第4話 シールド工法というチート
屋敷への帰り道、父は不思議でしょうがないという様子だった。夕暮れの冷たい風が、城下の石畳をなで、俺の羽織をわずかに揺らした。家々の煙突から夕飯を炊く煙が立ち上り、どこか平穏な日常の匂いがする。だが、隣を歩く父の顔には、その平穏とは正反対の困惑が刻まれていた。
「義春、蘭学者の心当たりとは誰を指している。悲しいかな、我が彦根藩には蘭学に秀でた者はいない。おそらく、お前が一番長けている」
父の言葉には誇りよりも戸惑いが混じっていた。
俺にも、その自覚がある。決して自惚れではない。蘭学だけではなく、土木技術や経済学にも精通しているのだから、当然と言えば当然だろう。
「私が頼るのは、蘭学者にして医学の見識もある高野長英様です。あの方なら、私の考えをすぐに理解され、殿を説得する手助けをしてくれるでしょう」
傾きかけた陽が、家々の瓦に反射してまぶしい。
十五年間、無駄に生きてきたわけではない。元服して、大人としての発言権を得るまで、俺は徹底的に情報を集め、頭に叩き込んできた。
「長英殿は、今や天下に名を知られた蘭学の巨匠だ。一介の藩士の子が、簡単に招けるわけがない!」
「ご安心ください。長英様が心惹かれる情報を持っておりますので」
「自信過剰じゃないか? 世の中はお前を中心に回っているわけじゃない。そう簡単に事が運ぶとは思えん!」
「まあまあ、父上。落ち着いてください。他国の技術ですが、このようなものがあります。岩盤に穴を開ける方法でシールド工法といいます」
その瞬間、父の歩みがぴたりと止まった。雪駄が砂利を噛む鋭い音が響く。父の視線は鋭く、まるで「まさか息子はキリシタンか、さもなくば異国の回し者か」と言わんばかりの疑念に満ちていた。
無理もない。岩盤に穴を開ける技術自体は日本にもあるが、シールド工法などという言葉はこの時代には存在しない。
それもそのはず、まだイギリスがテムズ川のトンネルで初めて使った段階だ。オランダにも伝わっていない以上、蘭学者ですら知らない。
「それで、シールド工法とは、どんな技術なのだ?」
父の声には、先ほどまでの警戒がすっかり消えていた。好奇心が勝ったのだろう。子供のように目を輝かせる父というのは、この十五年で初めて見た。
「そうですね……」
俺は道端に落ちていた小枝を拾い、地面へぐいっと突き刺す。沈みゆく夕日に照らされ、その枝の影が細長く、どこまでも伸びていった。
「この状態で枝を引き抜くと、どうなるでしょうか?」
「バカにするな、穴ができるに決まっている」
「では、なぜ穴は崩れないのでしょうか?」
父は「そう言われると……」と、言葉を失った。小さな疑問が、大きな好奇心へ変わった瞬間だ。
「簡単に言えば、枝によって周りの土が固められたからです。これが、シールド工法の原理です」
もちろん、本質はもっと複雑だ。だが、この時代の説明としては十分だ。
「なるほど、世の中は広い。それに比べれば、彦根は狭い」
父の視線は、遠くの山を越えてまだ見ぬ世界を見ているようだった。
「この技術の断片を記した書状を、長英様に送るのです。『テムズ川トンネルに用いられた工法』について、蘭学の知恵を借りたいと。この情報であれば、知識の巨人である長英様は、必ずや彦根へ向かわれるでしょう」
「そうか、世界は常に動いている。その知恵を、今、この日本に……。分かった、もう、お前を止めても無駄なようだ。この件、責任を持って信頼のおける飛脚を手配しよう」
父の背筋が、まるで武士として戦場に赴く時のように、ぴんと伸びた。
いつの間にか、俺の計画に父自身の決意が宿っていた。
俺は、すぐさま書状をしたためた。文面は極めて簡潔。だが、そこに記された「シールド工法」の原理と、「テムズ川」という単語は、この時代の最高の知性である高野長英の胸に、間違いなく火をつけるはずだった。




