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第二層:1347年・パリ - 羊皮紙の記憶

*Ego, Petrus scriba, mortem prope sentiens, hanc historiam servo...*


 私、写本師ピエールは、死を間近に感じながら、この物語を保存する。


 パリの街には死の甘く腐った臭いが満ちている。黒死病—民衆は「grande mortale」と呼ぶ—が我々の魂を次々と刈り取っていく。サン・ドニ修道院の回廊では、毎晩のように兄弟たちが鼻歌を歌いながら死体を運んでいる。恐怖で気が狂ったのか、それとも神の摂理を受け入れたのか。


 私にはもはや神への祈りが空虚に聞こえる。聞こえるのは病人のうめき声と、遠くで死体を運ぶ荷車の車輪のきしむ音、そして夜風に乗って運ばれてくる焼き場の煙の臭いだけだ。


 だが私には、祈りとは別の使命があると感じている。


 昨夜、高熱に浮かされた修道院長が私に託したこの古い文書。それは二百年ほど前、第三回十字軍の騎士が聖地からではなく、エジプトの砂漠から持ち帰ったというパピルスに書かれた物語だった。


 パピルス—古代エジプト人が発明した書字材料である。ナイル河畔に自生するパピルス草の茎を薄く削いで縦横に編み、圧迫して作る。羊皮紙と違って植物性だから安価だが、湿気に弱い。それがなぜ、乾燥したヨーロッパまで保存されてきたのか?


 埃と没薬の匂いがするそのパピルスは、ビザンツ帝国時代のギリシア語で記されていた。しかしその内容は、さらに千年以上も昔の古代エジプトの書記官の記録だという。文字通り、時代を超越した物語の層である。


「これを写しなさい、ピエール」


 院長は震える声で言った。彼の額には十字の形に汗が浮かんでいる。黒死病の症状だ。やがて腋の下や鼠径部にリンパ節の腫れ—民衆が「bubo」と呼ぶ腫瘤—が現れるだろう。


「この物語は決して失われてはならない。それは時を超えた真実を含んでいるのだ。我々の神とは違う、もっと古い神の言葉が...」


 院長の言葉は途切れ、彼は深い眠りに落ちた。永遠の眠りだった。


 私は最上質の雁の羽根で作ったペンを握り、鉄胆インクをつけた。鉄胆インクの作り方は企業秘密である。没食子(ナラの木にできる虫こぶ)を粉砕し、鉄硫酸塩と膠を加えて作る。このインクは時とともに化学変化を起こし、数百年後にはより濃い黒に変化する。まさに時間を封じ込める魔法のインクだ。


 そして私は、書記官ケティのその不思議な記録を、羊皮紙に一文字一文字刻み始めた。彼は若きファラオ、トゥトアンクアメンに仕える書記官で、王が毎夜見るという不思議な夢を記録する役目を負っていたという。


 古代エジプトの書記官は、現代で言えば公務員の最高位である。ヒエログリフとヒエラティック(神官文字)を読み書きできる彼らは、人口の1%にも満たない知識階級だった。税の徴収から神殿の運営まで、国家のあらゆる事務を担っていた。


*カルトゥーシュの中に記されし真の名を解読する時、時間は円を描きて流るることを知るであろう...*


 カルトゥーシュ—ファラオの名前を囲む楕円形の枠である。古代エジプト人は真の名前には魔力が宿ると信じていた。だからファラオの名は特別な保護を受けていた。


 その一文を写した時、私は窓の外に人影を見たような気がした。黒いマントを被った女の影。彼女の顔は見えなかったが、なぜか美しい女性だと直感した。年齢は二十五、六といったところか。髪は栗色で、瞳は深い緑色のように思えた。


 ペストによる幻覚だろうか?だがその女の瞳が私をじっと見つめているのを感じた。まるで私がこの物語を正しく写し終えるのを見届けようとでも言うように。


 そして彼女の唇が、音もなく動いたのを見た。


「愛しています」


 そう言ったのだろうか?聞こえたのは心の声だったのだろうか?


 私は震える手で筆を進めた。この物語を完成させなければならない。それが私の使命であり、そして—なぜかそう確信していた—私が彼女に再び会うための唯一の方法なのだ。


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