第53話 古の覇者、沈黙の宣告
深緑のヒスイ回廊を抜けた先。石扉が開いた瞬間に広がったのは、天井高二十メートルを超える巨大なドーム状の円形ホールだった。そこには、外の世界の喧騒も、江戸の情緒も存在しない。あるのは、ただ圧倒的な「死」と、それを超越した「威厳」だけだ。
「……おお、神よ」
商館長の口から、祈りにも似た呻きが漏れた。ホールの中心、松明の炎に照らされて浮かび上がっていたのは、数万年の眠りから覚めた「竜」の全身骨格だった。首を長く伸ばし、天を仰ぐその姿。福井の地層から掘り出された恐竜を模したその骨格は、俺の指示によって完璧なポーズで組み上げられていた。
「これを見ろ……。これが、我が国で発見された竜骨――恐竜の真の姿だ」
俺の声が、静寂なホールに低く響き渡る。
オランダの随行員たちは、もはや一歩も動くことができなかった。彼らが持っていた「東洋の神秘」への好奇心は、この巨大な骨の前で、根底から粉砕された。
「ありえない。このような巨大な獣が、この地上を歩いていたというのか? ヨーロッパの博物学者が一生を捧げても、これほどの『真実』には辿り着けまい」
商館長の肩が、絶望に似た震えを見せていた。
彼らが誇ってきた近代科学や博物学は、この日本の地下に眠っていた「歴史の証拠」の前に、あまりにも無力で未熟だった。キリスト教的な価値観に基づく世界観すら、この数千万年前の覇者の骨格を前にしては、単なる寓話のように思えてくる。
「商館長様。貴国はこれを『幻の怪物の骨』として、薬にするだけのものと考えていた。だが、我々は違う。これを『科学の対象』とし、太古の歴史を紐解く鍵とした」
俺は、巨大な肋骨のそばに立ち、冷徹な視線を投げかける。
「技術ではシールド工法に敗れ、歴史においては我々の大地に軍配が上がった。閣下、まだ我が国を、開国を迫るべき『無知な小国』だとお思いか?」
その言葉は、銃弾よりも深く商館長のプライドを貫いた。
もし日本が、この技術と科学力を背景に軍事力を整えれば、オランダどころかヨーロッパ列強すら敵うはずがない。彼らは気づいてしまったのだ。自分たちが「招かれたゲスト」などではなく、「圧倒的な力の差を見せつけられた敗北者」であることを。
「義春殿。私は……我々は、とんでもない勘違いをしていたようだ」
商館長は力なく首を振り、膝をついた。その姿は、一国の全権公使というより、ただの打ちひしがれた老人だった。
随行していた技師たちも、手に持っていたスケッチ用の筆を落とし、ただ呆然と「竜」を見上げている。描くことすら許されない。彼らの知性では、この現実を受け止めることさえ困難だった。
「わかった。我らオランダは、貴殿の条件をすべて受け入れよう。可倒式マストの技術供与を受ける代わりに、我々の持つ海図、航海術、そして……最新の蒸気機関の知識すら、差し出すことを約束する。これ以上の対立は、我が国の破滅を意味する」
オランダの完敗だった。
銃一発撃たず、血を一滴も流さず、俺は「科学と歴史」という暴力で、ヨーロッパの一翼を完全に沈黙させたのだ。
「賢明な判断だ。では、次は未来の話をしよう。この竜の骨の間を抜けた先に、琵琶湖運河が待っている」
俺は、力なく項垂れる彼らを一瞥し、再び歩き始めた。その背中は、もはや一藩の勘定奉行のものではなく、世界を書き換える支配者のそれであった。




