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ヴァルナディア皇国神話編纂記  作者: 砂川百足
第一章 編纂篇
20/24

星巡りの儀

 「星巡り、おめでとう。」

 「新しい星の元に、おめでとう!」


 街の端々から新年の挨拶が聞こえる。新たな一年を迎えたヴァルナディアは、厳かな熱気に包まれていた。

 この時期、皇国では最も重要な祭事――『星巡りの儀』が執り行われる。皇帝が一年をかけて蓄積した膨大な魔素を解放し、それを詩女たちが歌に乗せて皇土全域へと拡散、定着させる豊穣と安寧の儀式だ。


 去年まで、その中心には「詩女姫」タリアの姿があったらしい。だが今、祭壇の中央で白銀の装束を纏い、震える手で指揮杖を握っているのは、ゼルフィアだ。彼女は愛する人のために、その身を神と国に捧げる道を選んだ。その姿は痛々しくも美しく、新しい時代の到来を告げているようだった。


 一方、僕は単身ダフタルスクへ戻り、「ダフタル・ニューズ」の編集室に籠もっていた。

 インクと紙の匂いが充満する室内で、僕は刷り上がったばかりの号外を睨みつけていた。


 『サリヴァ軍、奇跡の撤退! 両国の和解なるか』

 『悲劇の裏に潜む影――技術大国デセリオンの卑劣な干渉』


 見出しは踊る。記事の中身は、サリヴァ軍を「飢えに苦しみ、他国の陰謀に踊らされた被害者」として描き、全ての憎悪の矛先をデセリオンへと向ける構成になっている。

 ガザン将軍によるクーデターを正当化し、ヴァルナディアとの同盟をスムーズにするための、計算され尽くした世論誘導だ。僕が始めたタブロイド紙「ダフタル・ニューズ」は皇帝カルヴァドの提案によって北部支部だけでなく、皇都にも中央支部を作り、拠点は三つに増えた。


 オルノブの倉庫がすっかり空になったのでノルヴェンガ臨時支部を作った。この支部は復興を目指す北部地域の経済活動を支えるための情報インフラになるだろうと思ったからだ。


 ノルヴェンガではヴィオラのおかげで奇跡が起きた。だけど、他の北部の村では焼き討ちに遭ってしまった場所もある。影たちが急速に動いたおかげで死者数は少なかったが、避難の際に家族が離散してしまった家庭も多い。

 復興事業の人材募集や、バラバラになってしまった家族を探すのに情報は必ず必要になるだろう。ノルヴェンガ臨時支部はカームに掛け合って、急ではあったが強引に作ってもらった。さらに皇都の宮殿近くに拠点を置いた。これは世論誘導の中心にするためだ。


 急速に発展した「ダフタル・ニューズ」は人員も増えた。飲んだくれのダランは、皇都に赴いてシィヴァ教分裂について詳しく調べてくれている。今、シィヴァ教は魔法への信仰心を抑え、改革へともに歩き出したラザークのダーレン派閥と、信仰拡大路線の西部のエウロイを拠点とするダルパン枢機卿の流れを汲む原理主義派閥が真っ二つに別れていた。今や、シィヴァ教の分裂が陰謀論めいたゴシップニュースではなく、この国の価値観を揺るがすほどの対立になっていたのだ。


 ダランも新しい詩女姫の誕生をねちっこく追っていた。ゼルフィアの可愛らしい容姿は新しい皇国のアイドルとして大々的に発表された。僕の書いた似顔絵付きの記事は、大衆の間でプレミアがつく程人気になった。新しいアイドルを歓迎するダランの記事も非常によくできた内容だったのだろう。僕は少しでも、ゼルフィアが国民に歓迎される手伝いができただろうか。


 編集長として雇ったバーツは優秀で、どんな地味なニュースでも、どんな危ないニュースでも捌き切った。憶測でしかないものに対しては「という見方もある」と必ずつけることで、デマを生み出さないようにだけ最新の注意を割いてくれた。彼の細やかな配慮のおかげで、どうにかこうにか報道の程をしているという状態だ。


 しかし、諜報機関の「影の月」たちが持ち込むニュースは違った。しばらくリアンは現れなかったが、リアンの同僚のエコーが他の影たちが集めた情報を提供した。

 「ダフタル・ニューズ」の裁量権は僕にある。だけど、影たちが運んでくる内容は必ず角度がついていた。国境周囲の事件や事故は嘘や憶測ではないが、影たちが世論誘導のために持ってくるもの自体、誰かによって選択されている。誰かの意図を持って運び込まれるニュースを記事化していく作業は、僕が作りたかったものとは微妙に違う。ただ、皇国民にとってサリヴァ帝国のクーデターや西のデセリオンとの国境沿いで起きている人身売買などの刺激的なニュースは絶大な人気があった。

 ヴァルナディア国民は情報に飢えていた。そこに刺激的なニュースが飛び込めば、人々の意識も変化せざるを得ないのだ。


 「……これでいいのか、僕は。」


 ペンを握る手が重い。

 これは「報道」ではない。「プロパガンダ」だ。


 平和のため、両国の国民が納得するストーリーを作るためとはいえ、僕は事実を切り貼りし、大衆を扇動している。その罪悪感が、鉛のように胃の腑に溜まっていた。もちろん、最初からそのつもりでカルヴァド陛下は僕のことをこの異世界に呼んだのだから、僕は使命を果たしている。だけど、なんだかとても居心地が悪い。


 「―――編集長。お客様です」


 事務を担当してくれている商店の娘の声に顔を上げると、入り口に人影があった。

 いつも軽薄な笑顔を浮かべているはずの男、リアンだ。

 だが、今の彼に笑顔はない。髪伸び、目の下には濃い隈があり、まるで幽霊のような顔色をしていた。


 「……ミズキさん。少し、いいですか。」

 「ああ、リアン君。どうしたの?部屋に入って。」

 「二人だけになりたい。屋上空いてますか?」


 久しぶりにダフタル・ニューズが借りている倉庫の屋上に上がる。乾季の冷たい風が、頬を撫でた。久しぶりに室外にでた開放感で気持ちがいい。僕以外の人間がいないことを確認するとリアンは重い口を開いた。


 「報告です。……タリア様が、西の要塞都市クエタに到着されました。ガランド伯爵との婚儀も、滞りなく済んだそうです。」

 「そうか……。無事に、潜り込めたんだな。」


 最悪の形での潜入成功だ。これでガランドの懐に刃が入ったことになるが、それはタリア様が人質になったことと同義でもある。リアンはそこで言葉を切ると、ガクリと膝をつき、懺悔するように頭を垂れた。


 「……ミズキさん。僕、貴方に言わなきゃならないことがあります。」

 「言わなきゃならないこと?」

 「あのオークション会場の地下……さらに奥深くに、隠し部屋があったんです。」


 リアンは震える声で語り始めた。


 「そこには、魔法を使わない通信機――無線設備がありました。デセリオン製の、科学の機械です」


 あの日、サリヴァ軍を一斉に暴走させた「偽情報」の発信源。それは霧の渓谷の地下にあったのだ。僕らのいた、あの場所の真下に。


 「僕は、それを見つけました。……そこで通信を行っていたデセリオンの間者も確認したんです。」

 「なら、なぜすぐに報告を……」

 「欲が、出たんです。」


 リアンは拳を床に叩きつけた。肩が小刻みに震えていた。後悔、そんな言葉では生やさしい感情に包まれている。


 「ただ通信機を壊すだけじゃ足りないと思った。通信相手を突き止め、黒幕の証拠を掴んで持ち帰れば、大手柄だと……功名心にかられたんです。――影の月として、もっと認められたかった。」


 彼は顔を覆った。指の間から、ボトボトと季節外れの汗がこぼれ落ちる。


 「ですが……深入りしすぎて、逆に見つかり、捕縛されました。……僕が捕まっている数時間の間に、奴らはあの偽情報を流し続けた。サリヴァ軍はパニックに陥り、雪崩のように南進を始め……その混乱の中で、タリア様は攫われた。」


 リアンの嗚咽が響く。


 「……あの時、すぐに通信機を破壊していれば。欲を出さずに動いていれば、サリヴァ軍の暴走はもっと小規模で済んだかもしれない。タリア様がデセリオンの科学者に実験台にされることも……声を失うこともなかった。」


 リアンは血を吐くように告げた。


 「僕が……タリア様の歌を、殺したんです。」


 言葉を失った。いつも飄々としていたリアンが抱えていた、あまりに重すぎる十字架。僕がペンで大衆を欺いている罪悪感など、比較にならないほどの実害を伴う後悔が、そこにはあった。外では、新年を祝う鐘の音が遠く響いていた。

 だが、にいる僕たちの心には、重く冷たい冬の風が吹き荒れたままだった。


 リアンの懺悔を聞き終えた僕は、かける言葉が見つからず、ただ沈黙するしかなかった。だが、リアンは顔を拭うと、憑き物が落ちたような、しかし以前よりもずっと昏い光を宿した瞳で僕を見た。


 「……だから、志願しました。西の要塞都市クエタへ潜り込み、影としてタリア様を支える任務を。」

 「タリア様の護衛を?」

 「護衛、だけじゃありません。」


 リアンは自嘲気味に口元を歪めた。

 「密命を受けています。もしタリアが、ガランド伯爵に情を移すようなことがあれば――その場で始末せよと。」

 「な……ッ!?」


 僕は思わず立ち上がった。あまりに非情な命令だ。自ら捨て石となる覚悟を決めた妹に対して、カルヴァド陛下はそこまで残酷になれるのか。いや、あの怪物と自嘲した皇帝なら、国の安全保障のために情を捨てることもあり得る。


 「それは……陛下のご命令なのかい?」


 僕が震える声で問うと、リアンは静かに首を横に振った。


 「いいえ。これは『影の月』総帥の決定です。」

 「総帥?」

 「『影の月』は、皇帝直属でありながら、独自の規律で動く独立機関です。……今回の失態は、組織としての信用に関わる問題でした。一構成員が功名心にかられて命令違反を犯し、結果として皇族に損害を与えたのですから。」


 リアンは淡々と、組織の冷徹な理屈を語った。


 「組織は、心を壊されたタリア様がガランドに籠絡され、裏切るリスクを計算に入れています。……僕にトドメを刺す役目を与えたのは、自分のミスで守るべき姫を壊した僕への懲罰であり、汚名返上のラストチャンスなんです」


 それは、カルヴァド個人の意志を超えた、国家の防衛システムとしての判断だった。リアンはその十字架を、拒絶も恐怖もなく、ただ甘んじて受け入れようとしている。


 「ミズキさん。僕はしばらくダフタルスクには戻れません。もしかしたら、二度と戻らないかもしれない。」


 リアンは懐から一枚のメモを取り出し、机に置いた。


 「今後の情報提供については、引き続きエコーが担当します。彼女は口数は少ないですが、情報収集と分析の腕は僕以上です。各地の裏情報からサリヴァ共和国の動向まで、ダフタル・ニューズに必要なネタは彼女が運んでくるでしょう。僕との通信はしばらくできません。何かあったら、カイトに伝えてください。」


 「……分かった。エコーとカイトによろしく伝えてほしい。」


 僕が頷くと、リアンは背を向け、窓枠に足をかけた。その背中は、以前のような軽薄な優男のものではなく、死地へ赴く兵士のものだった。


 「西へ行きます。要塞都市周辺の偵察、そして……」


 彼は夜の闇を見据え、ギリ、と奥歯を噛み締めた。


 「デセリオンの動きを探ります。俺たちを嵌め、タリア様を壊した科学者ども……その尻尾を必ず掴んで、引きずり出してやる。」

 「リアン……」

 「じゃあね、ミズキさん。……ミズキさんの書く記事で、少しでも世界がマシになることを祈っています。」


 そう言い残し、彼はそのまま屋上から器用に地上に降りて、新年の祭りで浮かれた雑踏の中へと消えた。その姿は、復讐と贖罪に生きる「影」そのものだった。部屋に残されたのは、プロパガンダの匂いがする新聞の山と、僕自身の無力感だけ。


 新年の鐘が鳴り止む頃、僕は再びペンを握り直した。彼らが血を流して戦う闇の向こう側で、僕はインクで戦うしかないのだと、自らに言い聞かせて。


***


 新年のダフタルスクは、いつになく浮き足立っていた。

 皇国最大の祭事『星巡りの儀』。皇帝が蓄えた魔素を詩女たちが各地で解放し、国土を潤すこの儀式は、商業都市ダフタルスクにとっても一大イベントだ。


 「編集長! 原稿なんて放っておいて、早く行きましょうよ! もう始まっちゃいます!」

 「分かった、分かったから押すなよ。」


 僕は「ダフタル・ニューズ」の編集部員たちに背中を押され、人波で溢れかえる中央広場へと繰り出した。

 広場は立錐の余地もないほどの賑わいだ。誰もが空を見上げ、今年の担当詩女が誰なのかと噂し合っている。


 「おい、聞いたか? 今年の担当はあの娘らしいぞ」

 「マジか! あのデヴィー会長の引退式の時の!」

 「あの子の歌はすげえぞ、商売繁盛のご利益がありそうだ!」


 群衆の期待値は異常に高い。


 ダランの記事で煽りすぎてしまってはないだろうか?ヴィオラに迷惑をかけていないだろうか?僕はプロデューサー気取りをしていることに気がついて、少し恥ずかしくなった。


 かつてこの街を牛耳っていたデヴィーの引退式――事実上の追放劇の際、ヴィオラが歌った歌は、今やこの街の伝説となっていたのだ。やがて、ファンファーレと共に、広場の中央に設けられた祭壇に魔素の明かりが灯った。


 「―――!」


 現れたのは、純白の儀礼服に身を包んだヴィオラだった。

 戦場での煤けた姿ではない。金糸の刺繍が施されたヴェールをなびかせ、凛と立つその姿は、まさに聖女そのものだ。


 「うおおおおッ!! ヴィオラ様だーー!!」

 「こっち向いてくれーー!!」


 割れんばかりの歓声が上がる。アイドル顔負けの人気ぶりだ。ヴィオラは少し恥ずかしそうに頬を染めたが、コホンと一つ咳払いをすると、スッと表情を引き締めた。


 そして、歌が始まった。


 『豊穣のステラ・マリス


 それは、戦場で聞いた鎮魂歌とは違う、生命力に満ちた力強い旋律だった。歌詞は無かった。野生的な響きと透き通るような高音が、冬の澄んだ空気に溶けていく。騒がしかった群衆が水を打ったように静まり返り、その歌声に聞き入る。


 歌が最高潮に達した、その瞬間だった。


 「……今です!」


 ヴィオラが天に向かって指揮杖を振り上げる。

 同時に、広場の四方に設置されていた巨大な筒――儀礼用の大砲が、轟音と共に火を噴いた。


 ドンッ!! ドンッ!!


 「うわっ!?」


 空砲だ。だが、ただの煙ではない。上空で弾けた弾頭から、キラキラと輝く光の粒子が、雪のように舞い落ちてきたのだ。


 「き、綺麗……」

 「これが、皇帝陛下の魔素か……」


 真昼の花火のように、七色に輝く粒子が街全体へと降り注ぐ。それは物理的な火薬ではなく、魔素を結晶化させた特殊な触媒だ。ヴィオラの歌声と共鳴し、光となって降り注ぐことで、土地に豊穣の力を与えるのだという。


 キラキラと舞う光の中で、ヴィオラが満足げに微笑み、手を振っている。

 その光景はあまりに幻想的で、ここがキナ臭い陰謀渦巻く世界であることを、一瞬だけ忘れさせてくれた。


 「……いい絵だ。一面に使おう」


 プロパガンダではない、本当の平和の光景。それを記事にできることが、今の僕には何よりの救いだった。

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