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【江戸時代】琵琶湖運河、開通ス  作者: 雨宮 徹


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第38話 経済的合理性の鉄槌

 俺の命を受けた佐吉は、即座に動いた。



 運河技術者、製図士、そして運河の維持管理を担う職人たちへ、「恩賜報奨制度」の詳細が布告された。それは、単なるボーナスではなかった。



「琵琶湖運河が今後もたらす永続的な通行料収益の一部を、技術貢献度に応じて分割し、引退後も、その家族にまで及ぶ権利として付与する」



 この制度は、「藩」や「幕府」という不安定な権力に依存するのではなく、「運河そのものが生み出す富」に、技術者自身が直結するという、革命的な仕組みだった。



「薩摩藩は、一時的に三倍の給金を提示した。だが、それが続くだろうか? 彼らは技術を盗むだけだ。しかし、義春様は、俺たちの人生そのものを保証してくださった!」



 技術者たちは熱狂した。運河事業への貢献が、未来永劫の財産となるのだ。



 技術者への引き抜き攻勢を防いだ俺の次の一手は、薩長同盟の資金源を叩くことだった。薩摩は琉球貿易、長州は海運と関門海峡の利権。これらをいかに運河経済の優位性で無力化するか。



 俺は、勘定奉行の権限を最大限に行使した。



「福井・近江の特産品について、布告を出す。運河を経由し、一定の品質基準を満たした物資に対し、『幕府公認・運河知名度』の証を与え、関所における優遇税制(事実上の減税)を適用する」



 これにより、運河を使わない薩長ルートの海産物や貿易品は、市場価格で三割もの不利を被ることになった。



「運河は、単に早いだけではない。運河経由で運ばれる品は、幕府のお墨付きだ。運河を使えば、輸送コストが下がり、さらに税金も優遇される。海路を選ぶのは、愚か者だけだ」



 この経済合理性の鉄槌は、薩摩や長州の海運業者たちに、「運河を利用する以外に生き残る道はない」という事実を突きつけた。




 「恩賜報奨制度」と「運河優遇税制」という二重の鉄槌は、薩長同盟の動きを完全に封じ込めた。



 まず、技術者引き抜きは、報奨制度の「未来永劫の富」という約束を前に、完全に失敗に終わった。一時的な高額報酬に釣られる技術者は、誰もいなかった。俺は「人間は目先の金よりも、安定した未来の保証を選ぶ」という経済原則を熟知していた。





 そして数ヶ月後、薩摩・長州両藩の、江戸や大阪への主要な貿易物資の輸送量が激減したという報告が、勘定奉行の元に届いた。



「佐吉様。薩長からの物資の減少は?」

「はっ。両藩とも、独自の海路での輸送を維持しようとしましたが、運河経由の福井・近江の品が三割安で市場に出回るため、競争に完全に敗北しました。その結果、海運業者や両藩の商人たちは、生存のために次々と運河の利用に舵を切り始めた模様です」



 佐吉の顔には、安堵と、この経済戦略の恐ろしさがない交ぜになった表情が浮かんでいた。



「つまり、両藩の財政は、もはや運河を無視して成り立たない状況にあるということだな」

「その通りです。彼らはすでに、運河の通行許可と、優遇税制の適用を求める嘆願書を、幕府に提出しております」



 その嘆願書に目を走らせることもせず、静かに言った。



「許可しろ。ただし、通行料は、薩長のみ他の藩の二倍とする。そして、その差額分は、運河のさらなる改良費に充てる」



 佐吉は驚愕に息を飲んだ。敗北した薩長に、さらに「敗北税」を課すようなものだ。しかし、この通行料を払っても、運河を使わずに海運で輸送するよりは、遥かに安価なのだ。



 薩長同盟を経済的に屈服させ、運河の支配権を全国に拡大したことで、俺はの次の目標は定まった。



「佐吉様。国内の経済統合は、もはや時間の問題となった。今こそ、最後の仕上げだ」



 運河ルート図の最後の未開通区間、伊勢湾に繋がる水路を指した。



「全財政、全技術、全人員を投入せよ。伊勢湾の道筋を、予定よりも早く完成させる。これこそが、日本が経済大国となったという、揺るぎない証となる」



 伊勢湾ルートの完成は、琵琶湖を中心に日本海と太平洋が完全に繋がることを意味する。福井から江戸まで、安全で安価な水路が完成するのだ。



 しかし、佐吉は懸念を示した。



「伊勢湾付近は、地盤が緩い箇所が多く、難工事が予想されます。それに、大火の復興資金もまだ必要です。財政的に、同時進行は難しいのでは……」

「大火の復興資金は、すでに火災相互扶助制度と新規の運河収益で賄えている。問題は、技術と人員だ」



 俺は佐吉の目をまっすぐ見た。



「長英は欧州で、蒸気機関という次の未来の技術を見つけてくるだろう。だが、その前に、我々は『現在最高の技術』で、この国を完成させる。全建設現場に対し、最高の報奨金と最高の栄誉を約束し、総力を挙げて伊勢湾の掘削を開始せよ! 日本経済の夜明けは、すぐそこだ!」

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