第25話 緑に輝く日本の宝
「義春、さきの報告はまことか? 信濃でヒスイが見つかったというのは」
彦根城の上座に座る藩主・井伊直亮は、隠しきれない期待をその声音ににじませていた。
外から差し込む午後の光が、机上の文書を照らしている。運河事業が一段落しつつある今、次の一手を求める直亮にとって、ヒスイの発見は願ってもない知らせだった。
縄文の昔より勾玉として尊ばれてきた玉石。その価値は、日本の文化そのものに根差している。信濃国での採掘権が彦根にある以上、この宝石は藩を大きく飛躍させる材料になり得る。
「ええ、まことにございます。発掘されたヒスイですが、いくつか使い道があります」
「どういうことだ?」
「まず、一部を徳川将軍に献上いたします。採掘権をいただいた以上、しかるべき形で恩をお返しせねばなりません」
俺は落ち着いた声で答えた。もらいっぱなしでは角が立つ。それ以上に、運河事業を江戸の妨害なく進めるためには、幕府という盾がどうしても必要だった。彦根藩の成長を快く思わない者は必ず出てくる。ならば、幕府を味方につけるしかない。
「そして、残りは清やオランダをはじめ諸外国に輸出します。我が国の金銀は外国に流れ続けております。それが経済を傾かせる一因。ヒスイで金銀を呼び戻すのです。ヒスイと違って、金銀の価値は揺らぎません」
「つまり、我が藩が幕府を立て直す手助けをする……そういうことか?」
直亮の視線には期待と不安が入り混じっていた。俺は、静かにうなずいた。
ヒスイの採掘、加工、流通。それらが新たな職を生み、地域を支える。運河と合わせれば、彦根は経済の中心へ近づくことができる。
「殿、運河事業とヒスイ採掘を同時に進め、幕府に尽くすべきかと。これが成功した暁には、彦根藩の立ち位置は揺るぎないものとなりましょう」
「もし、事がうまく運べば……徳川御三家に並ぶ立場も得られるのか?」
あまりに率直な言葉に、思わず苦笑が漏れた。
「さすがに、それは保証いたしかねます。ただ、金融の流れが京や大坂から彦根へ移りつつあるのは事実です。江戸の次に栄えている、といっても差し支えないでしょう。しかし――現状に甘んじるべきではないかと」
「そなたが彦根に生まれ、彦根で働いてくれたこと、神に感謝したくなるわ」
直亮の言葉は冗談めかしていたが、その目は真剣だった。俺は、深く頭を下げた。
「殿、ヒスイを輸出するにあたり、二つの重要な課題がございます」
「申せ」
「一つは販路の確保。もう一つは品質の保証です」
手元の地図と、長英が丹念に描いたヒスイの結晶構造図に視線を落とす。運河と山の鉱脈――二つの線が、確かに未来へ続いていると実感した。
「販路については、まず清国を第一に考えます。清では古来より玉石が珍重され、高値で売買されております。そしてオランダ東インド会社を通じて、ヨーロッパの貴族へ日本の神秘として売り込む。この二つのルートで金銀を呼び戻します。長英様、頼む」
呼ばれた長英が、一歩前へ進み出る。
「はっ」
「ヒスイをただの石と見られては意味がない。清やヨーロッパの富裕層が『どうしても欲しい』と思うだけの価値づけが必要だ。お前の蘭学の知識で、硬度、耐久性、結晶の美しさを分析し、『地球の歴史が生んだ神秘』として、その価値を裏づけてくれ」
長英の目が輝く。
「承知いたしました! 学術と神秘性、その両方を兼ね備えた品として世に示してみせます!」
次に、伝蔵を見る。
「伝蔵様。採掘と加工の責任者に任命したい。信濃の山から、いかに効率よく、そして美しい形でヒスイを掘り出すか。さらに、運河を使っていかに安全に彦根へ届けるか。すべて、お前にかかっている」
「お任せください、義春殿! 必ずやヒスイを、運河に並ぶ彦根の柱として育ててみせます!」
伝蔵の声は、まっすぐで迷いがない。その背に、現場を任せられる男の頼もしさを感じた。
こうして、運河事業と並行して――日本の富国強兵を支える二つ目の柱、ヒスイ貿易が文政6年に静かに、しかし確実に動き出したのだった。




