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【江戸時代】琵琶湖運河、開通ス  作者: 雨宮 徹


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第50話 オランダを呼び寄せる一手

 「大日本博物館」の工事も、いよいよ最終盤。琵琶湖のほとりにそびえ立つ、和洋の意匠が奇跡的な調和を成す巨大な木造建築は、沈みゆく夕日を浴びて、神々しいまでの黄金色の輝きを放っていた。その背後には、同じく夕闇を飲み込みつつある琵琶湖が凪いでいる。



 内装の細かな仕上げに追われる数百人の職人たちの槌音や活気を背に、俺と佐吉は、静まり返った執務室で「最後の一仕事」に取り掛かっていた。



 それは、長崎の出島を介した、オランダへの「招待状」の作成である。



「義春殿、いよいよですな。この一筆が、日本と世界の距離を……そして、この国の歴史そのものを変えることになる」



 佐吉が慎重な手つきで、一滴の妥協も許さぬように墨を摺りながら、ふと顔を上げた。窓の外に広がる夕闇が、彼の真剣な面持ちを深く際立たせている。



「しかし、一つ懸念が。確かにオランダとは二百年以上の長きにわたる付き合いですが、今は国内で攘夷の嵐が吹き荒れる不穏な時期。海の向こうの彼らが、わざわざ政情不安なこの国へ、危険を冒してまで人を派遣したくなるような『毒』が必要です。単なる友好の誘いでは、彼らは動かぬでしょう。一体、どうやって彼らを釣るおつもりで?」



 俺は、出来上がったばかりの招待状の草案――あえて威圧的な筆致で書かれたその和紙を、指先で軽く弾いた。



「答えは簡単だ、佐吉様。こう書くのさ。――『貴国が最初の招待に応じぬのであれば、今後一切、我が国の門を潜ることは叶わぬと思え。我らは次なる盟友を、既に大陸の向こう側に定めている』とな」

「……は?」



 佐吉の手が止まった。硯の上で筆が僅かに泳ぐ。あまりにも強硬、かつ傲慢極まりないその文言に、彼は自分の耳を疑ったようだった。



「義春殿、それは……それでは、招待というより、もはや明白な『脅し』ではありませぬか」

「脅しではない、選別だ。ビジネスにおける優先権の提示だよ、佐吉様」



 俺は椅子から立ち上がり、窓の外、完成間近の「ヒスイのトンネル」の入り口を見つめた。



「もしオランダがここで断れば、彼らは『可倒式マスト』という次世代の航海技術を独占する機会を永遠に失う。それだけじゃない。シールド工法という未知の土木技術、そして日本がこれから産出するであろう莫大な資源の分配権……。もしこれらが、後から来るイギリスやフランスの手に先に渡ってみろ。オランダがこれまで積み上げてきた『日本との貿易利権』は、一夜にして根こそぎ奪われることになる」



 佐吉は固唾を呑んで俺の言葉を聞いている。



「オランダは商人の国だ。自国の没落を指をくわえて許容するほど、彼らは能無しではないはずだ。恐怖こそが、最も確実な動機――インセンティブになるのさ」



 この「先行者利益」を盾にした強気の交渉こそ、現代の独占禁止法すれすれの強引なビジネスモデルを応用したものだ。鎖国という情報の壁を逆に利用し、情報の格差で相手を揺さぶる。



「義春殿、貴方は……。今回はまた随分と、腹黒いというか、意地悪な手法を選ばれましたな」



 佐吉が呆れたように、しかしその瞳にはどこか「これならば勝てる」という確信めいた信頼を宿し、苦笑いを漏らした。



「意地悪とは人聞きが悪いな。外交上の『狡猾さ』と言ってくれ。相手を尊重するだけでは、この弱肉強食の時代は生き残れない」



 口ではそう返したが、自分でも「ずる賢い」という形容が一番しっくりくると思っていた。だが、綺麗事だけで民を救い、この激動の十九世紀を渡り切れるほど、歴史は甘くない。



「さあ、オランダよ。この招待状を握りしめて、焦燥に震えながらやって来るがいい」



 俺は筆を執り、力強く、そして流麗な署名を加えた。



 「大日本博覧会」――その始まりを告げる号砲が、今、彦根の静寂の中に、しかし世界を揺るがす決定的な響きを持って鳴り響こうとしていた。

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