学舎
「ミズキ様、おはようございます。本日からよろしくお願いいたします。」
朝からヴィオラの笑顔が眩しい。その後ろで、ゼルフィアが僕を睨みつけていた。今日から詩女の二人と共に、ヴァルナディアの国政を学ぶことになった。講義をしてくれるのはカルヴァドの執務官長、ヌール女史だ。
皇帝カルヴァドの要望で、僕は東方の宮殿に10日間滞在し、皇国の政治を学ぶことになった。僧正たちには「肉体錬成に時間がかかる」と伝えてあるらしい。僧侶や軍人たちが僕を利用しようとする前に、皇国を理解させたい――それが皇帝の思惑だった。
外出は禁止されたが、質素ながら整った宮殿の居心地は悪くなかった。陽光が差し込む中庭の噴水を眺めながら、異世界にいるという実感がじわりと湧いてくる。
二日間、ラグナスに魔法理論の基礎を叩き込まれた。その中で最も衝撃を受けたのは「翻訳」だった。僕の耳には全て日本語に聞こえるのに、実際にはヴァルナディア語を話し、書いているらしい。
――それが、時空結晶のもたらす魔法効果だとラグナスは言った。これまでのヴァルナディア魔法史を振り返っても、魂の召喚をした記述はそうそう多くない。召喚には天才的な魔法の技術と依代になる巫女の存在が欠かせない。依代としての才覚をもった詩女こそ、ゼルフィアだ。僕を召喚した天才的な魔法の技術を持った誰か、それは講義の間も伏せられていた。
さらに、人体錬成術の儀式には魔素を大量に消費してしまう。僕の体は魔素の塊、全身が貴重品でできているようなものだった。そのためか、時空結晶の研究も人体錬成術の研究もなかなか進んでいないらしい。
昨日のラグナスの講義を思い出しながらゼルフィアを見つめた。
「・・・何か?」
ゼルフィアが嫌そうな顔で睨み返す。なんとなくギスギスしながらも、朝から政治体制の講義がはじまった。
ヌール女史は有能な秘書としてカルヴァルドの信頼を一身に寄せられている。彼女は黒髪を後ろで編い、冷静で実務的な雰囲気を漂わせていた。
「お三方、お集まりになりましたね。最初に理解していただきたいのは、皇帝陛下は絶対者ではないということです。皇国の政治体制を理解するには、まず“力の源泉”を知る必要があります。この国では、力とは三つの柱によって分かたれております――それは、剣・言葉・祈りです。」
皇帝は剣(行政)、皇国議会は言葉(立法)、シィヴァ教は祈り(司法)――まるで三権分立のような体制だ。
絶対的な権力を皇帝が持つわけではないらしい。権力の分散によってお互いに牽制し合う関係が長らく続いていたが、隣国の脅威が大きくなるにつれて関係性も変わりつつあった。
皇国軍の若い将校や地方の民政官の間では、シィヴァ教の掲げる「皇国拡大」の理想に共鳴する者が増えていた。十年ほど前より、皇国では他国と隣接する地域での略奪や皇国民を拉致する事件が多発している。これらの事件を発端に治安は悪化、民衆の心は皇帝からシィヴァ教へ移り皇国のパワーバランスが崩れはじめていた。
「一旦、休憩にいたしましょう。」
ヌール女史の講義は、やっと昼過ぎに中断された。慣れない座学にヴィオラもゼルフィアもそして僕も必死だった。時間はあっという間に過ぎてしまったようで、腹が空きすぎて仕方ない。
食事はカルヴァド宮付きの執務官のカシムが作ってくれる。今日の昼食は肉と野菜の炒め物の入った薄焼き餅、香草茶のポットをバスケットに入れて持ってきてくれた。
「せっかくですから、中庭で一緒にいただきませんか?」
宮殿の中庭には、木製のテーブルと二人掛けのベンチが向かい合っていた。ゼルフィアとヴィオラが奥に座り、ヌール女史の隣に僕が座った。ヌール女史は僕の“元の世界”に興味津々だった。生活や国の仕組みを次々と尋ねてくる。実務的な口調のまま私的な好奇心をぶつけられると、断りづらいものだ。
「ミズキ様は、奥様やお子様はいらっしゃらなかったのですか?」
「ええ、夢を追いかけていた時期が長くて、恥ずかしながら独り身です。」
夢を追いかけていたという言葉にヴィオラが目を輝かせた。
「夢を追いかけるなんて、とても素敵なことです。ミズキ様はどんな夢を追いかけていらっしゃるのです?」
「恥ずかしながら・・・漫画家になりたくて。」
ヴィオラとゼルフィアは顔を見合わせてから、申し訳なさそうに僕の方を向いた。
「ミズキ様、その、マンガカとは一体どのようなものなのでしょうか?」
この世界には漫画という概念はない。印刷技術がそこまで発展しておらず、識字率も四割ほどだ。漫画とは絵と文字の組み合わせで物語を綴る文化で、それを描くのが漫画家だと説明すると大層驚かれてしまった。現在、紙は貴重なもののようだ。
「素晴らしい夢をお持ちなのですね。私は詩女の才を見出されてから、ただ、儀式のための歌と舞を覚えることで精一杯でした。そのように生きることしか考えていませんでした。」
詩女とは一体どんなことをされるのでしょうか?と僕が聞くとヴィオラが丁寧に教えてくれた。
「詩女とは、皇国に伝わる儀式を司る巫女です。私は五つの時に、ゼルは三つ時には才を見出されて月の宮殿に住んでおります。家族から離れ、巫女としての教育を受けました。」
ゼルフィアがヴィオラの取り留めもない説明に割って入る。
「詩女に選ばれた少女は、十代半ばで儀式を独りでこなせるようになり、輿入れすると任を解かれます。現在、詩女は四十三人。その頂点に立つのが、タリア様です。」
タリアには聞き覚えがあった。ゼルフィアが僕に平手打ちをした時に抑えてくれていた女性の名前だ。
「ゼルはタリア様を継いで詩女姫になるのよね。私はまだ、先のことを考えられないわ。」
「何言ってるのヴィル、あなたの心はできる限り皇帝陛下に尽くしたいと決まっているんでしょ?」
ヴィオラとゼルフィアの笑い声が中庭に響く。自由な身分ではないが、詩女はこの国のエリート中のエリートで大変名誉な仕事だ。それでも年頃の乙女が二人そろえば、たいそう華やぐってもんなんだろう。
「そういえば、ヌール様のご子息も私たちと同い年でしたよね。」
「え?ヌールさんってそんな大きなお子さんがいらっしゃるんですか??」
僕は目を丸くした。ヌール女史は30代前半に見える。とても、ヴィオラやゼルフィアと同い年の子供がいるとは思えなかった。
「ええ、今はマルティアに留学しております。これからは交易の時代になっていくでしょう。それを支える礎となるために商業や航海術、造船技術の勉強に励んでいるはずですわ。」
午後の授業は皇国の産業と地理についてだった。皇国の発展は魔法による恩恵が大きい。特に沿岸地域での魔法による高純度の塩の生成とオリーブ栽培と加工、高地では地理を生かした茶やスパイス、薬草の栽培と魔法による薬品生成、高品質な繊維産業、魔法技術によって作られた精巧な金属装飾や武具などが特産品として目立つ。現状はどれも魔法の依存度が高い産業だ。
「では、詩女として各地を回ったことがある二人にヴァルナディアの港、アザールについてゼルフィア様にお話していただきましょう。」
ヴィオラとゼルフィアが語った各地の様子、地方貴族の自治の状況、文化や風土は非常に興味深かった。詩女という特殊な特権階級の二人は様々な身分の人間との交流がある。各地域の情報収集という役割も兼ねているようだ。二人の語りとヌール女史の補足は、堅苦しい座学とは違い飽きることがなかった。
午後の授業をきっかけにゼルフィアとも解け、あからさまな無視や軽蔑の視線は無くなった。ゼルフィアが僕を嫌っているということを知って、ヌール女史は一緒に勉強させることを提案したのかもしれない。兎にも角にも、ヴィオラとゼルフィアの二人はヌール女史の役に立てたことが嬉しいらしく、陽が落ちた頃に大変機嫌を良くして月の宮殿へ帰って行った。
僕はどうしてもヌールにお願いしたいことがあったので、彼女を引き留めた。
「ヌール様、お願いがあります。」
「皇帝陛下が歓迎された御仁のお願い、私ができることなら何なりとお申し付けください。」
「紙とペンをください。できれば、切る道具と糸も――僕は、この世界でも通じる物語を描いてみたいんです。」
彼女は一瞬だけ驚いたように目を細め、それから静かに頷いた。
「……承知しました。陛下も、きっとお喜びになるでしょう。」
そのとき初めて、僕はこの世界で何かを「自分の手」で作れるかもしれないと思った。
次の日も他国との外交姿勢や、現在の皇国の立ち位置、財務状況、軍事、シィヴァ教との関係、皇国の大雑把な歴史を詰め込めるだけ詰め込んだ講義が続いた。歴史はともかく、政治や経済などの慣れない授業についていくのにヴィオラとゼルフィアはだいぶ苦労していた様子だった。
ヴィオラが権力の分散について理解できなかった部分を僕に聞いてきた。ゼルフィアはまだ不審そうな目で僕を睨んだが、昨日よりは視線にトゲがない。彼女もまた、この講義で必死なのだと分かった。
そういう僕もこの国のことを全く知らない。授業が終わった後も予習復習が欠かせず、講義の五日目には目の周りのクマも、相当濃くなっていただろう。
「今日で私の講義もこれで終わりです。ミズキ様は召喚されて一週間経ちました。どうですか?この国のことが何となくわかりましたか?」
「ええ、なんとなくどんな状況なのかわかりました。」
確かにヴァルナディアはじわじわと弱体化を続けており、素朴な国民性のせいか自国に有利な特産品があるにも関わらず、急激に巨大化する他国の経済競争に怖気付いてしまって経済的にも萎縮傾向だった。その国民の心を惹きつけたのがシィヴァ教だ。
シィヴァ教の教義は精神の鍛錬こそが、強靭な肉体と豊かな国を作るというようなものだった。三百年ほど前に開祖ダルメアが突如として神の声を聞くようになったことが教団の発足となった。開祖ダルメアがヴァルナディアの人々に魔法を使った農法や特産品の製造などを伝授することで信仰を広げていき、浄水や下水などのインフラ事業も発展させた。さらに教団の厳格な教えが皇国の法的概念になったことも大きい。
各地に小規模な寺院を建設するようになるとシィヴァ教は国政にも関与するほど強大な権力となり、発足から百五十年で皇帝も無視できず、裁判所や警察機構、教育の一部担う存在へと発展した。特にこの十年で勢いは増し、皇国議会に出席する僧侶の数は倍増するほどだった。
宗教という性質もまた、皇国を苦しめていた。どうしても布教や拡大を望む僧侶や信徒の声は他国への侵攻を謳う勢力と結びつきやすい。最近は皇国の地方貴族と結託しているという噂も各地で囁かれていた。
公衆衛生や公共事業で大いに活躍したシィヴァ教だが、今やその教義と宗教という性質そのものが、皇国の発展を阻む要因となりつつあった。
僕は皮肉だなと思う反面、どうすればいいのかはわからなかった。
一週間か、早いな。僕は情報を詰め込みまくった頭をほぐすようにこめかみをもみ込んだ。・・・元いた世界、日本と同じ十二ヶ月、三百六十五日、一週間は七日、時間も二十四時間、この世界と僕の世界は共通している部分が多い。さらにありがたいことに太陽と月があるのだ。概ね物理現象は類似しているが、魔法という大きな厄介がある。とはいえ、ある程度の類似のおかげで僕が知っている知識が多少役に立つだろう。
「そういえばミズキ様、私が用意した紙とペンはお役に経ちましたか?」
「ええ、実はこんなものを作ってみました。」
ヌール女史が教材として用意した文献や、地図を片付けながら僕に話しかける。そうだ、実は今日まで僕が徹夜をしていたのはコイツのおかげだった。少し照れくさそうに自分が作った本を出した。もらえた紙を綺麗に和綴じにしてヴィオラとゼルフィアのために絵本を書いていたのだ。
年頃の女の子には少女マンガ風のものがいいだろう。異国のお姫様が商人の男と恋に落ちて、新たな人生を切り開くために身分を捨てる物語を書いたのだ。時間もなかったので、10ページほどの絵本だった。久しぶりにペンで、しかも鉛筆も消しゴムもないこの世界で絵本を書くのは思った以上にしんどい作業だった。
「まあ、こんな素敵なものを作ってくださったんですね。」
ヴィオラに渡すと彼女はたいそう気に入ってくれた様子だ。食い入るように読む彼女の姿を見れば、疲れも吹っ飛ぶ。意外なことにヴィオラの後ろで覗き込んでいたゼルフィアにも好評だった。二人は物語のお姫様に自分を重ねていたのかもしれない。しかし、一番驚いたのがヌール女史の反応だった。彼女は物語に耽る二人の表情を観察し、彼女たちが一通り読み終わると感想をじっくり聞いてから僕の本を手に取った。ヌールはペラペラとページをめくった後に、さっと文章を読んでからヴィオラに返し、月の宮殿の詩女たちに読ませて反応を聞いてくださいとお願いする。僕の本をどうするつもりなのだろうか?
「ミズキ様、今日からは夕食後は皇帝陛下と今後の方策を考えてもらいます。これは貴殿と皇国のこれからを左右する会議になります。私からのお願いですが、その場にヴィオラ様とゼルフィア様を同席させてもいいでしょうか?」
僕は面食らったが承諾した。そもそも僕に決定権があるのだろうか。




