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第十一話 精神の回廊

 北嶺の峻嶺に抱かれた洞窟の中、燃え盛る焚き火の光が三人の疲弊しきった顔を照らしていた。

 リアムの傷はアリアの献身的な看病とリィナが集めた薬草によって快方に向かっていたが、彼の魂の最も深い場所に触れたアリアの消耗もまた、決して軽いものではなかった。

「…次の満月まで、あと半月以上あります」

 リィナが、古代遺跡で得た情報を元に、今後の予定を切り出した。

「体勢を立て直す時間は十分にありますが、問題はその後です。『記録院』は、私たちが書庫への道を見つけたことに、いずれ気づくはず」

「奴らの妨害は、これまで以上に激しくなるだろうな」

 リアムは、まだ痛む脇腹を押さえながら答えた。

「それに、奴らの計画も最終段階に移行している可能性がある。もはや、我々三人だけでどうにかなる問題ではない」

 その言葉に、リィナは静かに頷いた。

「一度、王都へ戻りましょう」

 彼女の提案は、決意に満ちていた。

「これまでの情報を全てカイル宰相に報告し、国の総力をもってこの事態にあたるべきです。それに…」

 リィナは、リアムと、そして彼の隣に座るアリアを見つめた。

「今の私たちには、休息と、そして次の一手を練るための時間が必要です」

 その提案に、異を唱える者はいなかった。

 「万象の書庫アカシック・アーカイブ」という目標を前に一度引き返すことは、苦渋の決断だった。

 だが、より確実な勝利のために、彼らは一度、光の下へと戻ることを選んだのだ。


 ◇


 数週間後、三人はエレジア王国の王都の門をくぐっていた。

 北の辺境とは比べ物にならない喧騒と活気が、長旅で疲弊した彼らを迎える。

 しかし、その活気の裏で、カイルが手紙で憂慮していた通り、社会の不協和音が確実に広がっているのを三人は肌で感じていた。

 街角では「グレイウォール卿」の武勇伝を語る辻講釈師に人だかりができ、衛兵たちの間でも、どちらの歴史が真実かで口論が絶えなかった。


 宰相執務室で三人を迎えたカイル・ヴァーミリオンは、旧友の無事な姿に安堵の色を浮かべつつも、その表情は深い疲労に覆われていた。

「無事だったか、リアム。そして、リィナ、アリア君も、よくぞ戻ってくれた」

 報告は、夜を徹して行われた。

 リアムが語る「記録院」の狂信的な工作員と、各地の祠で対峙したゴーレムの実態。

 リィナが語る、偽りの歴史によって歪められていく大地の悲鳴。

 そして、アリアが語る、古代遺跡と「万象の書庫アカシック・アーカイブ」へと続く道筋。

「…やはり、全ては繋がっていたか」

 全ての報告を聞き終えたカイルは、壁に掛けられた巨大な大陸地図の前で、静かに呟いた。

「カイル様、一刻も早く騎士団を…!」

 リィナが、国の総力をもって「万象の書庫アカシック・アーカイブ」へ向かうべきだと進言する。

 だが、カイルは静かに首を横に振った。

「それはできない」

「でも…」

 リィナが言いかけた言葉を、カイルは静かに、しかし有無を言わさぬ口調で遮った。

「君たちが発見した入口は、軍隊が押し破れるような物理的な門ではない。特定の条件、つまり満月の夜に、古代の儀式を行って初めて開かれる、言わば『(ことわり)の扉』だ」

 リアムが口を挟む。

「ならば、少数精鋭の騎士を付けることはできないのか?」

「それも無理だ」

 カイルは断言した。

「『万象の書庫アカシック・アーカイブ』は、世界の記憶そのもので構成された、いわば精神の領域だ。そのような場所に、剥き出しの敵意を持った者が大勢で踏み込めばどうなるか。書庫そのものが彼らを『異物』とみなし、拒絶反応を起こすだろう。精神は砕かれ、二度と戻っては来られなくなる。屈強な騎士であればあるほど、そのリスクは高まる。騎士の派遣は、あまりにも危険すぎる」

 カイルは、机の引き出しから一枚の羊皮紙を取り出した。

 そこには、数名の人物の名前と経歴が記されている。

「だが、君たちの懸念ももっともだ。そこで、選りすぐりの者たちを用意した。王室直属の特務部隊『沈黙の爪(サイレント・タロン)』。一人一人が一個師団に匹敵するとされる、影の部隊だ。彼らは戦闘技術だけでなく、自らの精神を律し、殺気を完全に消す特殊な訓練を受けている。書庫の拒絶反応を回避できる、唯一の部隊だ」

 彼はリアムに羊皮紙を渡す。

「リアム、君にはこの部隊の指揮を任せる。彼らと共に『(ことわり)の扉』を抜け、内部の守りを固めてくれ。君の指揮能力と彼らの特殊技能があれば、どんな不測の事態にも対応できるはずだ」

 カイルの言葉は、三人の不安を払拭し、新たな希望を抱かせるものだった。

 リアムを隊長とする少数精鋭の特殊部隊。

 これこそが、神話の領域に挑むための、唯一にして最善の策だった。


 王都での束の間の休息と再編を経て、三人と、黒装束に身を包んだ5名の『沈黙の爪(サイレント・タロン)』の隊員たちは、再び西へと旅立った。

 満月の夜に合わせ、古代遺跡へと向かうために。


 そして、満月の夜。彼らは再び、霧深い峡谷の奥に隠された古代遺跡、環状列石(ストーンサークル)の前に立っていた。銀色の月光が、太古の巨石群を荘厳に照らし出し、その表面に刻まれたかすかな紋様を浮かび上がらせている。

「すごい…地脈の力が、この場所に、今宵の月光に引かれて集まってきています」

 リィナが、その場に満ちる圧倒的なエネルギーに身を震わせた。

「記憶の通りなら…」

 アリアは、かつてこの場所で読み取った古代の神官の記憶を頼りに、サークルの中心へと歩みを進めた。

 彼女はまずその中央の石に触れて詠唱を始めると、そこを起点として、記憶にある正しい順番でサークルを構成する他の石を次々と巡り、触れていった。

 一つ、また一つと石に触れるたびに、石に刻まれた紋様が淡い光を灯し、リィナが感じる地脈の渦が、その回転を速めていった。

 そして、最後の一つの石にアリアの指が触れた瞬間。

 サークルの中心にある立石が、満月の光を吸収するかのように眩い輝きを放ち始めた。次の瞬間、何もないはずの空間が、まるで水面のように揺らめき、星空を映す不思議な通路が、彼らの眼前にその姿を現した。


 彼らは、世界の理の外側、常人の認識が及ばぬ聖域へと足を踏み入れた。


 眼前に広がるのは、壁も天井も存在しない、無限の空間。

 そこでは無数の光の粒子が、星々の生まれる瞬間のように煌めきながら、静かに、そして永遠に流れ続けていた。

 一つ一つの粒子が、一つの記憶。

 一つの生命の、一つの瞬間の輝き。

 喜びも、悲しみも、怒りも、愛も、全てが等しく価値ある「記録」として、この空間を構成していた。

「ここが…『万象の書庫アカシック・アーカイブ』…」

 記録官として、アリアはそのあまりに荘厳で神聖な光景に、畏敬の念で打ち震えた。

 三人と『沈黙の爪(サイレント・タロン)』が光の粒子が織りなす回廊を進んでいくと、やがて空間の中心、ひときわ強く輝く場所へとたどり着いた。そこに、一人の元・院長が、こちらに背を向けて静かに佇んでいた。

「――よくぞ参られた、探求者たちよ」

 元・院長は、ゆっくりと振り返った。

 その顔には深い皺が刻まれ、瞳は長い年月の探求によって穏やかに澄み切っている。

 だが、その奥に宿る光は、常人のそれではない。

 世界の全てを知り尽くしたという、傲慢なまでの確信に満てていた。

「お前がここの主か?」

 リアムが問う。

「いかにも。私が記録院の元・院長にして、この『万象の書庫アカシック・アーカイブ』の新たな管理者だ」

「なぜこんなことを!」

 アリアは叫んだ。

「歴史を弄ぶなど、人として許されることではありません!」

 その悲痛な叫びに、元・院長は心から慈しむように、しかしどこか憐れむような笑みを浮かべた。

「お嬢さん、君はまだ若すぎる。痛みを伴う真実は、人々を不幸にするだけなのだよ。私が与える完璧な物語こそが、人々を真の幸福に導くのだ」

「それはただの偽りだ!」

 リアムが吐き捨てるように言った。

「お前の歪んだ正義を、人々に押し付けているに過ぎん!」

「正義とは、結果なのだよ、リアム・ブレイド君」

 元・院長はリアムを見据えた。

「私に戦闘能力はない。だが、この書庫の管理者として、ここに記録された全ての力を行使する権能がある」

 元・院長が片手を掲げると、彼の周囲の光の粒子が、意思を持ったかのように凝縮し、次々と人の形を成していく。

 それは、歴史上、その名を謳われたありとあらゆる英雄たちの姿だった。

 古代の魔導師、百人斬りの剣豪、無敵を誇った騎士団長。

 彼らの瞳には魂の光はなく、ただ、主の命令に従う人形のように、冷たい輝きを宿しているだけだった。

「さあ、見せてあげよう。君たちが守ろうとする不完全な『真実』が、私の創り出す完璧な『物語』の前で、いかに無力であるかを」

 元・院長の合図と共に、歴史の記憶から召喚された「偽史の英雄兵団(アポクリファ)」が、リアムたちに静かに、そして無慈悲に襲いかかった。

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