第2話 元服
文政3年(西暦1820年)。俺は、15歳の誕生日を迎えた。この15年の間に日本は数々の国難に見舞われた。象潟地震に文化の大火といった自然災害。そして、ゴローニン事件などを通してロシアと軋轢が生じ、幕末に向けて諸外国の影が迫りつつあった。
彦根藩の武士の子供に生まれた俺は元服した。つまり、大人の仲間入りを意味する。いよいよ、日本を経済大国にするための計画を実行に移す時が来た。
「父上、話がございます」
「また蘭学の書物が欲しいとでも言うのか? あれは高価で、おいそれと買うことはできないぞ。この前は、元服祝いだった」
そう、俺はこの時代の知識を得るために、オランダの書物を読み漁っていた。土木技術と経済学については知識があっても、それが実現できるかは話が別だ。それに、これらの学問以外には詳しくない。情報収集と勉学は、この先の身の振り方を決める上で重要だった。
「いいえ、違います。私の今後の人生についてです」
改めて、正座をし直す。この後の一言で日本を変えるのだから、気合が入るのは当然だ。
「人生? そんなの決まってる。武士として殿に仕え、伴侶を得る。それ以外に、あるまい」
「そうあるべきかもしれません。しかし、幕府のみならず藩も財政が苦しゅうございます。このままでは、日の本は外国に太刀打ちできません」
父・義道は怪訝な表情だ。「そろばんもできないのに、経済を語るのか」と考えているに違いない。確かに、電卓に慣れている俺は、そろばんをうまく扱えない。
「それで、どうせよと」
「我が藩主である直亮様にお会いしたいです」
「……。今、なんと言った?」
「ですから――。あ」
琵琶湖運河を造るには、殿を説得しなくてはならない。しかし、事を急ぎすぎた。現代で言えば「今から知事に会わせろ」と言っているようなものだ。
カコン、と鹿威しの音が静寂を破る。
「申し訳ございません、父上。順を追って話すべきでした。私は、琵琶湖を海と繋ぐべきと考えています。そうすれば海運が盛んになり、経済は大きく動きます」
「バカもん! そのようなこと、できるはずがない。できたとて、湖が塩で染まる。この一帯の水源地を壊す気か」
待ってました、その言葉。俺は、後ろに隠していた簡単な絵を差し出す。そこには、真っ二つになった近江の国が描かれている。
「私の書いた絵図です。湖を起点に南北へ人口の川を造ります。この場合、父上のおっしゃる通り塩が問題になります。そこで、専用の門を造ります」
「門?」
「はい。船が海から琵琶湖へ乗り入れる際、二つの門を通過するように設計します」
ピンときていないらしい。首をかしげて、唸っている。こうなると思った。前世なら「閘門」の一言で足りたが、そうはいかない。
「たとえるならば、二重になった城門です。あれは、二つの門を設けることで、敵の侵入を防ぐ役割をしています。第一の門が破られても、第二の門で食い止められるように。あれと同じでございます」
「おお、さっきより分かりやすい。続けろ」
こうなったら、水を得た魚だ。
「第一の門を開き、船を通す。その後に、門を閉じて第二の門を開ける。この仕組みであれば、塩害を防げます」
「つまり、塩という敵を門の間に閉じ込めると?」
「さようでございます」
「この案を殿に伝えるために会いたいわけか……。だが、一武士が謁見するのは難しい。何か方策を考えねばならん」
そう、それが最大の問題だった。
「殿は蘭学などに興味を持たれていたはずです。私の持つ知識を知れば、城内へ招へいされるに違いありません」
「で、どのようにして知識をお披露目するのだ」
俺は襖を静かに閉じた。外に漏れては困る。ここからが本題だ。
「まずは、藩校に行け」
「藩校にですか?」
「ああ。まずは、お前の知識がどこまで通用するか、試させてもらう。蘭学、つまり、実学と対極にある儒学者を説き伏せられずに、殿を説得できるとは思えない」
確かに、父の提案は理にかなっている。急がば回れか。
「分かりました、そういたします」
儒学者は仁義礼を重んじる。いかにして彼らの心を動かすか。その戦略は、すでに頭の中にある。さて、俺の実力を披露しようか。




