第8話 今日もおしゃれなボタンですね
子供たちの会話を盗み聞きして情が移ったのか、桃の花と白梅たちは、非常に親切だった。
紅色の桃の花が左手に、白梅は右手に、ささああっと分かれて、二人の足下に、細くて長い紅色の通り道を作ってくれた。
「何か、バージンロードだな。この上を歩くのか、男と……」
新婦側に桃の花が、新郎側には白梅が、といった感じにずらっと並んで、道の終わりまで続いている。
木の葉は意外にもうぶな男子で、将来の夢が主夫だ。結婚式にも夢がある。
(猫と歩く方が、マシだな)
木の葉は酷くショックを受けていたが、ことりは嬉々として先頭を歩いた。
「まるで卒園式だね、なんて感慨深いんだろう!桃の花と白梅に囲まれた道を通れるだなんて、夢のようだよ!」
二人が歩くにつれて、桃と梅の香りは、どんどん強くなっていった。
「トイレの芳香剤の匂いだ」
木の葉が、鼻を押さえると、ことりが窘めた。
「それ、失礼な表現だから」
すると、木の葉が、間を置いて言い換えた。
「入浴剤の香りだ」
「それも違うよ!ちゃんと嗅いで。ほら、本物の香りは上品だよ」
「上品だろうが、下品だろうが、梅は梅。桃は桃。それだけだ」
すねてしまったのを見て、ことりは諦めた。
「まあ、一理あるよね……」
そう言うと、こっそり溜息を吐いた。
ほのかに甘い香りと壮麗な風景を堪能して、ことりは、上機嫌で鼻歌まで歌った が、道の終わりに近付いた時、ふっと気付いた。
(あれっ、影がない)
本来もっと早くに気付くべきだった。木も花も影がないのだ。
思えばカラスもいない。
「ねえ、このエリア、影がないよ。こんなに明るいのに」
ことりが言うと、木の葉は面倒臭そうな顔をして言った。
「影なんか、ねえ方がいいだろ」
長かった紅色の道も、後一歩で終わりだ。
二人は、くるりと向き直って、桃の花と白梅に頭を下げた。
「ありがとうございました」
御礼を言って頭を上げた時、「ツツピー・ツツピー」と可愛らしい鳴き声がした。
「おっ、黒ボタン!」
小柄な四十雀が、三メートルほど先の桃の木の枝に止まって、ことりを呼んでいた。
「ピット!!」
ことりは、ぎゅっと唇を噛んで、込み上げた涙を目の奥へ引っ込めた。
その顔が、今にもくしゃくしゃになってしまいそうだったので、見兼ねた木の葉が、ことりの左足を思いっ切り踏ん付けた。
そして、泣き出しそうな背中をバシッと叩いた。
「確かに親子だぜ。あっちもチビだ。桃の花の花言葉、聞いたことあるか?チャーミングらしいぞ。チビのやつ、待ってるぜ」
木の葉の思いやりが、ことりの胸に勇気を与えた。
(そうだ、これは現実なんだ!ピットが会いに来てくれたんだ!)
ことりは震える唇から、やっとのことで声を出した。
「ピットー、会いにきてくれてありがとうー!!」
ことりは両手を上げて、ぶんぶん振った。
「今日もおしゃれなボタンですね~」
ことりが褒めると、ピットは、誇らしげに小さな胸を精一杯張ってみせた。
大喜びで「ツッツピー・ツッピー」と鳴く声は昔と変わらず『かわいいでしょ!』 確かに、そう聞こえた。
優しい香りと、愛らしい鳴き声に見送られて、ことりと木の葉は、紅葉通りと桜並木に飛び入った。
その瞬間、化け樹々をもつんざく強風が吹いて、二人は咄嗟に草地に伏せた。
大風が大地を吹き上げて、二人がげんなりする程の轟音を立てたが、森が鳴いているようにも聞こえた。
「ねえ、今更だけど、森の動物たち、一頭も一匹も、一羽も見当たらないね。カラスたちは喧しいけど。この森に、ウサギとかいるの?無事かな」
ことりが心配そうな顔をして聞くと、木の葉が怒鳴った。
「おまえ、ほんと一遍ケガして来い。自分の心配しろよ!」
ことりと木の葉が、びくびくしながら顔を上げると、広大なモミジと巨大な桜の花びらが空高く舞い上がるのが見えた。
微かな木漏れ日に当たって、ひらひらと影を落としている。
(うわあっ、巨大金魚だ!)
ことりは、見惚れて吐息をもらした。
赤とピンクの尾鰭が、空を自由に泳ぎ回っているように見えて、とても綺麗だ。
しかし、ここでも、のんびり観賞する暇はなかった。
木の葉は、逸早く立ち上がって先を見据えた。
「おい、あれ見ろ!」
甲高い声に目を向けて、ことりは、ぽかんと口を開けた。
そそり立つヤシの樹々は、おそらく高さが五十メートル越えで、 花序の長さは、二十五メートル程ある。
「学校のプール五つ分か。前、来た時は三つだった。クソッ、増えやがって!」
木の葉が歯ぎしりした横で、ことりは肩を竦めた。
「前って、いつ?」
聞くと、木の葉は無言になった。
化けヤシたちは、左に右に次々とうねって、回転まで始めた。
花穂が、バザッバサッバザッと凄まじい音を立てて揺れたので、沢山の巨大ヤシの実が、ゴロンゴロンと耳障りな音を立てて草地を転がった。
「ふん、見てろ。俺は、奉公屋の子供だぞ。木なんかに負けねえよ!」
木の葉が拾った実を、部屋の大きさと部屋数に例えるなら、六畳半を三部屋ほどだ。
人の子なら、掴むことすら出来ない三百トンの実を、木の葉は、両手で掬うようにして持ち上げた。
「えっ、ちょっと待って、何する気?すっごい嫌な予感がするんだけど」
ことりは、ぎくりとして止めた。
しかし、木の葉は、よたよたしながらも、真正面のヤシに狙いを定めて振り上げた。
「自分で片付けろ、やーい!」
アホ丸出しの声を上げて、実をぶん投げたのだ。
「ぎゃあああ!何してんのおおお!」
ことりは悲鳴を上げて、短髪を搔き毟った。
木の葉が放った実は、奇跡的に前方へ飛んで、回転を続ける花穂に当たった。
それは、いとも簡単に弾き飛ばされたが、そのせいで化けヤシたちの怒りは最高潮に達したようだ。
五本が同時に、先の尖る花穂を手のように使って、巨大な実を直接二人にぶつけ始めたのである。
しかし、木の葉は挫けなかった。怯むことなく立ち向かったのだ。
「くらえ、トルネードスピン!」
技の名前らしいが、ことりは、今度も危ぶんで止めた。
「待って!今度は何?」
しかし、木の葉は、聞く耳を持たなかった。
さっきより一回り小さい実を両腕に抱え込んで、くるくる、ぐるぐる三回も回って、前に放り投げたのだ。
その結果、実は飛ばずに転げ落ちた。
そして、目が回ったと言ってしゃがみ込んだ。
「おええ、気持ちィ。ふらふらする……」
「大丈夫?立てる?」
手を差し伸べようとして、ことりは、はっとした。
周囲に殺気がみなぎっていたのだ。