第10話 期待の新人、現る
鍬入れから数日後、予想通り俺は業務に忙殺されていた。事業が始まったとはいえ、山城国方面への試作品だ。これがうまくいかなければ、琵琶湖運河計画は頓挫する。琵琶湖運河計画を成し遂げるには、他藩の協力が必須。実績がなければ信用されない。
「義春、そう急ぐな。お前は無理をしすぎているように見える」
「父上、私はこの事業を何としてでも成功させたいのです。民のためにも」
転生当初は「己が不自由なく暮らすため」という下心があったが今は違う。藩の民、そして将来的には日本国民すべての暮らしをよくしたい。
「義春殿。薩摩藩より樺山伝蔵なる人物が面会を求めておられます」
伝令で「ようやくこの時がきたか」と安どする。
「よし、ここに通せ」
俺が薩摩から呼び寄せた樺山伝蔵は職人で、独自のルートで西洋の技術を学んでいると高野長英から聞いている。なんでも造船技術などを中心に勉学を修めているらしい。しかし、周囲からは「西洋かぶれ」とされて左遷されたとか。
俺の歴史への知識が間違っていなければ、数十年後に薩摩藩主の島津斉彬が集成館を作り、蘭学への理解が深まっていくはず。樺山伝蔵は、生まれてくるのが早すぎたのだ。
「あなたが、義春殿で間違いないか」
予想していたが、長英と同じく西洋風の衣服に身を包んでいた。これは、「西洋かぶれ」と呼ばれても仕方がない。
「そうだ、私が義春だ。遠路はるばる、旅をされたはず。近くに宿を取っている。まずは、そこへ――」
「いえ、それは後々。彦根藩の事業は、先進的ですばらしい。長英殿から聞いた話では、帆を折りたたむ技術に苦労されているとか。具体的にどのような構想をお持ちなのか、ぜひお聞きしたい」
俺は苦笑いした。長英と同じパターンだ。やはり、知識欲は何にも勝るらしい。
「では、早速本題に入りましょう。帆、外国では、マストと呼ばれていますが、これを折りたたむには、ヒンジが必須。それ以外にも、てこの原理を用いる必要があります」
「なるほど、つまり、ヒンジを軸にして、てこの原理をうまく使うわけですか」
伝蔵の理解の早さは予想以上だった。まさか、ここまでとは。このような人物を左遷して手放した薩摩藩はもったいないことをしたな。
「伝蔵様は理解が早い。そして、今回の試作運河ですが、他の技術も駆使します。衛生管理はもちろん、シールド工法を投入します」
「シールド工法……? 蘭学にそのような技術はなかったはず」
俺は端的に説明した。イギリスで実践されたばかりであること、トンネルを造るために必要であることなど。
「なるほど、実に興味深い。それで、どうせよと?」
「あなたには、現場の指揮官をお願いしたい。引き受けていただけるか?」
「もちろんだ。その役、引き受けた。書で学んだ西洋の技術を実現できるのに、断る理由がない。彦根に骨を埋めるつもりだ」
「助かります」
あまりのスピード感に、内心驚きを隠せなかった。知識への貪欲さ。そして、自らの知識を試したいという行動力。こういった人物がいれば、前世の日本もマシだったかもしれない。
「長英様とは文通のみと聞いています。引き会わせましょう」
二人が意気投合する未来しか見えないが。
現場に出向くと、高野長英が衛生指導をし、人夫が鍬で作業を進めていた。彼らの熱気はすさまじい。藩札――金のためだけではない。将来的に彦根が栄えるビジョンに共感しているのだ。
「遅くなりました、長英様。こちらが、樺山伝蔵様です」
「初対面だが、文通をしていたから、そんな気がしない」
「拙者もです、長英様」
二人は熱く握手を交わし――。
「さて、伝蔵様を現場の指揮官へ任じる予定です」
本題に入らなければ、間違いなく二人の討議に巻き込まれていた。危ない危ない。
「試験区間の成功が、計画の今後を左右します」
「分かっている。それに、成功だけでなく迅速さも重要であろう。必ずや、期待に応えてみせる」
樺山伝蔵に現場指揮を任せて数か月。あっという間に山城国付近までの試験区間は完成した。想像以上のスピードに藩主である井伊直亮も驚いていた。そして、徐々に経済が回りだしている。今回の工事で運河計画の実用性は証明された。だが、ここからが正念場。今後の運河造りには山脈を貫くという大きな課題が待ち受けている。果たして、難関をくぐる抜けられるのか。
「今のメンバーなら成し遂げられるだろう」
歓喜に沸いている伝蔵と人夫を見て確信した。彼らの熱気が彦根藩を大きく変えるということを、この時は誰も知らない。




