第21話 魔物の骨の真価
福井城内の広間。現場の恐怖と対立の報告を受けた藩主、松平治好は、俺を前に予想通り強硬な態度に出た。
「義春殿。貴殿の提案は聞いた。だが、魔物——否、その巨大な骨を掘り進めることは、藩の決定として認められない。それに、掘削人足が逃亡し、工事は完全に停止した。これは、運河完成の期日に遅延が生じることを意味する」
藩主は、静かだが確固たる声で告げた。その横では、藩の勘定奉行が勝ち誇ったような顔をしている。
「よって、我々は、当初の契約を履行することが不可能になったと判断する。運河の掘削は、既に我が藩が半分を終えているのだ。その対価として、我々は可倒式マスト技術を、今この場で譲り受けることを宣言する」
松平治好の言葉に、同行していた伝蔵が激昂し、思わず立ち上がった。
「な、何をおっしゃる! 完成をもっての技術譲渡が契約の条件だ! まだ掘削は半分しか進んでいない。このような卑劣な契約の横取りは断じて認められん!」
伝蔵の血気盛んな反論に対し、松平治好は冷たく言い放つ。
「運河が止まった原因は、貴殿の彦根藩が土砂の所有権を得るために掘り進めた場所から出た不吉な骨にある。よって、契約不履行の責は彦根藩にある。技術はいただく」
周囲の重臣たちが静かに頷く中、俺だけは悠然と座っていた。この流れは予想していた。最も安価にマスト技術を強奪する手口だったからだ。
「承知いたしました」
俺は静かに言った。一切の動揺はない。ここからが本番だ。
「ですが、対価が合っていませんね。殿、その魔物の骨は、可倒式マスト技術の数百倍の価値を持つことを、まだご存じないようだ」
俺は、長英を振り返った。
「長英様。あの骨が中国の薬よりも遥かに大きな、日本という国全体の富に繋がることを、彼らに論理的に説明して欲しい」
長英は落ち着いた様子で立ち上がり、事前に用意した蘭書の挿絵の写しを広げた。
「松平様、義春殿の言葉は誇張ではございません。その骨は、マスト技術などという局地的な利便性と、対価が合わないほど、世界的な価値を秘めております」
長英は、西洋の蘭学における「地球の歴史」の概念を用い、発見された骨が「古代の巨大な獣」の紛れもない証拠であることを論じた。
「この骨の学術的情報を、幕府を通じてオランダ東インド会社に送れば、彼らは狂喜乱舞するでしょう。福井藩は『世界的な発見をした藩』として、巨額の献金と名声を得ることができます。貴方がたは、運河工事の障害物を掘り出したのではなく、『世界を変えるための鍵』を掘り出したのです」
松平治好の顔色が変わった。「祟り」と恐れていたものが、「世界的な名声」と「巨額の富」という、福井藩が最も渇望していたものに変わる可能性を示されたからだ。藩主は、貪欲に問いかけてきた。
「世界的な名声、か。確かに、マスト技術などとは比べ物にならぬ。だが、この骨は掘削中に発見されたもの。我々福井藩の領土から出たのだ。その所有権は、やはり福井藩にあるべきではないか?」
俺は、長英が広げた蘭書の写しを静かに畳んだ。
「殿、契約をお忘れですか」
俺は、伝蔵から受け取った、福井藩との覚書の写しを藩主の目の前に置いた。
「この運河掘削にあたり、我が彦根藩は、貴藩が苦しむ多大な掘削土砂の処理の責任を負う代わりに、『掘り出された全ての土砂の所有権』を頂きました。この竜骨は、掘削によって出た土砂の一部でございます。よって、その所有権は、契約に基づき、我が彦根藩にあります」
福井藩の重臣たちの顔から、血の気が引いた。彼らが「いらないから押し付けた」はずの土砂の所有権が、今や「世界を変える鍵」の所有権となっていた。
「殿。この骨は、本来なら我が藩が独占的に利用し、貴藩との契約を破棄しても何ら問題ありません。ですが、私は運河の完成を望んでいる。福井藩がこの骨の名声と利益を分かち合う機会は、工事の再開に協力し、マスト技術の契約を継続させることによってのみ残されています」
俺は、福井藩を「技術強奪」という手口から、「富の分配のパートナー」へと強制的に引き戻した。松平治好は理解せざるを得なかった。自分たちが掘り当てたのは、魔物の骨などではない。――金の卵だ、と。




