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【江戸時代】琵琶湖運河、開通ス  作者: 雨宮 徹


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第14話 世界初の試み

「おお、義春殿。京での問題は解決したと聞いている。すなわち、今すぐシールド工法を実践してよいと?」



 樺山伝蔵は、目の下の隈すら気にした様子もなく、まるで宝物を前にした子どものような表情で身を乗り出してきた。西洋技術を語る時の伝蔵は、完全に“オタク”そのものだ。



 前世でよく見かけたタイプだが、この時代の技術者にしては珍しいほど純度が高い。



 思わず、口元が緩んだ。



「もちろんだ。それと同時に、可倒式マストの開発にも取り組みたい」

「はあ。しかし、トンネルが完成しなければ、マスト技術に割いた労力が無駄になる可能性もありますぞ……?」



 伝蔵は眉を寄せ、懸念を隠さずに言う。



 この男の良いところは、目の前の技術に熱中しつつも、確率だけは常に冷静に計算する点だ。



「おっしゃる通りです。しかし、これは次なる策への第一歩。トンネル事業が波に乗ったのち、長英様と共に可倒式マストの制作をお願いしたい」



 俺の言葉に、伝蔵はしばらく考え込んだ後、



「……義春殿の頼みならば」と、少し照れくさそうに承諾してくれた。



 これが、天才を動かす最も簡単な方法だ。やりたいことをやらせる代わりに、一つ頼みを乗せる――前世でさんざん見てきた光景である。





 数日後。俺、高野長英、樺山伝蔵の三人は、工房の一角で可倒式マストのミニチュアを囲み、頭を抱えていた。



 机の上には、木製の模型、鉄のヒンジ、滑車の試作品、計算用の紙……あらゆる道具が散乱している。この三人が集まれば豪華だが、同時に非常に散らかる。



「マストの高さは一般的な船の倍。それを人力で倒し、また起こす……てこの原理だけでは不足だな」



 伝蔵が、髪を掻きむしりながら呻く。



「問題はヒンジの強度と、倒す際の衝撃ですね。そして、起こす際の動力……これらを一つで解決する手段が要ります」



 長英は手を組み、冷静に状況を整理した。医者の思考回路は、工学に転じても異様に論理的だ。



 俺は二人の議論を聞きながら、机の隅に無造作に置かれていた部品に目を留めた。



「……伝蔵様、長英様。てこの原理に加えて、滑車を組み合わせるのはどうでしょう?」



 その一言で、二人の視線が一斉に俺へ向く。



「滑車……?」

「ロープの長さを増やして力を分散させる……!」



 伝蔵の瞳に光が差し込む。



「そうです。複数の滑車を使えば、必要な力を三分の一、四分の一まで落とせます。人力でも十分制御できますよ」

「なるほど……!」



 長英が頷き、伝蔵は模型へと身を乗り出した。勢いが戻ったところで、俺はもう一つ提案を続けた。



「そして、ヒンジの衝撃対策と動力確保のために――船底に重りを仕込むのはどうでしょう。倒す時には衝撃吸収材として働き、起こす時は反動を利用する」

「船体の安定性にも寄与する。これは、完璧だ!」



 長英は興奮を隠さず声を上げ、伝蔵はすでに試作図を描き始めていた。



 数時間後――。可倒式マストの設計図は、二人の天才によってほぼ完成へと漕ぎつけた。机の上は先以上に散乱しているが、技術者が本当に集中した証拠だ。



「この技術は、運河の関所を通過する時間を劇的に短縮する。おそらく、従来の十分の一、いや、それ以下にできる。これを我が藩の専売特許とします。そして――この切り札を持って、次の交渉に臨みます」

「次なる交渉とは?」と伝蔵。

「福井藩です。彼らは日本海側の要衝。京都・大坂との貿易拡大を強く望んでいる。福井側から琵琶湖への運河が開通すれば、すべて完成する。もちろん、掘削費用は全額向こう持ちで」



 長英は目を見開いた。



「まさか……この技術を無償で提供するのですか?」

「ええ。ただし、福井藩が自前で運河を掘り進めることが条件です。この可倒式マストは、それだけの価値があります」



 俺は一呼吸置き、さらに二人へ向き直った。



「そしてもう一つ。掘り出される膨大な土砂の処分――これが最大の難題となる。そこで、我が彦根藩が土砂を全量引き取り、処分場所を用意する」

「なんと寛大な……しかし、なぜそこまで?」と長英。



 俺はあえて表情を変えずに答えた。



「環境保全と衛生のためです。掘り出される土砂には、病の原因となるものが混じる可能性がある。彦根が責任を持つ方が、京の公家への体裁も保てる。そして、処分した土砂は彦根藩の所有物とする。これも条件に加えます」



 伝蔵も長英も疑問の表情を浮かべたが、それ以上は追及しなかった。技術者は政治の匂いを嗅ぎ分けるのが早い。土砂に何か秘密があるなと気づいているのだろう。



 俺は二人に頭を下げ、すぐに旅支度に取りかかった。



 福井藩主・松平治好のいる城へ向け、俺は彦根を後にする。


 

 脳裏には、福井側の運河工事で必ず現れる土砂という名の宝の姿が、鮮やかに浮かんでいた。



 ――土砂は、ただの土の山ではない。次の巨大な富の源泉だ。


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