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エレジア大陸記Ⅵ 疾風と忘却の円舞曲  作者: 神凪 浩
第四章 人々が選ぶ物語
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第十八話 偽史の終焉

 それは、夜明けの光だった。

 偽りの物語という名の長い夜が明け、真実の光が世界を照らし始めた瞬間だった。

 アリアが届け、リィナが繋いだ、痛みを伴うが温かい本物の記憶。

 それを受け取った大陸中の人々は、自らの意志で選択した。

 与えられた安寧よりも、自らの手で未来を掴み取ってきたという、揺るぎない誇りを。

 その選択は、「万象の書庫アカシック・アーカイブ」に劇的な変化をもたらした。

 偽りの歴史を信じる人々の意識は、まるで供給を絶たれたかのように途絶え、代わりに、真実を受け入れた人々の純粋な意志が、無数の黄金の光の奔流となって空間の中心へと流れ込み始めたのだ。

 それは、まるで無数の川が、本来還るべき大海へと注ぎ込むかのような、荘厳で神聖な光景だった。

「やった……やったのですね、アリアさん!」

 リィナが歓喜の声を上げる。

 アリアもまた、自らの魂を賭した一世一代の賭けが成功したことに、安堵の涙を浮かべていた。

 偽りの歴史を支えていた力の基盤は崩壊した。

 これで、リアムを苛む過去の亡霊も、その存在を維持できなくなるはずだった。

 しかし、その希望が確信に変わることはなかった。

 黄金の光がもたらしたのは、希望だけではなかったのだ。

「グ……オオオオオオオオオッ!」

 空間の静寂を切り裂き、苦悶とも歓喜ともつかぬ咆哮が轟いた。

 声の主は、喉元に突きつけられた剣を振り払い、よろめきながらも立ち上がったリアムではなかった。

 その目の前で、彼を絶望の淵へと叩き落とした、もう一人の自分――「リアムの影」であった。

 人々の偽りの認識によって形作られていたはずのその体は、真実の光によって消滅するどころか、逆にその黄金の奔流を、まるで飢えた獣が獲物に喰らいつくかのように、凄まじい勢いで吸収し始めたのだ。

「馬鹿な……なぜだ!?真実の光が、偽りの幻影を強めているだと!?」

 自らが支配していたはずの書庫で起きた予期せぬ現象に、元・院長でさえ狼狽の声を上げる。

 彼の完璧な計算と論理が、理解不能な現実によって覆されようとしていた。

 答えは、残酷なまでに単純だった。

 「影」を構成していたのは、リアムの戦闘データだけではない。

 彼がこれまでの人生で経験してきた、全ての「痛み」「孤独」「罪悪感」といった、負の記憶そのものだったからだ。

 人々が偽りの物語を信じていた間は、その力は限定的だった。

 リアムは、ただの物語の中の「悪役」でしかなかった。

 だが今、大陸中の人々が「真実の歴史」――つまり、リアムが仲間を失い、友を手にかけ、その全ての痛みを一人で背負ってきたという、あまりにも重く、そして苦い事実――を認識し始めた。

 その膨大な「真実の痛み」への共感が、「影」にとって最高の糧となったのだ。

 人々がリアムの真実を知れば知るほど、その記憶に宿る絶望の重さを理解すればするほど、「影」の存在は、より強く、より明確に、この世の(ことわり)へと刻み付けられていく。

 「影」の輪郭を覆っていた陽炎のような揺らぎは完全に収まり、もはや幻影とは思えぬほどの確かな実体を持っていく。

 その瞳には、以前の無機質なはない。

 リアムがかつて心の奥底で抱いていた、世界への深い絶望と、全てを憎悪するような激情の炎が、赤黒く燃え盛っていた。

 それはもはや「記録された情報(データ)」の再現ではない。

 大陸中の人々が思い出した「痛みの総体」が、リアムの最も強く、そして最も脆かった時代の姿を借りて顕現した、真の亡霊だった。

「フハハハ…!そうか、そうだったのか!人の想いなどという不確かなものではなく、揺るぎない『事実』こそが、この書庫の(ことわり)!ならば良い!この最強の絶望こそが、新たな世界の真実となるのだ!」

 元・院長は、自らの計算外で生まれた現象を、即座に自分に都合よく解釈し直し、狂気の笑みを浮かべた。

 真実が何であろうと構わない。

 この絶望の化身がリアムを打ち砕き、世界に君臨するのなら、それこそが新たな「物語」の始まりとなるのだから。

 だが、彼の支配も、そこまでだった。

 人々の「真実を望む」という純粋な意志の奔流は、「影」だけを育んだのではない。これまで元・院長が私物化し、汚染していた「万象の書庫アカシック・アーカイブ」そのものを、その永い眠りから覚醒させていたのだ。

 ゴォォォ……という地鳴りのような、あるいは星々の歌声のような荘厳な響きと共に、空間の中心、世界の全ての記憶を統べる巨大な光の球体が、ゆっくりと脈動を始めた。

 それは、世界の記憶を正常な状態に「調律」するという、書庫が持つ本来の機能が発動した瞬間だった。

 中心部から放たれたのは、何かを破壊するための攻撃的な力ではない。

 全てをあるべき姿へと還す、絶対的な肯定の光。黄金の「調律の波動」だった。

 波動は、まず元・院長が書庫のシステムに張り巡らせていた、偽りの歴史という名の汚染を、まるで陽光が朝霧を晴らすかのように浄化していく。

 彼が作り出した歪んだ因果、捻じ曲げられた記録が、本来の正しい姿へと瞬時に修復されていく。

「な…やめろ…!私の物語が…私の秩序が…!私が、私が人々に与えた幸福がっ!」

 元・院長の断末魔が響き渡る。

 偽りの物語と一体化していた彼の意識は、絶対的な真実の奔流によってその存在を許されなかった。

 異物(バグ)として、世界の理そのものから拒絶されたのだ。

 彼の精神は、自らが弄んだ歴史の濁流に飲み込まれ、悲鳴を上げながら霧散していく。

 やがて、その狂気に満ちた意識は、書庫の膨大な記録の中から、一片の染みさえ残さずに完全に消去されていった。

 やがて「調律の波動」が穏やかに収まった時、「万象の書庫アカシック・アーカイブ」は、本来の静謐を取り戻していた。

 元・院長の気配は完全に消え失せ、偽りの歴史の濁流も、跡形もなく浄化されている。

 どこまでも続く光の回廊は、まるで生まれたての宇宙のように、清らかで神聖な輝きに満ちていた。

 世界の運命を賭けた戦いは、終わったのだ。


 だが、リアムたちの目の前の脅威は、去ってはいなかった。

 むしろ、その絶望の色をさらに濃くしていた。

 「調律の波動」は、元・院長という「異物」は消去したが、「リアムの影」は消さなかった。

 なぜなら、「影」はもはや偽りの存在ではないからだ。

 大陸中の人々が認識した、「真実の歴史」の一部。

 友を失い、罪を背負い、それでも戦い続けた一人の英雄が、その魂に刻み込んできた、あまりにも深く、そして本物の痛みの象徴そのものだからだ。

 書庫は、それを消すべき「異常」とは判断しなかった。

 むしろ、記録されるべき「真実」として、その存在を肯定したのだ。

 黄金の光が静かに降り注ぐ回廊で、リアムは、傷ついた体を引きずるようにしてゆっくりと立ち上がった。

 彼の目の前には、大陸中の人々が知った「真実の痛み」をその身に宿し、かつてないほどの力を漲らせた「影」が、静かに剣を構えて佇んでいる。

 世界の運命を賭けた戦いは終わった。

 だが、リアム自身の魂を賭けた、最後の戦いは、今、まさに始まろうとしていた。

 誰の助けも届かない、「万象の書庫アカシック・アーカイブ」の最も深い聖域で。

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