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ヴァルナディア皇国神話編纂記  作者: 砂川百足
第一章 編纂篇
22/25

復興支援

 「―――失礼いたします。」

 

 皇帝カルヴァドが、その忌まわしい黒い魔素の腕を晒し、カルダ隊長と痛みを分かち合った瞬間だった。

 二人の男の間に、立場を超えた奇妙な連帯が生まれようとしていた。

 唐突に、部屋の隅の影が揺らぎ、全身を黒装束で包んだ一人の男が音もなく現れた。


 「影の月」の伝令だ。


 僕とカルダは驚きに身構えたが、カルヴァドは黒い腕に幻影をかけ直しながら、軽く手で制した。


 「報告か。」

 「ハッ。西方へ潜入中のスパルナより、緊急の書簡でございます。」


 男は跪き、封蝋された二通の羊皮紙をカルヴァドの卓上に置くと、再び影の中へと消えた。

 張り詰めた空気の中、カルヴァドは一つ目の封を切った。


 「……ほう。デセリオンと内通している国内の要人リストか。宰相補佐、南部の貿易商……すべて、ガランド伯爵の屋敷から持ち出された情報のようだな。」


 「もうそこまで探れたのですか? タリア様が嫁いでまだ一ヶ月も経っていませんよ。」


 僕は思わず感嘆の声を上げた。

 これは朗報だ。リアンたちがうまく潜入し、成果を上げている証拠だ。これなら、ガランドを追い詰める日も遠くないかもしれない。

 だが。二通目の封を開き、その文面に目を通した瞬間だった。カルヴァドの表情が、凍りついた。

 まるで幽霊でも見たかのように血の気が引き、見開かれた瞳孔が小刻みに揺れている。


 「へ、陛下……?」


 カルダが不審に思い声をかけるが、カルヴァドは反応しない。ただ、持っていた羊皮紙が、震える指の間からヒラリと床に落ちた。

 僕は嫌な予感を覚え、慌ててそれを拾い上げ、カルダと共に内容を覗き込んだ。


 『―――要塞都市クエタにて緊急事態発生』

 『ガランド伯爵、死亡。殺害したのは、伯爵と密会中だったデセリオン軍の高等弁務官』

 『同高官は、タリア様を連れてデセリオン本国へ逃亡』

 『尚、タリア様に叛逆の意思なしと判断。我々は予定通り、タリア様を支援しつつ国境を越える――』


 「ガランドが殺された!? しかも、敵国の高官に?」


 カルダが絶句した。僕も頭が真っ白になった。


 「なんてことだ……。取引の縺れか? その巻き添えで、タリア様は……敵国へ連れ去られたのか……!」


 最悪の悲劇だ。


 政略結婚という捨て身の覚悟で嫁いだばかりのタリア様が、夫となったガランドを殺され、さらに混乱の中、あろうことかカルダを実験台にしたあの恐ろしい「デセリオン」の高官に拉致されてしまったのだ。


 声を失い、無力な彼女が、科学者たちの国へ連れて行かれる。その先にある運命を想像するだけで、寒気が走った。


 「陛下! すぐに救出部隊を……!」

 「あまりに危険です! 国境軍を動かす許可を!」


 僕とカルダは、皇帝の安否を気遣い、妹を案じて叫んだ。

 だが、カルヴァドの様子がおかしい。彼は悲しむでも、怒るでもなく、ただ口元を押さえ、ガタガタと震えだしたのだ。


 「う、うっ……!」

 「へ、陛下ッ!?」


 次の瞬間、カルヴァドは不意に机の上の花瓶を掴んだ。生けられていた純白の白百合が、乱暴に床へと投げ捨てられ、花弁が飛び散る。

 そして、空になった花瓶に口を押し当て――。


 激しい嘔吐の音が、静まり返った執務室に響いた。胃の中のものを全て吐き出すような、生理的な拒絶と恐怖の反応だった。


 胃液の酸っぱい臭いが漂う。


 「へ、陛下! しっかりしてください!」

 「衛生兵を! 誰か!」


 僕は慌てて背中をさすり、カルダが人を呼ぼうと扉へ走る。無理もない。実の妹を自身の策謀の駒として使い、その結果、最悪の敵国へ連れ去られてしまったのだ。その自責の念とショックは、計り知れないだろう。


 「……よ、せ」


 カルヴァドは、脂汗でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、震える手で二人を制した。


 「人を、呼ぶな……。」

 「ですが!」

 「……私は……大丈夫だ……。」


 その声は、呻き声のように掠れていた。カルヴァドは口元の汚れを拭うことも忘れ、充血した目で虚空を見つめていた。その瞳には、僕たちが想像する「悲しみ」とは違う、もっと根源的な「恐怖」のような色が宿っていた気がした。


 床に散らばった白百合は、無惨に踏みにじられていた。それは、敵の手に落ちたタリア様の、可憐で儚い姿と重なって見えた。


 「なんて残酷な…...。」


 僕は胸が締め付けられる思いだった。世界を動かす冷徹な皇帝といえど、たった一人の妹を失った喪失感には耐えられなかったのだ。僕とカルダは、心配そうに顔を見合わせるしかなかった。


 僕たちには分からなかったのだ。

 

 この嘔吐の意味も。


 カルヴァドが、たった一人でどんな地獄を覗き込んでしまったのかも。


 皇帝は一人、誰とも共有できない絶望を喉の奥で噛み殺し、再び込み上げる吐き気に耐え続けていた。


 「……すまない。今は、一人にしてくれ。」


 胃液と脂汗にまみれたカルヴァドが、絞り出すように告げた。

 その背中は、皇帝の威厳など微塵もなく、ただ妹を奪われた兄の、小さく震える背中だった。


 「……御意。」

 「失礼いたします。陛下、どうかご自愛を……」


 僕とカルダは深々と頭を下げ、重苦しい執務室を後にした。重厚な扉が閉まると、廊下には静寂が戻った。


 「……陛下のご心痛、察するに余りあります。」


 カルダが悔しげに拳を握りしめる。


 「あの気丈な陛下が、嘔吐されるほど取り乱すとは……。我々で支えていかねばなりませんな」


 僕たちは暗い顔で回廊を歩き出した。


 あの冷徹が、合理主義を無視して優先する程大切な妹だ。どうにかならないものかと願ってしまう。しかし、報告の最後の文が気になった。予定通り、タリア様を支援しつつ国境を越える、とは?ーー上手く考えがまとまらない。


 その時だった。


 「―――あ! ミズキさんっ!」


 廊下の向こうから、銀鈴を振るような明るい声が響いた。 パタパタと小走りで駆けてきたのは、純白の儀礼服を身に纏ったヴィオラだった。


 『星巡りの儀』を終えたばかりなのだろう。彼女の周囲には、まだ儀式の余韻である光の粒子がキラキラと漂っており、さながら舞い降りた天使のようだ。


 「ヴィオラ。儀式、お疲れ様。」

 「ふふ、無事に終わりました! ……それよりミズキさん、これ!」


 彼女は胸に抱えていた一冊の絵本を、宝物のように差し出した。

 それは以前、僕がゼルフィアのために描いた『不器用な侍女と、声の出ないお姫様』の絵本だ。


 「読みました! すごく、すごく素敵なお話でした……! ゼルのために書いてくださったんですよね? ゼルから借りて、最後に二人が手を取り合うシーンで、私、ボロボロ泣いちゃいました。」


 ヴィオラは瞳を潤ませながら、熱っぽく感想を語ってくれた。その無邪気な笑顔は、先ほどの重苦しい空気を一瞬で払拭するほどの輝きを放っている。


 僕は隣にいるカルダに視線を向けた。彼は傷だらけの顔を引き締め、スッと片膝をついてヴィオラに頭を下げた。


 「お初にお目にかかります、ヴィオラ様。……北部国境警備隊長、カルダと申します。素晴らしい歌声と儀式、この身に深く刻まれました。」


 その所作は洗練されており、非常に紳士的だった。ヴィオラも少し驚いたようだが、すぐにフワリと微笑んだ。


 「ありがとう、カルダさん。……あの、これ、ミズキさんが描いたんですよ? 見てください、このページ!」


 ヴィオラは無邪気に、絵本を開いてカルダの目の前に差し出した。


 そこには、僕が持てる技術を総動員して描いた、コテコテの少女漫画風イラストがあった。瞳の中に宇宙があるかのようにキラキラと輝くお姫様。背景に舞い散る花びらと、柔らかい曲線で描かれた小動物たち。


 カルダの視線が、そのページに吸い寄せられる。

 次の瞬間。


 「―――ッ!?」


 カルダの身体が、見えない銃弾で撃ち抜かれたかのようにビクッと跳ねた。


 「カ、カルダさん?」

 「……ぐぅッ!!」


 カルダは呻き声を上げ、自身の左胸――心臓の上あたりを強く鷲掴みにした。その呼吸が荒くなり、額に脂汗が滲む。まるで、致死性の攻撃を受けたかのような反応だ。


 「こ、これは……なんと……」


 彼は震える指で、絵本の中のキラキラした瞳を指差した。


 「この……物理法則を無視した巨大な瞳の輝き……。背景に背負った薔薇の幻影……。そして、この丸みを帯びたマスコットの、反則的なまでの愛くるしさ……」


 カルダは膝をついたまま、ガクリと項垂れた。


 「破壊力が……高すぎる……ッ!」

 「ええっ!? ご、ごめんなさい! お嫌いでしたか!?」


 ヴィオラが慌てて絵本を引っ込めようとするが、カルダは「い、いえ!」と片手を上げて制した。


 「違います……! あまりに尊く、無垢で……私の荒んだ魂には、その輝きが直視できないほど眩しいのです……!」


 カルダは真剣そのものだった。冷徹な軍人であり、魔素実験の地獄を生き抜いた男。そんな彼の防御壁をやすやすと貫通したのは、僕の描いた少女漫画タッチの可愛さだったのだ。

 バロンさんの件もそうだったように、カルダはコテコテのキラキラでフリフリな可愛いモノに弱い。


 「ミズキ殿……。貴方は、ペン一本でこれほど甘美な世界を創造できるというのか……。恐ろしい御仁だ。」


 カルダは尊敬と恐怖がない交ぜになった目で僕を見た。


 「……まさか、そんな弱点があったとは。」


 僕は呆気にとられつつも、頬が緩むのを止められなかった。


 皇帝の慟哭が残る宮殿の廊下で、強面の隊長が少女漫画に撃ち抜かれている。この奇妙で平和な光景だけが、今の僕たちにとって唯一の救いだったのかもしれない。


***


 それから僕は帝国議会に通い詰めた。できるだけ、何が議題にあがって、何を懸念されているかをこの国の人たちに伝える事ができるだろうか?と考えて続けていたからだ。


 それと同時に、サリヴァの暴挙知っててオークションを開催したデミルの裁判も追った。

 さらに、タリア様が命をかけて伝えてくださった裏切り者たちは、様々な罪によって検挙されていった。

 人身売買、賄賂、汚職、それから権力への渇望。

 自分たちの村が襲われた原因が、身勝手な領主や商人たちの利益や保身である事を国民に伝える事に意義を見出したかった。


 領地を捨てて南へ逃げたノルヴェンガの領主が、皇国民の通報によって検挙された時、僕は何か達成感を感じ、自分の中に疼く罪の意識から、やっと解放された。


 そういえば、ノルヴェンガで右腕が変形する魔法を手にして以来、僕は真っ白な世界に意識が飛ぶ事が無くなっていた。


 カルヴァド陛下に聞けば、もしかしたらその魔法の意味や使い方もわかったのかも知れないが、陛下の侵食された腕を見せられて聞く機会を無くしてしまった。

 結局何だったかはわからないままだ。


 心の整理が一区切りついた所で、皇都の喧騒と、皇帝が抱え込んだ底知れぬ闇から一時的に離れ、僕はオルノブ、カーム、ディランと共に北部の復興現場へと赴いていた。

 サリヴァ共和国との国境沿い。かつて毒の川が流れていたその場所は今、巨大な建設現場へと変貌を遂げていた。

 土煙と蒸気が立ち込める中、無数の作業員たちが怒号と掛け声を交わしながら、巨大なパイプやタンクを組み立てている。


 「急がせて! 雨期が来る前に第一浄化槽を稼働させるよ!足りない 資材ならオルノブちゃんに追加で発注できるからね!」


 現場を見下ろす高台で、ツナギ姿のバロンがを指揮棒のようにフリルのついた傘を振るって指示を飛ばしていた。


 彼女はヤートリ商会の協力を得て、この「サリヴァ鉱山公害対策プロジェクト」の陣頭指揮をとっていた。

 オルノブの金儲けのためだけではない。「循環させる」という彼女の信念が、この熱気を生み出しているのだ。

 僕は取材手帳を片手に、川岸へと降りた。そこでは、見覚えのある人たちが作業に当たっていた。


 「おい、そこのバルブ圧を確認怠るな! 漏らしたらまたモグリに逆戻りだぞ!」

 「へいへい、分かってますよ隊長!」


 かつて路地裏で違法に水を濾過していた「モグリの濾過師」たちだ。


 だが、今の彼らは薄汚れたボロ布ではない。胸に皇国の紋章が入った、真新しい防水仕様の作業服と、最新式の防護マスクを身につけている。


 『皇国特別濾過部隊』


 それが、オルノブと政府によって与えられた彼らの新しい肩書きだった。日陰者が、公害と戦う最前線の英雄として生まれ変わったのだ。その中に、生き生きと働くカミラの姿も確認できたが、サリナはそこにはいなかった。


 作業員たちの中心で、川の水を試験管に汲み上げている白衣の男を探す。聖機院司令のラグナスだ。


 「―――ラグナスさん。調子はどうですか?」


 僕が声をかけると、彼は試験管を光に透かしながら、少し疲れたような、しかし充実した笑みを向けた。


 「ああ、ミズキ君か。……悪くないよ。オルノブ嬢が惜しみなく投資してくれたおかげで、水質改善のスピードは想定以上だ。」


 彼の周囲では、設置されたばかりの巨大な浄化装置が低い羽音を立てている。だが、僕には一つ、どうしても聞いておきたいことがあった。


 「あの……基本的なことを聞いてもいいですか。この魔法による浄化って、具体的にはどういう理屈なんですか?」


 僕は装置の中で淡く光る魔法陣を指差した。異世界に来てからずっと疑問だったのだ。魔法とは、念じればなんでも叶う万能の奇跡なのか。それとも……。


 ラグナスは試験管を置き、興味深そうに僕を見た。


 「君らしい質問だね。……結論から言えば、君が科学と呼んでいるものと、我々の魔法は、そう遠いものではありません。」


 「遠くない?」


 「ええ。魔法とは、祈りで汚れを消滅させる奇跡ではない。……もっと物理的な介入です。」


 ラグナスは足元の泥水を指差した。


 「鉱毒とは、重金属や有害な化学物質が水分子と結びついている状態。我々が流し込む魔素は、その結合に割り込み、強制的に引き剥がす」


 彼は空中に指で数式のような図を描いた。


 「高濃度の魔素は、特定の物質に対して分解と還元の命令を持って作用する。毒素の分子構造をバラバラに分解し、無害な元素へと還元して沈殿させる。……言ってみれば、目に見えないほど極小の作業員たちを数億、数兆と送り込んで、分子レベルで掃除をさせているようなものさ」


 「分子レベルの……掃除……!?」


 僕は息を呑んだ。分解、還元、分子構造。彼が使う言葉は、僕が知る化学の授業そのものだ。

 そして「極小の作業員」という比喩。

 それはまるで、SF小説じゃないか――


 魔素というエネルギー体が、プログラムされた通りに物質を組み替えているとしたら?


 魔法使いとは、そのプログラムを組み、魔素を制御するエンジニアのことだとしたら?


 「……どうしましたか? 難しい顔をしていますね。」


 ラグナスが不思議そうに覗き込む。


 「い、いえ。……魔法というのが、僕が思っていたよりもずっと……論理的なんだなと思って。」


 「はは、そうです。魔法はロマンではなく、計算式から成り立ちます。だからこそ、こうしてプラントとして運用できるのです。」


 ラグナスは再び作業に戻った。その背中を見ながら、僕は背筋が寒くなるような、それでいて妙に納得するような感覚を覚えていた。


 この世界の「魔法」の正体。そしてデセリオンがそれを「科学」で再現しようとしている意味。


 二つの世界の理は、僕が思うよりもずっと近く、そして危険な場所で繋がっているのかもしれない。


 「ミズキ、これから霧の渓谷の視察に伺います。サリヴァ軍から接収した、無線発進基地というものを確認しに行くのですが......」


 オルノブが僕に声をかけると、オルノブの公害対策計画の説明を受けながら、ハンカチでひたすら汗を拭うカームと、さっきまで作業服で指揮をとっていたバロンが、フリフリの妖精姿で控えていた。


 「あれ?バロンさんも、ご一緒なんですか?」

 「いいでしょー、オルノブちゃんは私の研究のパトロンちゃんだもん。お誘いを受けたら......断れる訳ないよー!」


 何故か恥ずかしそうに顔を赤らめるバロンに、オルノブは慌てて、変なこと言わないでください!と真っ赤になる。


「綺麗なお二人の戯れは素敵ですが、あくまで視察。そして復興には人的資源も資本も物流も必要です。そこで霧の渓谷の設備が最適なんじゃないかってディランと話していた所です。」


 カームが汗を拭いながら、この地域の復興のための拠点として、霧の渓谷を上手く利用したい事を説明する。


 「要するに、再利用計画を立てようって話だ。」

 「それなら、ラグナスさんを誘っていただけませんか?霧の渓谷の無線設備を見てもらいたいんです。」

 

***

 道すがら、馬車の中では若かりし頃のカルヴァド陛下の話題で盛り上がった。一番印象的だったのはディランの話だった。マルティア陸軍出身のディランは、カルヴァドとの出会いを懐かしそうに話した。


 「アイツはイカれたヤツだったさ、出会った時からな。俺はマルティアの陸軍の弱さを人員配置の早さで解決する手段を考えて、半島の南北を結ぶ鉄道計画を考えた。でも、マルティア軍は承認しない。なんだかんだで俺のせいにさせられて俺は退役せざるを得ない状況に追まれた。」


 「鉄道計画ですか!?それ、できてたらすごい発展に寄与すると思うんですけど。」


 僕は興奮気味にディランの話を聞いた。


 「ああ、当時、学生だったカルヴァドも俺の計画の話を聞きつけて、俺を尋ねたさ。だけど、俺も退役したばっかで心が荒んでてね。怒鳴りつけて追い払おうとしたんだ。だけど、全然引やしない。」


 「あー、カルちゃんらしい。人の事考えない所あるもんね。ディランくんからしたらイライラしちゃうんじゃない?」


 バロンの言葉を受けて、ディランは大笑いした。


 「そうだ、俺も腹が立って一発ぶん殴ってやったさ。でもアイツは避けも受け身も取らねぇ。それで余計に腹が立ってな、俺はさらに何発か殴ったら、アイツ顔色ひとつ変えず......気は済みましたか?鉄道計画の話聞きたいです、だってよ。そん時俺はブルっちまったな。」


 「昔から、危なっかしいというか、心配になるようなお方だったんですね。」


 オルノブが目を伏せた。バロンはそんな彼女の表情を見逃さない。


 「そうだよ、オルノブちゃん。カルちゃんにはとーっても母性本能くすぐられちゃうような、危なっかしい部分があるんだよー。わかってるねー!」

 「そ、そんなつもりで言ってません!」


 オルノブは顔を赤らめる。バロンはそんなオルノブがたいそう気に入ったようで、馬車の中ではオルノブ嬢はバロンにいじられっぱなしだった。


***


 霧の渓谷にはすぐに着いた。華やかな会話のせいだったかもしれない。


 かつては欲望とネオンが渦巻く不夜城だったこの場所も、今はゴーストタウンのように静まり返っている。


 サリヴァ軍を手引きした領主は内乱罪で捕縛され、この地は皇国直轄領として一新されることが決まった。その後、「影の月」による徹底的な踏み込み捜査が行われ、裏社会の顔役や怪しいブローカーたちは一斉検挙されたという。


 「……立派な建物ですのに、もったいないことですわね。」

 扇子で口元を隠しながら、誰もいない高級ホテルのロビーを見上げているのはオルノブだ。彼女の目は、観光客のそれではなく、完全に「物件を査定する商人」の目になっていた。


 「内装も一級品、立地も悪くない。……経営者が変われば、化けますわよ、ここは」

 

 僕たちはそのまま、リアンが報告していた地下の隠し部屋へと向かった。


 「―――ここです」


 重厚な隠し扉の奥には、無機質な機械類が並ぶ、冷たい空間が広がっていた。


 デセリオン製の無線通信設備。


 リアンが「欲を出して深入りした」因縁の場所であり、サリヴァ軍を狂わせた偽情報の発信源だ。


 「ほう……これが」


 ラグナスが真っ先に機械に歩み寄り、興味深そうに黒い鉄の筐体を撫でた。


 「魔素回路が一切ない。純粋な電気信号と物理的な周波数だけで動いているのか。……これが、カルダ隊長の言っていた科学か。」


 「ラグナスさん、解析できそうですか?」


 「構造自体は簡単だ。ただ、使うとなると少々改良が必要になりますね。こんな危なっかしい設備、漏電したら死にますよ。もう少しアレンジを加えて電波を発生させる方法を改良すれば、おそらく使えるでしょう。」


 ラグナスの言葉に頷き、僕は同行していたカームとオルノブに向き直った。


 「皆さん。僕はここを『ダフタル・ニューズ』の北部支社にしたいんです。オルノブさんの倉庫は臨時支社ですが、僕は情報拠点をここに作りたい。」

 

僕は熱っぽく語った。


 「この設備を逆利用すれば、北部の情報を皇都やダフタルスクへ即座に送ることができます。サリヴァとの国境監視、そしてデセリオンの動向を探るための、情報拠点にするんです」


 「なるほど。敵の武器を、真実を伝えるペンに変えるわけですか」


 カームはニコリと笑い、部屋の中を見渡した。


 「いいでしょう、出資しますよ。このホテルの改装費と、設備の運用資金……私のファンドから出しましょう。」

 「本当ですか!?」

 「ええ。ですが、ただの新聞支部で終わらせるつもりはありませんよ」


 カームはオルノブに視線を送った。


 「オルノブ嬢。貴女が進めている公害対策とサリヴァ復興、その先にあるのは?」

 「……国境貿易の再開、ですわね」


 オルノブがパチンと扇子を閉じた。


 「サリヴァ鉱山が再稼働し、あちらが共和国として立ち直れば、大量の物資が行き交うことになります。……この霧の渓谷は、その中継地点として最適な立地ですわ」

 「その通り。ここは今まで享楽だけを売る街でした。ですがこれからは、情報と物流の街に変えるべきです」


 カームは指を一本立てた。


 「ミズキさんの情報局がデセリオンを監視し、オルノブ嬢の物流拠点がサリヴァとの経済を回す。そしてラグナス氏やバロン君の研究所が、ここで得られた新しい技術や魔素を必要としない循環技術を生み出すんです。」

 「うーん、悪くないね。ここのみんなは、私の研究を必要としているもの!大歓迎だよ。」

 「皇都のうるさい倫理委員会を気にせず、デセリオンの機械を解剖できるからなら、それも楽しそうですね。」

 バロンもラグナスも楽しそうだ。


 「決まりですね。闇に隠れてコソコソする街ではなく、最先端の情報と物資、技術が行き交う、北の学術都市……とでも言うんですかね? そういう場所に作り変えましょう」


 廃墟同然の地下室で、みんなの野望が交錯する。破壊の後は、創造の番だ。僕たちは力強く頷き合い、未来への地図を描き始めた。

 地下施設とホテルの視察を終えた僕たちは、冷え切った体を温めるため、霧の渓谷のメインストリートへ戻った。


 ゴーストタウンと化した街並みの中で、一軒だけ、看板に明かりが灯っている店があった。


 「へえ、まだ営業している店があったとは」


 カームが物珍しそうにドアを開ける。そこは、古びているが手入れの行き届いた、小さなカフェだった。かつては裏取引の商談に使われていたのかもしれないが、今は静かで暖かい時間が流れるだけの落ち着いた空間だ。


 「いらっしゃい。……こんな廃墟に客とは珍しいですね。」


 無愛想だが腕は良さそうな初老のマスターが、僕たち四人を奥のテーブル席へと通してくれた。


 「ふぅ……生き返りますわ」


 運ばれてきた湯気の立つコーヒーを一口啜り、オルノブがほうっと息をつく。無機質な地下室の空気から解放され、みんなの表情も緩んでいた。


 この和やかな空気なら、聞けるかもしれない。


 僕はカップを置き、向かいに座るオルノブに切り出した。


 「……あの、オルノブさん」

 「はい?」

 「オルノブさんは……その、カルヴァド陛下のことを、どう思っているんですか?」


 僕が単刀直入に尋ねると、優雅にカップを傾けていたオルノブの手がピタリと止まった。

 彼女はツンと澄ました顔で、ソーサーにカップを戻すと、わざとらしく視線を窓の外へ逸らした。


 「どう、とは? ……まあ、優秀な取引先ですわね。頭は切れますし、決断力もおありですが……少々、部下を使い倒すのがお好きなようで。私たち業者にとっては、厄介極まりないクライアントです。」

 「それだけ……ですか?」

 「それ以外に何がありますの?」


 オルノブはフン、と鼻を鳴らし、パチリと扇子を開いた。


 「そもそも、私と陛下では住む世界が違いすぎます。あちらは歴史あるヴァルナディアの皇帝、私はマルティア出身の商人の娘。身分も違えば、国籍すら違う外国人ですのよ?」


 聞いてもいないのに、彼女はペラペラと語り出した。


 「それに、陛下の周りには高貴な方々が大勢いらっしゃいます。私のような、金勘定しか能のない女が近づけば、野暮な成金娘が玉の輿を狙っている、と噂されるのがオチですわ。」


 彼女は熱弁を振るう。


 「だいたい、陛下はもっとお淑やかで、後ろに三歩下がって支えるような女性がお似合いです。私のように現場で怒鳴り散らす、気の強い女など、眼中にあるはずも……」


 「―――いや、それは違いますよ、オルノブさん。」


 そこで口を挟んだのは、シナモンロールを齧っていたカームだった。


 「え?」

 「僕らはダフタルスクでの学生時代から彼を知っていますが……若い頃の彼は、むしろ『グイグイ引っ張ってくれる女性』に弱いんですよ。」


 カームは懐かしそうに目を細めた。


 「ボスはああ見えて、プライベートでは優柔不断なところがありますからね。シャオさんのような姉御肌というか、自分の背中を叩いて無理やり連れ回してくれるような、パワフルな女性にこそ心を許すんです。お淑やかな女性なんて、むしろ苦手ですよ。陛下は何を話せば良いかわからないんだもん。」

 「ひっ、引っ張る……!?」


 オルノブが素っ頓狂な声を上げた。「お淑やかじゃなきゃダメ」という自分の理論が、まさかの側近によって否定されたのだ。


 「え、ええ!? で、でも、皇帝陛下を引っ張るなんて、そんな不敬なこと……!」

 「だからこそ、ですよ」


 カームはニヤリと笑った。バロンが便乗してオルノブを見つめた。


 「カルちゃんを怒鳴りつけてでも動かせるのは、世界で唯一、オルノブちゃんくらいでしょー?……まさに、カルちゃんの理想のタイプど真ん中じゃなーい?相性良いと思うのになー」


 「タイプ……ど真ん中……」


 オルノブの思考回路がショートし始めた。そこへニヤニヤ笑っているディランが追い討ちをかける。


 「そうだぜ、オルノブ嬢、こっちの懐的にも陛下と婚姻してくれれば助かるんだ!俺の鉄道計画も復活の兆しが見えるじゃないか。」


 「ぶっ!!」


 オルノブが盛大にコーヒーを吹き出しそうになった。助けを求めるように話をラグナスに振った。


 「ラ、ラグナス様、ふ、不敬をお許しください……みんな冗談で仰っているんです!ははは、本当良くないですよ。」

 「いや、私の意見としては。貴女が皇妃になれば、予算の折衝もスムーズになるし、私の研究費も安泰ですからね、何も不都合はありませんよ。」

 「そ、そそ、そんな……ッ!!」


 オルノブは顔を真っ赤にして立ち上がり、両手で頬を押さえた。


 「お、恐れ多いことを言わないでくださいませ! 今言いましたでしょう!? 身分が! 国籍が! 世間体が! 無理な理由は山ほどありますのよ!?」


 店内に響くほどの声で慌てふためく彼女を見て、僕は確信した。ああ、この人は、その「山ほどの無理な理由」を、全部乗り越えたいと思っているんだな、と。僕は思わず口元を緩めて言った。


 「オルノブさん。……それって、全部ひっくるめて『好き』ってことなんじゃないですか?」

 「―――へ?」


 オルノブの動きが凍りついた。

 扇子を持つ手が小刻みに震え、顔の赤みが耳の先まで広がっていく。

 彼女はパクパクと口を開閉させ、何か言いたげだったが――やがて、ガクリと肩を落とした。そして、扇子で顔を半分隠し、蚊の鳴くような声で言った。


 「…………そう、かも……しれません……」


 普段の女傑ぶりからは想像もつかない、消え入りそうな乙女の告白。僕らは顔を見合わせ、心の中で同時に可愛いな……と呟いた。

 薄暗いカフェの片隅。真っ赤になってうつむくオルノブの姿は、どんな高価な宝石よりも愛らしく輝いて見えた。

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