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ヴァルナディア皇国神話編纂記  作者: 砂川百足
第二章 プロパガンダ篇
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詩女の使い方

 ラシッドに案内され、僕たちは要塞の中枢にある司令室へと向かった。冷たい石造りの通路を進むにつれ、中から怒声が響いてくるのが聞こえた。


 「――ふざけるな! 今すぐ小隊を動かせと言っているんだ!」

 「貴様こそいい加減にしろ! ここは軍の司令部だぞ!」


 扉を開けた瞬間、飛び込んできた光景に僕は息を呑んだ。


 「離せ! 離せよ! あの馬鹿野郎を説得しろ!」

 「暴れるな、落ち着け!」


 部屋の中央で、リアンがカルダ隊長に背後から羽交い締めにされていた。小柄なリアンが必死に足をバタつかせて暴れているが、巨漢のカルダはびくともしない。しかし、リアンの表情は僕が今まで見たこともないほど必死で、歯を食いしばり、その目は血走っていた。

 その正面で、机をバンと叩いて立ち上がっているのが、アルサール大隊長だろう。生真面目そうな中年将校で、額に青筋を浮かべて怒鳴り返している。


 「何度言えば分かる! 我々皇国軍にコルガスに踏み込む権限はない! 民間の集落に武装した兵士を踏み込ませれば、それは捜査ではなく軍事介入になるんだ!」

 「そんな戯言を聞いている時間はないと言っている! 今夜だぞ!? 今夜、コルガス村で取引があるんだぞ!」


 リアンはカルダの腕の中で身をよじり、叫んだ。


 「相手はデセリオンの仲買人だ、 村の連中もグルになって子供を隠している! もたもたしていたら、証拠ごと子供たちは国境の向こうへ売り飛ばされるか、その場で処分されるぞ!」

 「だとしてもだ! 確たる証拠もなく村に踏み込めば、住民との衝突は避けられん! ただでさえクエタの民衆は、我々皇国軍を侵略者と見て警戒しているのだぞ!?」


 アルサールの言い分は正論だった。

 ガランドの圧政から解放されたとはいえ、クエタの住民にとって皇国軍は余所者だ。もし軍が独断で村を襲撃し、家探しを始めれば、住民感情は爆発し、暴動に発展しかねない。

 ましてや、今は法治国家としての体裁を整えている最中だ。疑わしきは踏み込むという無法は許されない。


 「証拠ならある! だが情報源は明かせない。 村長の家の地下から、子供の泣き声がすると言っているんだ……」

 「それじゃ証言にならない! 『影』の諜報員一人の言葉で軍が動けるわけがあるか! 踏み込めば軍律違反だ!」

 「軍律だと……? 目の前で子供が燃料にされようとしてるんだぞ!? 紙切れ一枚と命、どっちが重いんだ!」

 「国家の秩序と、陛下に対する忠誠心だ!!」


 アルサールの一喝が、部屋の空気を震わせた。


 「我々が法を破れば、我々はただの武装集団に成り下がる! ……秩序を守るために、私は部隊を動かさん!」

 「ッ……この、役人風情が……!」


 リアンは悔しげに歯を食いしばり、床を睨みつけた。その姿は、ノルヴェンガで冷静に任務を遂行していた彼とは別人だった。子供たちの悲劇を誰よりも知っているからこそ、目の前のルールという壁がもどかしくてたまらないのだろう。


 「……おい、リアン。落ち着け。」


 羽交い締めにしていたカルダが、耳元で低く囁いた。


 「ミズキたちが来たぞ。」


 その言葉に、リアンの動きがピタリと止まった。彼はハッとして顔を上げ、入り口に立ち尽くしていた僕たちを見た。その瞳が一瞬揺れ、そしてすぐにバツが悪そうに視線を逸らした。


 「……ふんっ、見せ物じゃあないですよ。」


 カルダが拘束を解くと、リアンは乱れた襟元を荒々しく直し、大きなため息をついた。


 「……到着早々、お見苦しいところを。」

 「いや……事情は、なんとなく聞こえました。」


 僕は部屋に入り、張り詰めた空気の中を進み出た。アルサール部隊長が、不審そうに僕を見る。


 「君たちは?」


 ラシッドがカームと僕を紹介する。


 「皇都から来た、ダフタル・ニューズの出資者であるカーム氏と編集顧問のミズキ氏です。こちらの要塞にもダフタル・ニューズの支局を置くという計画が皇帝陛下よりあったと思います。……そして、こちらが。」


 僕とカームが頭を下げる。ラシッドがヴィオラを示すと、彼女は一歩前に出て、毅然と頭を下げた。


 「……ヴィオラです。陛下のご命令のもと、詩女として調査に参りました。」

 「詩女様がいらっしゃるとは、聞いておりませんでした。先ほどの無礼、大変失礼いたしました。」


 詩女。その言葉に、アルサールの表情は和らいだ。ヴァルナディア西部では詩女姫に対する信仰が厚い。それは皇都以上に大切な存在として信仰の対象となっていた。


 だが、事態は膠着している。元々クエタ領治安部隊が治安維持を担っていたが、機能不全に陥っていた。このクエタで、法を守ろうとする軍と、命を守ろうとする諜報員。どちらの正義も、間違ってはいない。だからこそ、最悪の状況だった。


「……スパルナの記録は残さない。分かってくれ。」


 アルサール部隊長は、怒鳴り疲れたように椅子に沈み込んだ。彼がリアンをコードネームで呼んだのは、ここが公式の場ではないというせめてもの譲歩なのだろう。


 「私も、目の前で犯罪が行われているのを見過ごしたいわけじゃない。だが、今のクエタには治安維持組織も、絶対的権力も存在しないんだ。」


 彼は机上の書類――赤ペンで修正だらけの組織図を叩いた。


 「ガランド時代、この地域の治安維持を担っていたクエタ領治安部隊は、腐敗しきっていた。賄賂は当たり前、あまつさえデセリオンに軍事情報を流していた売国奴の巣窟だった。……先週、私が全員解雇し、現在再編成を行っている最中だ。」

 「だから、子どもたちの捜査を執行できる機関が空白になっている、と?」

 「そうだ。今のクエタは無政府状態に近い。ここで軍が独断で動けば、それは戒厳令と同じだ。民衆は皇国軍を解放軍ではなく、新たな支配者と見なすだろう。私は陛下が望まれる国家建設の夢が遠のくのは避けたいのだ。」


 アルサールの苦悩は深かった。彼は法治国家としてのヴァルナディアを守ろうとしている。そして、カルヴァドに対する並々ならぬ忠誠心で動いている。しかし、その法の手続きが今は足枷になっているのだ。


 「……奴らは、それを見越しているんだ。」


 リアンが悔しげに拳を震わせた。


 「デセリオンの仲買人は、この再編成の空白を突いてコルガス村に入り込んだ。治安部隊は機能しない、軍は動かない。……子供を売り飛ばすには絶好のタイミングだ。」


 沈黙が支配した。部屋にいる誰もが、正しさと正しさの板挟みになっていた。子供を救うには法を破るしかないのか。法を守るために子供を見殺しにするのか。


 その時、凛とした声が響いた。


 「――アルサール部隊長。」


 一歩前に進み出たのは、ヴィオラだった。旅の埃にまみれた外套を脱ぐと、その下には詩女としての儀礼服が見える。彼女は背筋を伸ばし、毅然とした瞳で部隊長を見据えた。


 「コルガス村へ、私が……詩女として『春の芽吹きを祝福』しに出向くというのは、いかがでしょうか?」

 「……祝福、ですか?」


 アルサールが目を丸くする。


 「はい。この時期、西部の寒村では春の訪れを祝う祭事が行われると聞きます。皇国の詩女が、戦乱に疲れた民を慰撫し、祈りを捧げに行く。……それは、宗教的にも政治的にも、極めて自然で平和的な行いではありませんか?」


 三百年前、ヴァルナディアは北のサリヴァの独立と西方のデセリオンの独立を許した。このクエタ要塞はその際に起きた紛争の最前線だったらしい。

 詩女は奇跡をもたらし、このクエタの要塞を守ったという伝承がある。ヴィオラ曰く、西方の人々にとって皇帝やシィヴァ教よりも詩女に対する尊敬と信仰は大切にされており、今でも星巡りの儀や、春の祝福、収穫祭は重要な催事として祝われているそうだ。


 ヴィオラは言葉を続けた。その口調には、政治的な駆け引きすら手玉に取るような強かさがあった。詩女は皇国の要。表の政治的取引を請け負うのも彼女たちの仕事なのだ。


 「そして、皇国の重要人物である詩女が、治安の悪い国境付近の村へ出向くのです。……私の護衛として、皇国軍の小隊が同行するのは、何らおかしな話ではないはずです。」

 「……ッ!」


 アルサールが息を呑んだ。リアンが顔を上げ、驚いたようにヴィオラを見る。

 僕もまた、彼女の提案に舌を巻いた。それは完璧な方便だった。

 軍は「捜査」や「鎮圧」のために出動するのではない。あくまで詩女様の「護衛」として動くのだ。これなら軍律違反にはならないし、民衆からも歓迎こそされ、反発は招かない。


 「……護衛、ですか。」


 アルサールは顎に手をやり、数秒考え込んだ後、ヴィオラを見つめた。それは、法の抜け穴を見つけた共犯者の顔だった。


 「……確かに。詩女様の身に何かあっては一大事だ。完全武装の小隊を護衛につけるのは、軍として当然の義務。それは、陛下を裏切る行為ではないはずだ。」


 彼は立ち上がり、軍帽を被り直した。


 「ただし、我々はあくまで護衛だ。村の家探しはできません。」

 「ええ。ですが……もし私の目の前で、不逞の輩が子供を害そうとしたならば?」

 「その時は、詩女様への脅威を排除するために、全力で制圧行動を行う。」


 アルサールの言葉に、カルダがニヤリと笑った。


 「……うまく回避策を考えましたね。」


 カルダは深く息を吐き、ヴィオラに向かって頭を下げた。


 「助かりました、ヴィオラ様。まさか貴女に、政治劇の真似をさせるためにお連れした訳ではなかったのですが……。」

 「いいえ、カルダさん。」


 ヴィオラは静かに微笑んだ。


 「この国の秩序を守ることこそ、詩女の務めです。……たとえそれが、誰かを欺くことだとしても。」


 彼女はもう、守られるだけの少女ではなかった。彼女の頭の中にはカルヴァドが浮かんだのだろうか?一瞬だけ、寂しそうな表情で目を伏せたように見えた。リアンがジロリとヴィオラを睨みつけたのちに、アルサールの返答を待った。


 「詩女様の覚悟を聞かされては、我々も動かざるを得ません。」


 アルサールは西方の村落出身の軍人だ。皇帝による直々の命令で詩女が視察というのは、クエタにとっても大きな意味があったのだろう。皇帝カルヴァドはクエタを見捨てていなかった。そう、感じたに違いない。領主ガランドが腐らせ、皇女タリアが見捨てた腐敗し切ったこの西部の地に蔓延した絶望感は予想以上に大きなものだったのだ。

 僕にはヴァルナディアの政治的な制約や法律はわからない。ただ、見過ごすことしかできないアルサールにとっても、ヴィオラの提案は渡りに船だったことは確かだろう。小隊規模の皇国軍をカルダに貸し与え、具体的な作戦を詰め始めた。


 「……護衛作戦。」


 アルサールは眉間にしわを寄せてしばらく無言で考え込んだが、やがて彼は居住まいを正し、自らの軍服の襟元――かつてカルヴァドが制定した『ヴァルナディア皇国軍』の真新しい徽章に、祈るようにそっと触れた。


 「……カルヴァド陛下は、我々のような西部の出身者にも平等な法と秩序をお与えくださった。このクエタの地を近代国家の礎とするという陛下の気高き理想を、私の代で汚すわけにはいかんのだ。」


 アルサールの声には、単なる上官への敬意を超えた、宗教的なまでの痛切な忠誠心が滲んでいた。彼が頑なに軍律を守ろうとしていたのは、出世保身のためではないのだろう。


 「だが、詩女様の身に何かあっては一大事。完全武装の小隊を護衛につけるのは、軍として当然の義務だ。……それは決して、陛下の法に背く行為ではない。」


 アルサールは、自分自身に言い聞かせるように頷き、机の上の書類を乱暴に払いのけた。


 「西部巡回警備隊、一個小隊をカルダ隊長に預ける。目的は詩女様の護衛……ただし、実戦を想定する。リアン、村の状況を報告しろ。」


 リアンは返答をせず、さっと地図を広げ『コルガス村』の地点を叩いた。


 「コルガス村は、周囲を小高い丘に囲まれた盆地の底にあります。村へ出入りできる道は、正面の街道と、裏山の獣道の二つだけ。……僕の調査ではデセリオンの仲買人と、彼らに加担している村の有力者たちは、一番奥にある村長の家の地下に子供たちを監禁しています。」


 リアンは、懐から走り書きのメモを取り出し、素早く盤面を整理していく。やはり、彼は諜報機関の人間だ。僕のような一般人とは動き方も含めてすべてが違う。


 「敵の戦力は、デセリオン側が雇った武装した護衛が約二十名。それに加え、村の自警団気取りのやから十数名。奴らは旧式の猟銃や刃物で武装していますが、統制は取れていません。」


「なるほど。数の上ではこちらと同等というわけか。」

 カルダが、太い腕を組みながら地図を睨みつける。


 「だが、狭い村の中で正面から銃撃戦になれば、必ず民間人に犠牲が出る。子供たちを人質に取られるのが最悪のパターンだ。……派手な真似はできない。小隊規模の戦術で、確実かつ局地的に制圧する。」


 カルダは、地図上の村の入り口と、裏山の二箇所に駒を置いた。


 「作戦は三段階だ。……第一段階。ヴィオラ様には『春の祝福』の名目で、儀仗兵十名を連れて正面街道から堂々と村に入っていただく。」


 「完全な『陽動』ですね。」

 僕が呟くと、カルダは小さく頷いた。


 「そうだ。皇国の詩女様が正規兵を連れてやってきたとなれば、村の有力者やデセリオンの連中はパニックになる。必ず、ヴィオラ様を村の広場でもてなし、時間を稼ごうとするはずだ。敵の意識は、完全に『村の正面』へと釘付けになる。」


 「その隙に、俺が動く。」

 リアンが、血走った目で裏山の獣道を指差した。


 「第二段階。敵の警備が手薄になった裏手から、俺と、市街戦に長けた五名の突入班が侵入。村長の家の地下へ直行し、見張りを無力化して子供たちを確保する。……そして、確保が完了した瞬間に、赤の信号弾を上げる。」


 「そこからが、俺たちの仕事だ。」

 カルダが、冷酷な光を宿した目で地図全体を見渡した。


 「第三段階。信号弾を合図に、広場のヴィオラ様と儀仗兵は即座に防御陣形を取り、村人から距離を置く。同時に、周囲の丘に潜ませていた残りの二十五名が、一斉に村を包囲。……敵の退路である正面と裏山の二つのルートを『陛下の開発した新兵器』で完全封鎖する。」


 「『陛下の開発した新兵器』って何ですか?」

 僕はその言葉に驚かされた。カルヴァドがマルティアで工学を学ぶために留学をしていたと聞いたが、武器開発もしていたことは知らなかった。


 「陛下は僕たちに新兵器を運ばせるためにも先にクエタへ派遣していたんだ。」

 リアンが指さす方向には大きな機関銃のようなものがある。それは歴史の教科書でしか見たことがないような車輪がついた古いタイプの機関銃だった。


 「何回か訓練射撃を行った諸君は、実戦でこの武器を初めて扱う部隊となる。そのことを心して、本任務に従事せよ。」

 アルサールの表情は真剣だった。


 地形を利用し、敵の意識を誘導し、退路を断って物理的に包囲する。カルダの提案した作戦は近代歩兵戦術における、極めて冷徹で合理的な制圧のお手本のようだった。


 「退路を断たれたと知れば、烏合の衆である村の連中は戦意を喪失する。抵抗するデセリオンの護衛には、高所からの威嚇射撃と催涙ガスを叩き込み、一網打尽に捕縛する。」

 カルダは、盤面の駒を一つ残らず手のひらで包み込んだ。

 「……以上だ。アルサール部隊長。」


アルサールは、額に薄く汗をにじませながら、完璧に組み上げられたその作戦を見つめていた。


 「……見事だ。この作戦、失敗はできない。」

 彼は深く息を吐き、そして、鋭い眼光でリアンとカルダを射抜いた。


 「決行は今夜。ヴィオラ様と子供たちの安全確保を最優先とせよ。……そして、この地に蔓延るデセリオンの毒を、陛下の名において完全に払拭するのだ!」


 「はっ!!」


 全員の力強い敬礼が、冷たい石造りの司令室に響き渡った。

 法と正義、そして皇帝への狂信的な忠誠心。それらが複雑に絡み合ったこの要塞から、冷徹な近代軍隊としての牙を剥き出しにした小隊が、いよいよ夜の闇の中へ出撃しようとしていた。

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