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丁度よく溶ける時間と有限な箱

「わ・・・れないで・・・」

女の声が、夢の狭間で響いた。

 誰だ? 僕はそんな声を知らない。

目を開ければ、安アパートの天井。休日の布団の中で、ただ時間を溶かしている。


 微睡ながら妄想するのは楽しい。最初に妄想に浸ったのはなんだったかな。僕が精神と時の部屋に閉じこめられたら、いつ精神が壊れてしまうだろう?だったと思う。自虐的な妄想が嫌いな人間なんているのだろうか?


 朝日が眩しく輝き始めた。布団の外は時間経過が早すぎる。


 僕の名刺の肩書きがゴツくなってから、平日は丁度いい時間の溶け方をしている。僕は市川瑞稀、地方の広告代理店の営業兼、デザイナー兼、アートディレクター兼、クリエイティブディレクターの派遣社員だ。すごい肩書きのように思うかもしれないが、この役職名に全く価値はない。地方の弱小広告代理店なんてナンデモ屋さんだ。地元の祭りの当日は誘導係りだし、地域活性の音楽イベントの日は舞台設営の総合監督をして、有名DJに怒鳴られた。

 プロデューサーの肩書きを持つ社員の先輩のパシリで怒られてくるのも僕の仕事だ。

 ちょっとしたレイアウトの修正や、変更には対応しなきゃならない。僕は謝罪と修正がメインのディレクターだ。いや、()()()()()()()()()()()()の肩書きをもらっていいだろう。

 そんな僕も印刷工場やデザイン事務所、クライアントとの打ち合わせに通う日々で丁度いい時間の溶かし方がわかり始めてきた。

 派遣されてから二年間は何も覚えていない。人間は忙しすぎると記憶をなくす生き物らしい。でも、三年目の今は記憶もちゃんと残っているし、今日みたいな休日もある。だから、丁度いい時間の溶かし方を覚えたと言っていいだろう。そうだ、僕の平日は時間の感覚が麻痺していて、消費していることさえ気が付かない。だから休日に急に時間できたって、何もできないで一日が終わってしまう。

 

外から元気に走り回る子供の声が聞こえる。僕にも元気を分けてほしい。布団から出るのに使う精神ポイントが勿体無い。大人になると精神ポイントも消費が激しくなる。

 だからと言って、どこかへ出掛けて作業する気も起きない。僕はヒットポイントが高いタイプじゃない。先輩に誘われたフットサル同好会で、綺麗な汗を流すのなんて真平ごめんだ。夕方には応援に来ていた女の子たちと飲みにいくなんて最悪だ。どうせ、世間に疎い女だろう。東京の大手広告代理店だって大した給料をもらえる時代が終わって久しい。僕ですら漫画家を目指してフリーターをやっていた時は、ソレくらいのことは知っていた。いくら心が卑しくても、勘すら働かないなら碌な人間なわけがない。


 時間と共に太陽の光の色味が変わっていくのがわかる。風が固く感じる季節になった。二年間、季節の変わり目を感じることなんてなかったのだろう。こんなに丁度いい、時間の溶かし方を知ったのなら、キッパリ辞めるのもいいかもしれないな。

 土曜日、よく晴れた秋の午前中に狭い部屋の狭いクローゼットに詰め込まれた大きな段ボール箱を睨んだ。僕の青春というのは、なんて馬鹿馬鹿しい夢でできていたのだろう。


 タン、タン、と花火をあげる音が聞こえる。近所の神社が祭りかなんかをやっているのだろうか?午後イチまで寝よう。漫画の原稿を片付けるかどうかはそのあと考えよう。



「忘れないで・・・」



「お・・いだ・・て・・・」


 この前と同じ女の声なのか?よく聞き取れない。


「おい、瑞稀起きろ」

 

水曜日の午後ほど眠いものはない。久しぶりに意識が飛んでいた。今日のプレゼンのための資料作成で、先輩の徹夜に付き合ったのが悪かった。

 先輩はプレゼンを終えていい感触を掴んだらしく、上機嫌で車を飛ばしていた。僕は助手席で先輩のカーステから流れるハイテンションすぎるアニソンと先輩の歌に合いの手を入れているうちに眠ってしまったらしい。

「瑞稀はよくこの爆音の中で眠れたな。」

「寝るのだけは得意なんすよ。」

「俺が褒めたのはプレゼン資料だっつうの。そこは褒めてないぞ!このやろー‼️」

 夕方になりかけた太陽が肌を刺激して気分が悪くなる。体調が悪くなるのではない、とにかく気持ちが滅入る。この会社で先輩と茶番劇のような会話を繰り広げることが、何か宿題を延々と先延ばしているような気分にさせる。夕方は特にそんな気分になって焦燥感だけが募る。

「お前さ、またフットサル来いよ。」

「嫌ですよー、体力ないし、失敗ばかりで恥ずかしいし、一回行ってこりごりです。先輩みたいに持久力もない。僕はそういうの苦手ですから。僕のバテてる姿を先輩だって見ていたでしょ。女の子も来ているなんて知らなかったですよ。筋トレでもして体力つけてからにします。僕だって、恥ずかしいんだから。」

 捲し立てて、なんとか乗り切ろう。きっとこの勧誘も何だかんだ言い訳をして凌ぐのがベストだ。今までも、愛嬌だけで社会人を乗り切ってきた。今日もそうやって誤魔化そう。

「そっか、気が向いたらいつでも歓迎するから来いよ!」

 先輩は苦笑いを浮かべて、いつもよりあっさり引いた。

 車に差し込む光は西陽から夕焼けになって僕の顔を真っ赤に染めていた。

 恥ずかしい、気を遣われるのが一番きついかもしれない。


 仕事は終電前で終わらせることができた。布団の中に体が沈んでいく。


「思い出して・・・」


 疲れているのだろうか、ここ最近は眠る前に奇妙な女の声が頭の中で響いている。


「私にも、あなたにも選べるはず・・・」


 ムカつくな、僕は努力した。最大限の努力をしたにもかかわらず、世間では通用しなかった。選べる道なんかなかっただろう。


「目を覚まして!」


 ビクンと体が硬直して、起きた瞬間に大量の冷や汗が出た。目覚まし時計に慌てて齧り付く。まだ、出勤には余裕があった。だんだんはっきり聞こえるようになってきた女性の声は、僕の焦る気持ちなのか、じわじわと言葉で追い詰めくる。


 花の金曜日は謳歌できる人間の言葉だ。取引先の社長に呼び出された先輩と僕は二件梯子したのちに、キャバクラに連れて行かれる。なんで金を払って知らない女に面白い話をせがまれるのか、全く意味がわからない。

「瑞稀くん、アーヤが最近オカルトユーチューバーにハマっているらしいよ。怖い話とか持っているんじゃないの?」

 デコレーションされた長い爪のアーヤちゃんが、腕輪をジャラジャラさせながら僕にグラスを渡し、上目遣いでほんとぉ?と甘えた声を出す。

「やだなー、僕はマンガ描いて留年二回もしちゃったんだから、怖い話なんか持っているわけないじゃないですか!」

 卓についている全員が笑う。毎回思うんだが、留年ネタって面白いのか?

「あ、でも最近、寝るときに女の声が聞こえることが続いているんですよ。なんか気持ち悪いから引越しでもしようかなって。」

 女の声には心当たりがないわけじゃない。大学生になって実家を出てから二年目の夏頃だ。高校の文芸部の部長だった谷山恵理子から連絡が来たことがきっかけだ。

女性からの連絡に浮かれた期待をしていたのは事実だ。僕も年頃の男の子だから仕方ないだろう。まさかと思いつつも、彼女に会うと・・・

 簡潔に言えば()()()()だった。

 

 彼女と過ごした四年間が、ちょっとしたトラウマなのかもしれない。いや、努力が実らなかったことを認めたくない言い訳だろう。

 

 中学、高校の友人たちから昇進とか、結婚とか、そんな連絡が届くたびに焦る気持ちだけが募る。僕の早く溶け過ぎた日々と狭い部屋は学生の時のままだ。


「私を・・・思い出して・・・」


 また、あの声だ。恵理子の声はこんなに高かっただろうか?もう、忘れてしまった。


「約束を・・・忘れないで・・・」


 恵理子と約束なんてしただろうか?有名漫画家になるとか、そんなアホな話をしたのかもしれない。


「瑞稀、起きろ!」

 先輩の声で目を覚ます。

「ほら、水でも飲め!すみません。こいつ最近体調悪いのかすぐ寝ちゃって」

 社長がガハハと笑いながら、今度はうまい酒飲ませてやる修行つけてやるぞ!と笑う声が遠ざかり、車のテールライトがぼんやり見える。先輩に渡されたペットボトルの冷たい水をぐいっと飲むと、頭痛と眩暈と意識が戻ってきた。

「だいぶ顔色悪そうだから、お前もタクシー乗ってすぐ帰れ」

 先輩はタクシーをもう一台拾っていたらしい。この先輩は厚かましいが優しいなと思った瞬間に、酔っ払った僕は先輩に抱きついて盛大にゲロをかました。


――いえつきました ほんとにすみません


 なんとかベッドに辿り着いて生存報告ラインを送ると、許して欲しくばフットサル来い!とだけ帰ってきた。優しくされると、自責の念が込み上げてくる。恵理子のことを思い出したのが悪いのかもしれない。とにかく辛い。

 涙がこぼれ耳鳴りがする。飲み過ぎたのか、変な酒を飲んだのか、目が回る。


「忘れないで・・・」


 また、お前なのか?


「いつまでも・・・待っているから・・・」


 もう許してくれ。


「私はあなたを・・・・」


 お前は僕に何を望んでいるんだ?


 もう、やめてくれ・・・・

 

 僕には何もできなかったんだ。恵理子のことを本当は助けたかった。夢も叶えたかった。でも、どっちつがずで、何もできなかった。

 耳鳴りがどんどん大きくなる。高い音から低い音に変わって自分の周りをぐるんぐるんと回るように聞こえ始めた。目眩もひどくなる。無重力空間にでもいるんじゃないかと思うと、今度は地球の回転に振り回されそうになる。


 僕が悪かったと認めるよ。恵理子に惚れていたことも認めるし、あの時、俺には俺よりダメで弱い人間が必要だったと認めるよ。だから、許してくれ。もう、解放してくれよ。


 耳鳴りは完全に音として聞こえていた。チベット密教の念仏のような音だ。脳の奥底から響く、単調で異質な唸りに恐怖心で心臓が飛び出そう。

 逃げようともがくが、金縛りなのか、体が全く動かない。本当に幽霊の仕業なのだろうか、恨まれるようなことは恵理子以外にしたか?

 いや、恵理子にだってそんなにひどいことをしたつもりはない。

 でも、あの女が何を考えていたか、それは一生わからないことだ。


 突然眩しくて暖かい光が僕の体を包む。いや、目を閉じているし温度とかは感じないのだが、優しい光としか言いようがない。演劇のスポットライトを優しくしたような、不思議な感覚に包まれている。耳鳴りなのか念仏なのか、ソレらもなんだかテンポを落としはじめた。


「見つけました!」


 元気のいい、女の子の声だ。


「離しませんよ、こちらです。」


 気がつくと体の感覚がなくなって、彼女の声と念仏の音だけが聞こえる。目を開けようにも開け方がわからない。いや、目がどこにあるのかわからない。そんな感じだ。


「僧正様。もう、(タントラ)を止めてください。」


 何が何だかわからないが、暖かな手に包まれているような気分だ。


「清められし詩女(うため)ゼルフィアの器に、召喚せし魂を迎え入れん」


 少女の声は喜びを歌うように呪文を叫ぶ。木魚のような不思議な音が聞こえはじめた。


「魂の檻をひととき解き放たれたるが良い」


 なんだ、魔法少女しか言わないような言葉遣いの女の子だな。テレビでもつけっぱなしだったっけ。


「われ、詩女(うため)ヴィオラが古代(いにしえ)の盟約に基づき、常世(とこよ)に移さん」

 

 聞いたことのない名前だ。最近のアニメの流行りなのかな。それとも海外の映画かかな。


永世(えいせい)の輪廻から外れ、光の扉を渡りたまえ」


 思ったより長いな。変身バンクが長すぎる。漫画だったら一ページで変身、次のページで完成の一枚絵にしなきゃ読者が離れちゃうんじゃないか?


永劫(えいごう)より、今ここに降臨せよ」


 長くてだるい、体が重くてだるい。

 急に体の感覚が戻って重力を感じる。目が回って、とても立っていられない。バランスを崩して倒れそうになった瞬間、僕を慌てて誰かがが抱き抱える。


「おろしました!」


 柔らかくて暖かな感触に安堵しながらゆっくり目を開ける。ぼんやりと見えた視界には健康そうな赤褐色の肌の少女が僕を抱き抱えている。黒くて美しい髪の毛を束ねた少女は、細い体つきの割に筋力があるらしく、僕をしっかり抱き抱えている。しかしながら、彼女に全く見覚えがない。日本人にも見えなかったが、言葉は日本語に聞こえた。

 薄暗い洞穴のような場所なのか、ランタンのような光が何個か灯っているようだ。僕と彼女の周りではイスラム教神秘主義(スーフィー)のような妙な格好の男たちがざわついていた。

 なんだここ、テーマパークみたいだな。新しいアジアンスタイルのデズニーだろうか?


「大丈夫です、命脈が足りていないだけ。私が授けます。」

 躊躇する間もなく、少女は口づけする。柔らかく触れた唇からゆっくり彼女の息が吹き込まれる。僕は抵抗することもできず吹き込まれた彼女息が体の中に入り込むと、体全身に回って暖かさを取り戻す。血液を吸えず干からびて動かなくなったヴァンパイアの体に、久しぶりの血液が流れ込んできたかのようだ。


――もっと欲しい。


 僕は彼女の背中に腕を回しせがむように強く抱きつき、熱った唇に貪りつこうとしていた。熱っぽい僕の挙動とは裏腹に、平然としている彼女は僕の胸に手を当てて軽く叩く。叩かれた場所から電気のような痺れと痛みが全身に広がって、思わず上半身を起こして咳き込んでしまった。


 ――なんだ?欲求不満が溜まり過ぎておかしな夢でも見ているのか?それにしても感覚がリアルすぎる。


「今、盟約は果たされた!」


 少女が叫ぶと男たちが降臨、成就せり。と叫び出す。

 

 ――なんだこれは、変な宗教に捕まってしまったのか。先輩にフットサル行けないって伝えなきゃ。


 テンパりながらも仕事の基本はホウレンソウだと自分に言い聞かせる。夢じゃないなら、いや、夢でもいい、兎にも角にも、この状況を誰かに連絡しなければ。

 痺れの残る右手を動かすと、妙に自分の手が小さくて白いことに気がついた。ギョッとしながらポケットにあるはずのスマホを弄るが、なんとも言えない違和感に気づく。ズボンを履いていない。

 一瞬にして冷静さを失い周りを見渡すと、甘い線香のような咽せる匂いがして、足元は土のようなしっとりと湿った感触がする。僕は僕を支える女の子をもう一度見つめる。不思議な伝統衣装を身に纏っているようだ。

――夢じゃないのか?

そんなことより自分の体の違和感だ。自分自身も浴衣なのか着物なのか、薄くて短い伝統衣装を着ているようで、太ももが妙に風を感じる。

女装をしてコスプレ褐色美少女とキスしたっていうのか?

焦る気持ちで頭がうまく回らない。

 そうだ、何より問題なのが・・・僕の股間についているハズのものがない。

「あの・・・」

 僕を抱き抱える少女に視線を移して懇願するように見つめると、僕の混乱を察した彼女はにっこり笑いかけた。

「驚いているかもしれませんが、安心してください。あなたの魂は、詩女ゼルフィアにおりております。この鏡を見てください。」

 彼女が抱える鏡を恐る恐る覗くと、青い瞳を震わせて不安で泣き出しそうな色白で金髪の美少女が歯をガタガタ震わせていた。


――ああ、今の僕ってかわいいんだな。


その後のことは覚えていない。僕の意識は暗闇の中へ旅立ったようだ。


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