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ヴァルナディア皇国神話編纂記  作者: 砂川百足
第一章 編纂篇
6/24

出立

 「これが――これが、この国の現実か!」


 カルヴァド宮殿の執務室は、僕の叫び声が響いていた。旅支度の途中、記録帳と一緒に入っていた木製の棒を手に取った瞬間、僕はこの国の“汚点”に気づいてしまったのだ。


 「ミズキ様、どうか致しましたか?」


 窓の外の光は、昨夜の激情と夜明けの会議が遠い出来事であったかのように、穏やかに白い石壁を照らしている。僕は朝からヴィオラとこれから出かける旅の荷造りをしていた。


 僕が今手にしている棒は「(キュべルト)」と呼ばれるヴァルナディアの標準的な長さの単位を示すものだ。ヴィオラ曰く、その定規は肘から指先までの長さを基点とする身体尺で、さらにそのキュビルトが「(パーナン)」や「(デジルト)」などに分かれている。


 何が言いたいかというと、めちゃくちゃ使いにくい。科学的根拠のない身体尺だ。僕はメートル法に慣れすぎているから、インチやヤードの世界に放り込まれたような混乱を覚えた。


 「何か問題でも?」ヴィオラは不思議そうに首を傾げた。「これは皇国全土で通用する長さの基準ですが。」


 「問題ありまくりですよ。僕がいた世界の定規はいつも『メートル法』っていう、もっと理詰めの単位でしたから。これじゃ、建物の高さとか、地図の縮尺を正確に記録できません。」


 僕はうんざりしながら、荷物の中にあった別の小さな木箱を開けた。それはヌール女史がもしもの時のためにと持たせてくれた、マルティア王国の刻印があるものだった。中には、真鍮製の美しい()()()()()()が入っていた。


 「こちらの物差し、マルティア王国の標準規格らしいです。」


 定規には、10分割の目盛りが刻まれていた。その横には「マルテル」という単位名が刻印されている。真鍮の定規の裏にはマルテルの規格説明が書かれていた。

ーー自転軸から太陽道までの弧長の1000万分の1をマルテルと定義する


 「マルテルですか。マルティア王国の長さの単位で、キュビルトとは異なります。ヌール様は『計算がしやすい』と仰っていましたわね。」


 「計算がしやすいどころじゃないですよ、ヴィオラ様。これは僕の知っている『メートル法』とほぼ同じ仕組みです。多分、マルティア王国は僕のいた世界の科学文明と同じものを使っている。…これで正確な寸法を記録できます。ヌール様、さすがだ。」


 「そんなに大切なものなのでしょうか?持ってまいりますか?」


 彼女は一つ大きな革製の背負い鞄を僕に手渡した。軽いわりにしっかりとした作りで、第一印象は大人用のランドセルという感じだった。

 

 「これはカシムが用意した記録官の鞄です。絵筆や記録帳、そして道中で採集するかもしれない植物の標本などを入れられるようになっています。」


 僕はマルテル定規を大事に記録官の鞄に収めた。この小さな発見はヴァルナディアが「僕の知る世界と完全に断絶した異世界ではない」可能性があることを証明しているかもしれない。この世界は僕の知ってる地球という場所と同じサイズの同じ環境なのか?それとも・・・


 考えが浮かんだ瞬間、ひどい頭痛に襲われた。激しい眩暈とともに、思考が真っ白に塗りつぶされていく。


 「どうしましたか、ミズキ様!!」


 ヴィオラの心配そうな声はエフェクトがかかったように遠くへ溶けていく。


 そのうち真っ白という感覚だけが残った。いや、白という感覚だけが僕の意識を繋ぎ止めていた。

初めてこの世界に召喚された時と同じ、あの感覚。意識も感覚も全てが真っ白で何も考えることができない。だるくて眠い。

 一瞬、常夜灯で薄暗く照らされた部屋の天井が見える。目で見ているというよりは頭の中にイメージが沸いたような感覚だ。そうだあれは、あの天井は()()()()()()()()()()()()


 そう、理解した瞬間に目の前が明るくなり、 ヴィオラの叫び声が、遠い場所から一気に引き戻すように僕の意識に突き刺さった。


 「ミズキ様、お気をお確かに!ミズキ様!」


 ヴィオラは、まるで迷子の子供を見つけたかのように僕の手を両手でギュッと握りしめ、一生懸命に叫んでいる。その瞳は、驚きと困惑、そして純粋な恐怖と心配で潤んでいた。


 「あぁ・・・大丈夫、急に眩暈がして倒れちゃったみたいだ。僕はどれくらい意識を失っていた?」

 「ほんのひと間でした。倒れてから声をずっとかけていましたから。」


 今のは何だったのだろう、まさか、僕の意識が一瞬元の世界に戻ったのか?


 「よかった、無事なんですね・・・私、驚いてしまって。」


 僕が起きあがろうとすると、ヴィオラが僕の肩に力強く抱きついてきた。彼女は安堵したせいか、目に溜った涙をポロポロと零す。親指でそっと拭うと、その涙は彼女の純粋すぎる優しさのように生温かい。


 「僕は大丈夫、ちょっと疲れが出たのかな。さあ、準備を続けよう。明日、議会でのお披露目が終わったら僕たちは出発だ。」


 僕は立ち上がって、荷造りを続ける。ヴィオラも涙を拭ってさっと立ち上がると、僕の傍に歩み寄り、通信機の木箱を渡す。


 「ミズキ様、これは絶対に肌身離さぬよう。もし敵に奪われれば、ラグナス様の研究成果と陛下の計画が全て露呈してしまいます。」


 その真剣な眼差しに、僕は改めてこの旅が遊びではないことを思い知る。


 「ええ、もちろん。この木箱が、皇都と僕たちを繋ぐ唯一の生命線ですからね。」


 僕は通信機を、内ポケットに縫い付けられた小さな袋に慎重に収めた。この簡素な木箱の中に、この世界で最も進んだ魔法技術が詰まっていると思うと、その重みがずしりと心に響いた。


 ヴィオラは、僕が通信機をしまい終えるのを確認すると、急に笑顔に戻った。任務の重さとは裏腹に、彼女の表情は愛らしくあどけない。この国の儀式を司る詩女といえど、まだ大人にはなりきれていない。


 「ふふ、でも安心いたしました。ミズキ様は、私と二人で旅に出るという事実に、全く抵抗がないようですから。」


 「抵抗なんてあるわけないですよ。ヴィオラ様がいなければ、この旅は僕にとってただの逃亡になってしまう。僕の物語をこの国に届けるには、貴女の護衛と、貴女が持つ詩女としての知識が必要なんです。」


 僕の言葉に、彼女の頬がわずかに赤らむ。僕の言葉で一喜一憂する彼女の純粋さは、心配になる程だ。


 「ミズキ様がそうおっしゃると、力が湧いてきます。道中、詩女としての心得や、各地の土着の信仰についても記録しておきます。ミズキ様の描く物語、皇帝陛下もきっと喜んでくださいます。」


 彼女の瞳は使命感で輝いていた。土着の信仰、軍閥の影響地域、シィヴァ教の布教の仕方……。これらは全て、現代の僕が持っていた「市場調査」や「競合分析」に値する情報だ。それらを「物語」として再構築し、皇族の「祈り」を民衆に根付かせる。この旅は、ヴァルナディアという巨大な国を塗り替える、壮大な宣伝戦略の第一歩だ。


 「これから僕たちの旅が始まるんだね。」


*************** *************** *************** ***************


 夜が明けると、僕は皇城の最も荘厳な場所――帝国議会の議場へと向かっていた

 早朝にもかかわらず、議場には高位の僧侶衆、軍閥の代表、民政院の貴族らがすでに集い、重苦しい熱気が空気を満たしていた。


 カルヴァド陛下は、豪華な正装を纏っていたが、その顔色は依然として冴えず、まるで極限の綱渡りを強いられているかのようだった。ヌール女史とヴィオラ、そして詩女の長タリアが、それぞれ緊迫した面持ちで陛下の脇に控えている。


 「ミズキ様。これが、貴殿の最初の舞台でございます。」


 ヌール女史は、淡い笑みを浮かべながら僕を議場の中央へと促した。僕は自分の心音が周りに聞こえていないか心配になるほど緊張していた。実際には、心音なんて魔素の塊である僕から聞こえるわけがないだろう。


 玉座の前、カルヴァドは一度深呼吸をすると、その疲れた体躯からは想像できないほど、力強い声で宣言した。


 「本日、我がヴァルナディア皇国全土に向け、『祖国統一のための神話編纂の事業』を通達する。」


 彼は言葉を続けた。その声は、シィヴァ教徒の心に配慮しつつ、皇族の権威を再確立する、周到に練られたものだった。


 「近年、我が国の民は、魂の拠り所が分断されつつある。シィヴァ教の尊い教えは、民の精神的な救済となった。だが、その結果、古き皇族の歴史、土着の神々の信仰、そして我々の祖先が築き上げた世俗の安寧の神話が忘れられようとしている。これでは、皇国は外敵の脅威に立ち向かうための一貫した精神を持てない。」


 静まり返った議場に集まる僧侶衆は、その言葉に安堵と警戒を混ぜたような表情を浮かべた。「魂の統一」という神聖な名目に対し、誰も公には反対できない。


 「故に、ここにいる異世界より召喚された客人、ミズキ・イチカワ殿に公的編纂官として、この事業を委ねる。」


 視線が一斉に僕に集まる。


 「ミズキ殿は、詩女の護衛と共に辺境へ赴き、各地の歴史と信仰を『新しい物語』として再編纂する。これにより、シィヴァ教の信仰と、皇族による統治の歴史を統合し、国民意識を皇族へ回帰させるのだ。この事業は、皇族の威信をかけた最優先の国策である。」


 そして、カルヴァドは地図上の小さな点を指差した。


 「ミズキ殿の最初の任務地は、南東部に位置する湿地帯、ラザークの隘路だ。この地は、かつてシィヴァ教僧侶ダルメアが最初に奇跡を起こした地域である。祖国統一はこの地から始めねばならない。」


 ここは、シィヴァ教の総本山がある。昨夜、カルヴァドと僕は、長い時間をかけて旅路を定めた。

 元々、僕の召喚は僧侶衆の意向が大きい。僧侶衆からの要望としては、国民を国土拡大路線へと煽動するような人材を求めていた。皇帝としてはわざわざコストを割いて異世界から人を召喚し、国家統一の物語を編纂することには反対していたのだ。

 僕たちの計画は表向きは国家統一であることを強調し、僧侶衆を欺かなければならない。シィヴァ教僧侶たちの反対する声を牽制するため、そして、この国を知るためにもまずは敵の本拠地に向かうことにしたのだった。


 その時、議場の奥で石床を打つ靴音が響く、一人の男が前に進み出た。


 「陛下、失礼いたします。辺境警備部隊、隊長、カルダでございます。」


 入室したのは、三十歳前後だろうか、引き締まった体躯と、どこか野性味を帯びた眼光を持つ青年将校だった。背筋は真っすぐに伸び、肌は陽に焼けた小麦色。頬をかすめる小さな傷跡が、辺境の厳しさを静かに物語っていた。


 「陛下のご英断、承知いたしました。」


 議場の中心でカルヴァドに対しカルダは一礼すると、僕のほうに強い視線を向けた。


 「ミズキ殿、この度は召喚の成功、心よりお慶び申し上げます。そして、この国を救う神話編纂の大任、誠にご苦労なことです。」


 言葉は丁寧だったが、目が笑っていない。その視線は、僕が神話編纂の旅に値する人間であるかどうかを品定めするようだった。神話編纂を承認したせいで軍部の提示していた予算の一部が削られたと聞いている。


 「ミズキ殿と初めてお会いしましたが、若く健康そうなお姿に安堵いたしました。この国の隅々を廻られると伺っております。老体だったら私が任務をかわる覚悟で参りました。」


 議場に笑い声が響く、カルダも笑っていたが、「お前の旅には辺境警備体に当てられるはずだった予算が裂かれているのだぞ」という、複雑な感情が滲んでいるようにも見えた。


 「陛下、私は軍部を代表し、一言申し上げたい。ミズキ殿が編纂される新たな神話は、我々がデセリオンの獣から国を守るための盾とならねばなりません。」


 カルダはカルヴァドの方に向き直る。彼の声は、ミズキに対する時よりも、一段と熱を帯びていた。


 「ただ、陛下におかれましても、剣の現実を忘れないでいただきたい。周辺国では今も、幼い子供たちが誘拐され、村は略奪の被害にあっているのです。国家統一も重要ですが、物語だけでは、子供たちの命は守れません!」 


 カルダはそこで言葉を区切り、一歩前に進み出る。カルヴァドの疲労した顔と、カルダの燃えるような眼光が対峙した。


 「最前線では、物語や詩歌よりも、兵糧と、剣を振るう力のみが子どもたちの命を救います。私は、陛下がこの事業に割かれた予算が、我々の兵站を支える資金を上回ることのないよう、強く願うのみです。」


 カルダは、軍人としての分を弁え、予算の是非を問わず、あくまで「現場の現実」を語るという形で皇帝の発表に牽制を入れたのだ。


「ミズキ殿。辺境の現実は、美談だけでは救えません。貴殿の旅の成功を祈ります。そして、真に国を守る力となる神話を持ち帰ってくださることを、切に願っております。」


 そう言い残すと、カルダは再び硬質な一礼をし、カルヴァドからの返答を待たずに席に戻って行った。彼の熱っぽい口調と、去り際にミズキに向けた「無駄にするな」と釘を刺すような視線がミズキの胸に残った。カルヴァドは、僕にだけ聞こえる小さな声で伝える。


「…あのような者こそが、真にこの国を守ろうとしている人間だ。ミズキ、これがこの国の現実だ。貴殿が作る『神話』は、彼のような信念を持った者たちの命を、無駄にしないための物語でもある。」


 カルヴァドは、カルダの言葉を否定しなかった。彼は、この男と彼の部下たちが、皇都の政治とは無関係に、毎日血を流している事実を痛いほど噛み締めている。

 僕はカルダの言葉と、カルヴァドの悲痛な声の重みに、自分が負った使命の重さを改めて噛みしめるのだった。


 僕は、カルダに深く一礼した後、ヴィオラと共に、緊迫した議場を後にした。カシムがすでに馬車と荷物を用意して、議場の近くの停車場に馬を止めていた。ヌールの策で、議会が閉会する前に僕たちを出立させる手筈にしていたからだ。高僧衆や軍閥に、僕の行動を止められる前にお披露目をしたらすぐに出てしまえば、多少、僕は細かい妨害をかけられることもない。


 「ミズキ様、ヴィオラ様、お早くお乗りくださいませ。」


 僕とヴィオラは幌馬車に飛び乗った。カシムが馬に鞭を打つと馬が大きく嘶き、皇都の喧噪が遠ざかっていく。――こうして、僕たちの旅が始まった。

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