第1話 牡丹餅 は、お供え用。赤目守りの大好物は、餡団子。
人と妖怪は、永遠に相容れない。
住む世界が、てんで違うと言いたいところだが、実際はそうじゃない。
古往今来、日本は妖怪の国だ。
故に、人と妖怪の仲を取り持つ【奉公屋】が存在する。
ことりが、小守寮で手渡された小豆色の小冊子の一ページ目には、こう書かれてあった。
『 赤目守り―― 赤い目をした森の妖怪。
おかっぱ頭で、ニコニコ顔。
目は、くりくりと愛らしい。しかし、お歯黒だ。
もしも森で出会ったら、頭を下げて申し上げなさい。
「あなた様のおかげで森は安泰です。どうぞお納め下さい」
とびきり美味しい牡丹餅を献上しなさい。
そうしなければ、赤目守りは、どこまでも、どこまでも追って来る。
その速いこと速いこと。
あっという間に捕まって、一生森から出られない。 』
ことりは、森に入ってすぐ、赤目守りと出逢った。
童の姿で小豆色の浴衣を着て、赤い下駄を履いていた。
「団子は、ダメだった」
走りながら、木の葉が、神妙な顔つきで首を横に振った。
「試さないでよ!しかも、どろ団子!僕の分もあるから大丈夫って言うから信じたのに……」
「金がねえ時は、ツケだ。どろ団子で勘弁ってことに、してくれなかった」
「当り前だよ!僕でも怒る!!」
ことりは、アホで無謀なルームメイト柏木 《かしわぎ》木の葉のせいで、入寮初日に泣きを見た。
木の葉が、赤い包みから取り出したのは、どろ団子だった。
ことりは目を剥いて、胸中で嘆いた。
(せめて赤土で作ってよ)
当然だが、赤目守りには睨まれた。
「牡丹餅おくれ、ほっぺがおちる牡丹餅おくれ」
そう言われても、無いものは無い。戸惑うことりを、木の葉が引っ張った。
「逃げるぞ」
「えええっ、いいの!?」
躊躇いながらも、力強い声に従った結果、大樹の影に追撃されて、挙げ句、迷ったのだ。
「餡団子うめえし、ぜってえ気に入ると思ったんだ!」
木の葉は、悔し気に言うと、真面目腐った顔をして、どろ団子を後ろに放り投げた。
「じゃあ、買おうよ!ケチなの?」
ことりは、段々と腹が立ってきた。
(どうして、こんなにバカなの!?)
「財布に聞いてくれ。空だけどな」
木の葉が、しょぼくれた声を出したので、ことりは思わず叫んでしまった。
「それを先に言ってよ!!お金貸したのに!!こんな話、聞いてないよ!!牡丹餅をあげないと、どうして大樹の影に襲われるの!?」
森の怒りは、まるで暴風雨だ。
森には、この世のものと思えない大樹が、何千本と生えていた。
二人は、ひたすら走った。どの枝の影も、地面を打ち付けて終わる。
その度、ビジャッバジャッ、ドドドー、ザババー、爆音のような凄まじい音が響き渡って、豪雨が降っているかのようだった。まるで滝だ。
あちらこちらで本物の枝と枝がぶつかって、竜巻まで発生している。
獰猛な強風が巨大な樹々を持上げると、ビュオー、ヒュオオー、ゴボオオー、今度は悍しい風音が轟いた。
「ねえ!!この森、何もかもおかしいよ!!」
轟音に負けないように、ことりは、有らん限りの大声を出した。
山桜が満開で、イロハもみじは真っ赤、竹藪の中に、ブナの林があるのだ。
「今、七月だよ!?ブナは、山地に生える木だよね?もう枯れてるよ?どうして、夏に山桜が咲くの?新種?イロハもみじは、秋に紅葉するよね?この森、夏と春と秋が一緒にくるの!?」
ことりの質問に答える余裕は、木の葉に無かった。
「ぼけっとすンな!竹藪に入るぞ!」
木の葉が、大声を張り上げた。
前方に、樹高七十五メートルの南天があって、巨大な紫の実を付けている。
ことりは自分に言い聞かせた。
(森を出るまで、常識という言葉を忘れよう。どうして赤くないの?って考えちゃダメだ。僕が知らないだけで、きっと紫の実もあるんだ。それに、一粒が一戸建ての大きさなんだから、突然変異したって不思議はないよ)
どのブナも、樹高が七十メートル以上あった。
(樹齢何百、ううん、何千年かな?立派な樹だな)
ことりは安気に考えたが、太い幹を見てゾッとした。
ひび割れが一つもないのだ。樹皮もなかった。さながら新品の玩具だ。
幹の太さは、六メートル前後の真新しい小型ボートを三艘、連結した程ある。
木肌は滑々で、つるつるで、ニスを塗ったテーブルのように光沢があった。
改めて見渡せば、どのブナも、枝は上から下まで四方八方、好き放題に生え広がっている。
一本一本の長さが二十メートルを超えて、太さも十メートル以上あった。ほとんど化物だ。
そんな化け枝が森を覆うので、日光は地表に届かない。
だが、森の天辺で、カラスの群れが、ギャアギャア鳴くと、鬱蒼とした森に光が射すのだ。
そうすると、化けブナたちは、大地に根を張ったまま、巨大な化け枝を波打つように絶え間なく揺り動かした。
そして、まるで光を取り込むかのように、しなるのだ。
それを見て、ことりは最初、腰を抜かしそうになった。
(この森、ほんとに最悪だ!!もう帰りたい。牡丹餅を持たずに、来るんじゃなかった!!)
森の中は、どんどん明るくなったが、冷たい風が、ことりの耳元で、ビヒュウウッと唸って、夏の森に冬の匂いが漂った。
巨大な枯れ葉の海に、二人は飛び込んだ。
「赤目守りを怒らせると……はあ………どうして……森が怒るの……僕、もう無理……一旦、休もう」
ことりは、掠れた声で訴えた。
木の葉は、Tシャツの裾を持ち上げて、額から滴る汗をゴシゴシぬぐった。
二人とも汗だくで息は切れていたが、逃げ足は、速かった。
動きも機敏で、逃げ始めてからの一時間は、軽々と影を飛び越していた。
「アホ、休めるか!どこも戦地だ」
ことりは、青い唇を噛み締めて、かじかんだ両手を擦り合わせた。
Tシャツ一枚と半ズボン、これに真冬の寒さが加わって、吹き出る汗が体温を奪っていった。
ことりと木の葉が、散々な目に会っていた頃、赤目守りは、森の奥の祠の前で、仲の良い友人と談笑していた。
「森が賑やかね。今日の違反者は、人間?」
祭が尋ねると、赤目守りが、ころころと笑った。
「いつもの常習犯。この餡団子を食べ終わったら、追い掛ける」
「また!?大丈夫!?」
祭は、ぱっちりしたエメラルド色の目を見開いた。
そして、不安げに尋ねたが、赤目守りは、肩を竦めて苦笑した。
「懲らしめてるだけだよ。だけど、常習犯だからね。大樹たちも腹に据えかねてる。カラスたちの鳴き声も、いつもより凄い。少し心配だけど、取り立てて言うほどじゃないよ。問題ないから、逢瀬を楽しんでおいで」
赤目守りが、真っ黒い歯を見せて、にやっとしたので、祭が顔を赤らめた。
「えっと、ありがとう」
祭が、はにかみかながら御礼を言うと、赤目守りが、楽しそうにからかった。
「あんた達くらいなもんだよ。この森を、逢瀬の場に使う強者は」
からかった後、愁いを含んだ赤い目で、祭を見つめた。
銀色がかった青い髪は、腰まで伸びて、日を浴びてキラキラ輝く海のようだ。
「お供えだけじゃなくて、あたしの大好物まで、ありがとね」
赤目守りは、気の毒とか、可哀そうとか口にしない。ただ、胸の内では、この森でしか会えない二人に深く同情していた。
「十羽によろしくね」
「うん。また来るね」
二人は、ぎゅっと抱き締め合うと、微笑んでわかれた。