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【江戸時代】琵琶湖運河、開通ス  作者: 雨宮 徹


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第41話 技術という名の最強の外交辞令

 京都地震の傷跡が癒えぬ江戸。復興に向けた活気が戻りつつある中、俺のもとに一通の極秘書状が届けられた。送り主は、長崎・出島のオランダ商館長である。



「義春様、カピタンより緊急の面会要請です。どうやら、欧州へ渡った長英殿たちの件で、無視できない事態が起きているようで……」



 報告する佐吉の顔は強張っていた。書状に目を落とす。そこには、オランダ本国を通じて伝えられたイギリス側の「怒り」が滲んでいた。



「やはりな……。蒸気機関という、彼らにとっての『心臓』に触れれば、こうなることは予想していた」



 長英たちは、イギリスで開発された最新の蒸気機関車のボイラー設計図、そしてピストンの精密加工技術を驚異的なスピードで吸収していた。それがイギリスの産業界を刺激し、「東洋のスパイ」として拘束される一歩手前まで追い込まれているのだ。



「佐吉様、ただちに会見の準備を。場所は江戸のオランダ宿だ。それから、例の耐震設計の図面と、地震計が刻んだ波形の記録をすべて揃えろ。最高級の和紙に、一分の狂いもなく清書させたものだ」

「技術を……見せるのですか? 敵に塩を送るような真似は……」

「いいや、佐吉様。これは塩ではない。彼らの足を止めるための楔だ」





 江戸・日本橋にあるオランダ宿の一室。部屋にはバターの匂いと、強い珈琲の香りが充満していた。義春の前に座るオランダ商館長は、冷めた目で銀の匙を弄んでいる。



「ミスター・ヨシハル。単刀直入に言いましょう。あなたの部下たちは、少しばかりやりすぎました。イギリスの産業界は、彼らを絞首刑にせよと騒いでいる。我が国としても、彼らを庇い続けることは、イギリスとの外交関係を損なうリスクがある」



 商館長の声は冷徹だった。ヨーロッパにおいて、蒸気機関の技術は国家の興亡を左右する最高機密である。それを鎖国中の極東の小国が盗もうとしたとなれば、国際問題化するのは自明だった。



「彼らの命と、持ち出した情報をすべて差し出すか。あるいは、日本がイギリスに対して莫大な賠償金を払うか。選択の余地はないはずだ」



 俺は、ゆっくりと珈琲を口にし、静かに笑った。



「商館長。私は交渉に来たのであって、脅迫を聞きに来たのではありません。イギリスが怒っているのは、我々が『奪った』からではなく、彼らが持っていないものを我々が『持っている』ことに気づいていないからだ」

「……何だと?」



 俺は、傍らに置いた漆塗りの箱から、数枚の巨大な図面を取り出し、テーブルいっぱいに広げた。そこには、京都地震の際の振動記録と、びくともしなかった運河トンネルの断面図が精密に描かれていた。



「これは、先日の京都大地震における、我が運河の観測データだ。商館長、あなた方の母国オランダ、あるいは植民地を持つヨーロッパ各国は、地盤の軟弱な土地での大規模建築や、地殻変動によるインフラの崩壊に頭を悩ませてはいませんか?」



 商館長の手が止まった。衝撃を吸収し、力を逃がす設計思想は、ヨーロッパの建築学には存在しない未知の概念だ。



「この地震で、日本の古い城や寺は崩れた。しかし、私がシールド工法で造ったトンネルは亀裂一つ入らなかった。これは、鋼鉄のリングを節状に繋ぎ、地圧を分散させる日本独自の技術だ」



 俺は身を乗り出し、商館長の目をまっすぐに見据えた。



「蒸気機関は素晴らしい。だが、それを支える大地が揺れれば、機関車も工場もただの鉄屑だ。私は、この『世界最強の耐震・土木技術』の全データを、オランダ国王陛下、そしてイギリス王室へ提供してもいいと考えている」

「……本気か、ミスター・フジムラ。これは国家の至宝だろう」

「条件はたった一つ。高野長英たちを、『技術交換の親善使節』として公に認め、オランダ海軍の軍艦で、最高礼をもって日本へ送り届けること。彼らが持ち帰る蒸気機関の知見は、この耐震技術との『正当な対価』であると、国際的に宣言していただきたい」



 沈黙が部屋を支配した。商館長は、震える手で図面の細部をなぞった。



 ヨーロッパが「動く力(蒸気)」を極めたのに対し、日本は「揺るがない基盤(耐震)」を極めていた。もしこの技術が手に入れば、オランダの干拓地やイギリスの地下鉄構想は、劇的な進歩を遂げるだろう。



「ミスター・ヨシハル……あなたは恐ろしい男だ。スパイ容疑を、一瞬にして『対等な技術提携』に書き換えてしまった」

「商館長、私はただの勘定奉行ですよ。ただ、『知識は独占するよりも、交換した方が市場が広がる』という真理を知っているだけだ」



 商館長は深く溜息をつき、珈琲を飲み干した。



「……承知した。イギリス側へは私から連絡しよう。彼らも、この『地震を制する図面』を見れば、長英たちをスパイとして吊るすより、友好の証として送り返す方が合理的だと判断するはずだ」



 交渉は決裂の危機から一転、歴史的な「日欧技術交換協定」へと昇華した。






 オランダ宿を後にした俺に、佐吉が駆け寄った。



「義春殿、本当に良かったのですか? あの耐震技術は、我が国の、いえ彦根の宝です」

「いいんだ、佐吉様。技術は使われてこそ価値がある。それに、あの図面だけでは、肝心の配合比率や現場での微調整は分からないようになっている。本当に使いこなしたければ、彼らはまた日本に教えを請いに来るだろう」



 俺は晴れやかな顔で江戸の青空を見上げた。



「これで長英たちは帰ってこれる。彼らが持ち帰る『火の馬(蒸気機関)』があれば、伊勢湾の難工事も、その後の日本経済も、さらに数十年分加速するぞ」



 地震という試練を、外交の勝利へと変えた。日本海から太平洋を繋ぐ運河に、まもなく「機械の咆哮」が響き渡ろうとしていた。

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