜り、恐竜の全身骨格と対面した瞬間。学者が持っていた杖が、乾いた音を立てて石畳に転がった。



「ノン。ありえない……。これは、神が創りたもうた世界ではないのか」



 博物学者は狂ったように骨格標本の足元へ駆け寄り、眼鏡を何度も拭い直した。



「これを見たまえ! この骨の構造、脊椎の連結……。これはキメラなどではない、かつてこの大地に実在した、完全なる生命の形だ! しかも、この保存状態。フランス中の博物館を合わせても、これ一点の真実には到底及ばない!」



 博物学者の声は、もはや恐怖に近い震えを帯びていた。彼らが誇ってきた「キリスト教的万物の秩序」――神が六日間で世界を創り、人間を頂点に置いたという物語が、この数千万年前の巨大な覇者の前で、音を立てて崩れ去っていく。



「驚くのはまだ早い。我が国では、この竜がどのような環境で生き、なぜ絶滅したのか……その地層の記憶すらも、科学的に解明しつつある」



 俺がそう告げると、フランス公使と博物学者は力なく膝をつき、胸の前で十字を切った。



「我々フランスは、自らを『知の探求者』と自負していた。だが、貴殿らは、我々が『神の領域』と恐れて踏み込めなかった深淵を、すでに手なずけている。これは科学ではない。もはや、別の文明――パラダイムだ」



 彼らもまた、圧倒的な威厳を放つ骨格を見上げ、沈黙を守っていた。フランスが誇る「ナポレオン的征服欲」は、この歴史の暴力とも言える巨大な存在の前に、すっかり萎縮してしまった。



「義春殿。認めざるを得ない。我らがパリが世界の中心だと思っていたのは、ただの井の中の蛙の夢だったようだ」



 フランス公使は、自国の芸術的自尊心が完膚なきまでに打ち砕かれたことを悟った。その夜、本国への報告書にこう記したという。



『日本との対峙において、武力を用いることは愚策の極みである。彼らは、我々の数万年前からの「大地」と、数百年先の「知恵」を同時に武器にしている。フランスが文化の頂点を守りたいのであれば、今すぐこの国に平伏し、教えを請うべきである』



 フランスの美学と宗教的権威が、日本の地底に眠る「古の真実」の前に、静かに膝を折った瞬間であった。

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