第24話 轟く歓声
江戸で老中たちと対峙してから、まだ数日しか経っていない。将軍・徳川家斉への上申が通り、俺のもとには正式な文書が届けられた。「信濃国境付近の未調査山地、その特別採掘権を彦根藩に与える」という内容だ。
文書を携えて彦根城へ戻ると、藩主・井伊直亮は一室で静かに目を通し、やがて堪え切れないといった様子で笑い声を上げた。
「見事だ、義春。まさか百姓一揆の対応と、例の魔物の骨の厄介事まで、採掘権を餌にまとめて落としてくるとはな。あの老中共も、さぞ苦い顔だったろう」
「ありがたきお言葉です。殿のご後援なくして、成り立たぬ策でございました」
「運河の保険金というやつだな。なるほど、実に面白い。これで当面の資金繰りも心配は不要だろう」
脇息にもたれかかっていた井伊直亮は満足げにうなずき、膝を軽く叩いた。
俺はすぐに探査隊を編成し、信濃国境へと送り出す準備を整えた。あの山地に眠る玉石――もし本当に高野長英たちの予測が当たっているのなら、運河事業を長く支える新しい収入源になる。胸がわずかに高鳴るのを感じた。
文政6年(1823年)。
探査隊が信濃の山へ入り数か月経った頃、運河計画最大の難所・逢坂山では、いよいよ最後の掘削が残りわずかとなっていた。現場には、真っ黒に煤けた高野長英と樺山伝蔵の姿がある。
「義春殿! ここです、見てください!」
伝蔵は汗を拭う暇もなく駆け寄ってくる。声が弾んでいるのは、長年の努力がようやく形になる瞬間だからだ。
「この先、一尺ほどで京都側の掘削路と繋がります! シールド工法も、ついにここまで来ましたぞ!」
「地震への耐性も十分なはずだ。伝蔵様、ここまでよく頑張ってくれた!」
「いえ、義春殿の図面あってこそです。それに……例の竜骨の件が、職人たちを奮い立たせました。自分たちは歴史を掘っていると、皆が誇りを持つようになりましてな」
そのとき――ドドォン、と大きな音が鳴り、土砂が崩れ落ちた。暗闇の奥から、柔らかな光が差し込む。歓声が一斉に上がった。
琵琶湖と山城国が一本の水路で結ばれた瞬間だった。
汗まみれの職人たちが、腕を取り合って喜び合う姿を見て、胸がじんと熱くなる。これは力ずくではない、知恵と技術で切り拓いた未来そのものだ。
「この勢いに乗って、福井から琵琶湖への水路を通し、そして――伊勢国と交渉し、必ずや琵琶湖運河を完成させてみせる!」
それが、日本を経済大国にするための第一歩なのだから。そして、俺の頭の中には、さらにその先の未来が描かれている。運河計画を軸にした日本成り上がりはまだ始まったばかりだ。
逢坂山区間の開通の知らせが京・大坂へ届くと、商人たちの反応はまるで火がついたようだった。
「これで近江の米が、直接京に届くぞ!」
「運送日数どころか、物流の仕組みそのものが変わる!」
大坂の豪商たちは、運河沿いの土地を押さえようと走り回り、彦根藩への融資を競うように申し出てきた。
「義春殿、京も大坂も、まるで潮の流れが変わるように、人も物もこちらへ向かっておりますぞ」
伝蔵が興奮を抑えきれぬ声で報告してくる。
「ああ。血で争うのではなく、金で天下を動かす……。その意味が、ようやく形になったな」
その夜。掘削成功を祝う宴の最中。会場の賑わいをかき分けるようにして、信濃へ送った探査隊の一人が駆け込んできた。
「義春様! 急報にございます! 信濃の山地より、ついに見つかりました! 翠玉(エメラルド)のような光を放つ、あの石を!」
宴がすっと静まり返る。その言葉は、まるで未来が突然姿を現したかのような重みを帯びていた。
長い年月、静かに眠っていた日本の新たな富――玉石であるヒスイの発見。その報せは、運河の完成と同じくらい、いや、それ以上に重大な意味を持つ。
「よし。これで運河は、永続的に血を巡らせる富を得た! 次にするべきは、このヒスイを日本の新しい輸出品――いや、日本の看板に育てることだ」
信濃国の採掘権を得たのも、糸魚川静岡構造線でヒスイが見つかると踏んでいたからだ。
俺の視線は、すでに海の向こうを見ていた。次に交渉する相手は、オランダ商人か、それとも清か。運河の水は、やがて世界の富を呼び込む流れへと変わっていく――そんな予感が、強く胸に広がっていった。




