第2話 森の怒りは終わらない1
竹藪の中、ブナ林は、どこまでも続いた。
ことりと木の葉は、影のない所、光に飛び入って進んだ。
(影踏みと逆だ。影踏み好きだったな……)
ことりは懐かしくなって、一瞬くすっと笑った。
踏み込むのは一瞬で、すぐに新しい光へ飛び移って、化けブナたちの間を突っ切った。
化けブナの影を、時には飛台の代わりにした。
助走をつけて、思い切り踏ん付けて飛び越したが、スニーカー越しに足の裏がジーンと痺れた。
「どうして影が堅いの?」
ことりが振り返ると、避けた化け枝の影が、地面に突き刺さっていた。
ことりは、芯から震え上がって身震いした。
「影が刺さるって、どういう原理?」
「頭で考えるな!前向け、前!」
降って湧く疑問に、解答は得られなかった。
二時間も経つと、ことりは、うんざりして言った。
「ねえ、赤目守りに謝ろう」
すると、先頭を走る木の葉が、振り向いてバカにした。
「こんくらいで、音をあげるな!だらしねえ!」
「!!なっ」
ことりは、理不尽だと言い返したかったが、喧嘩する体力もなかった。それで、ぼそりと呟いた。
「肥満児に見えないけど、体重あるよね。抱えては飛べない……」
木の葉を後ろから眺めて、ことりは肩を落とした。
脚力に自信はあるが、腕力は、やや劣る。長距離飛行は難しい。
化け枝は、大蛇のようにうねって、横へ前へと影を伸ばし続け、ことりと木の葉を摘み上げようとしたが、空振りに終わった。
「ふん、アホめ!捕まるか、バーカ!」
木の葉は、ゼエゼエ言いながらも、悪態を忘れなかった。
「万年はえよ、枝野郎ども!」
木の葉が、両目の隈を、両手の人差し指で引っ張った。
舌まで突き出したので、ことりが慌てて止めた。
「子供じゃないんだ!十一だろ」
二人とも背は低いが、運動神経は、人並み以上だ。
二人の体力と動体視力は、尋常ではない。
影を巧みに躱して、光を求めて走り回った。
木の葉の数歩先で、九十メートルを超えたブナが三本、ミシミシと軋んで巨幹を一斉に右に傾げると、ことりの視野に光の束が入った。
「右後ろに回って!」
ことりが大声を上げると、木の葉が頭を下げて叫んだ。
「左だ!」
二人は、木漏れ日が連なって出来る瞬間を見逃さなかった。
加えて判断力も優れていたが、それでも何度かは、ぎりぎりセーフというのもあって、途切れかけた木漏れ日に滑り込んで間に合った。
木の葉は膝小僧を擦り剥いたが、ことりは無傷で、顔だけ土気色になった。
今にも泣き出しそうなことりを見るうちに、森も哀れに思い始めたのか、先まで吹いていた冬の風が突然、巨大な落ち葉を拾い集めて空へ昇った。
代わりに春風が訪れて、あちこちで新芽が吹き出した。
暖かな風が、ことりの頬を優しく撫でて行った。おかげで、少しだけ元気を取り戻した。
化けブナは新緑の候に戻ったが、化けブナに負けじと伸びる、細長くバカでかい竹 と竹の間では、黄色水仙が咲き誇っていた。
「どうして枯れないの?七月だよ?おかしいよ!」
ことりは、叫ばずにはいられなかった。すると、木の葉が怒鳴った。
「余所見すンな!左に飛べっ!」
ことりは、はっとして胸を反らした。まさに間一髪だった。
バカでかい竹が、目前で空を切った。ことりは、身震いして足を早めた。
寸前で助かったのだ。木の葉も青ざめた。
(あの、バカ、失明するとこだったぞ)
「気ィ抜くな!前だけ見ろ!」
木の葉の掛け声は、少し震えて、右頬に切り傷ができていた。
ことりは、飛ぶように駆け寄った。
「ごめん!僕が気を散らしたせいで」
ことりが謝り終える前に、木の葉が、ことりの背中をバシンっと叩いた。
「美人顔に傷が付くより、パンダ顔に付く方がいいだろ。笹慣れしてるぜ」
木の葉は、ことりに気を取られて竹を避け損ねたが、左手の甲で血をぐいっとぬぐうと、口角を上げて笑った。
(なんだ、意外と良い奴だな)
ことりは、新しい友人を見直して微笑んだ。
「パンダよりは、ハンサムだよ」
「そら、どーも」
二人は、より一層、細心の注意を払って、二百メートルに及ぶ竹藪とブナの林を駆け抜けた。
ほっとしたのも束の間で、またもやギョッとした。
巨大なモミの樹々、樹高八十七メートルが、徒党を組んで待ち構えていたのだ。
「あれ、この樹って、クリスマスツリーだよね?」
ことりは立ち止まりそうになって、木の葉に背を押された。
「突っ立つな、駆けろ!」
二人の行く手に、赤や青、薄紫など色とりどりの朝顔が開いて、紫に青みがかる紫陽花が美しかった。
理由は分からないが、草花は普通の大きさだ。
(紫陽花が色付いてる!これ、本当に朝顔?昼顔かも、ひょっとすると夕顔?花が開く時間も、めちゃくちゃなの?)
ことりは不思議な光景を見る度に驚いて、その都度、後ろから木の葉に押し潰されて救われた。
「ちゃんと避けろ!何回言えば分かる!?脳心頭おこしたいのか!?」
立ち上がることりの右足を、木の葉が踏ん付けた。
モミの化け樹々は、自身の化け枝を箒がわりに使って、二人の頭上すれすれを連続して掃った。
「ごめん、でも」
花々の美しさに目を奪われて、つい足が止まるのだ。