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6 過

 当時のことを思い出すと心がヒリヒリする。

 それが未だに変わっていない。

 だから自身で吃驚する。

 佐々木先生。

 佐々木千鶴子先生。

 気さくで、また厳しくもあった先生だ。

 何故か気が合い、本当の親のようにぼくが慕う。

 何故かと言えば、実際の親がぼくにとって枷だったからだ。

 ぼくを愛していることはわかっていたが、それが独占だったからだ。

 ぼくは母親の人形。

 子供の頃には何の疑いも生じない。

 いつまでも、この人の人形でいれば良いと思っている。

 それが自分の幸せだと感じている。

 亀裂が入ったのは父親の浮気がバレたときだ。

 現在ぼくの隣にいる彼女はぼくがイケメンだと言うが、父はぼくの比ではない。

 同じことは母親にも言えたが、母の方はきつい美形だ。

 父は穏やかな美形。

 派手さはないが、道行く人が一度は振り返るオーラを持つ。

 父が浮気をした原因は母にある。

 母はいわゆるお嬢様育ちで家の格が父より上。

 それは事実だろうが、何かにつけ、父を見下す態度を取る。

 困ったことに本人自身は気づきもせずに……。

 父は基本が大らかな人だから、そんな母を優しく扱う。

 父に惚れ、結婚を願ったのは母の方だ。

 だから父が自分に優しい態度を取れば言動が丸くなる。

 行動からも優越感が消える。

 今思えば、母は外に働きに出れば良かったのかもしれない。

 そうすれば多くの他人を知ることができただろう。

 それぞれの他人の行動パタンを理解することができただろう。

 だが実際は……。

 もちろん教養はあるが我慢を知らない母の勤め先が当時見つかったかどうか、それが問題だ。

 母の親戚の誰かが経営する会社で意味のない仕事を割り当てることしかできなかったかもしれない。

 父が好きな母は父の帰宅が遅いと不機嫌になる。

 その反動で、ぼくを甘やかす。

 本当の子供の頃、ぼくに母の心は掴めない。

 少し大人になると自分の父のことが嫌いになる。

 母がぼくに語る父の悪口を信じたからだ。

 おそらくそういった諸々が父の精神を追い詰めたのだろう。

 自分の家に帰り、身内のはずの妻に気を遣い続けるのに飽いたのだ。

 浮気がバレるまで父は沢野律子さんと十年近く付き合っている。

 その期間の長さが父に注意を怠らせたのではないか。

 今では、ぼくはそう思っている。

 これまでバレなかったのだから、ルーティーンをこなせば、これからもバレないだろう。

 そんな気持ちになっていたに違いない。

 父の浮気を母が知った経緯をぼくは知らない。

 興信所に父の素行を調査させたようだが、まさかそんなことを最愛の息子に話すわけがない。

 ぼくにとってある日突然、母が父に離婚宣言をする。

 父は面食らうが、顔の中に現れた安堵の表情をぼくは見逃さない。

 内心、父はこの日を待っていたのかもしれない。

 しかし本質的に優しい父は自分の浮気と引き換えに、それまで母の我侭を赦していたのだ。

 暫くの間、家庭は揺れるが、結果的に母は離婚を取り下げる。

 自分では気づいていないが、母はそもそもの初めからは父と離婚をする気などなかったのだ。

 母がしたかったのは父への復讐。

 父の自由を奪うこと。

 父の心を自分の方にだけ向けさせること。

 子供のような心理だが、それだけなのだ。

 一時的に、それは叶う。

 父が反省し、母に尽くす。

 母の機嫌も元に戻る。

 だが、それは見かけのこと。

 あのとき母の態度が父のことが本当に大好きだった結婚当初のものに戻れば後の事態は生じなかったはずだ。

 けれども、それは事実上無理なこと。

 父の顔から笑顔が消える。

 ぼくに対しては力なく笑うが、見ているこちらがそれを笑いとは受け取れない。

 諦めの表情にしか見えないのだ。

 そのうち母の心も変わる。

 夫が信用できないのだから当然、その矛先が子に向かう。

 母がぼくを愛しているのは間違いない。

 そのことは、ぼくだって理解している。

 けれども……。

「どうしたの。深刻な顔をして」

 彼女の声が不意に聞こえる。

「昔のことを思い出していたのかな」

 そう言う彼女の顔に作り笑いはない。

 つるりとした肌にも詮索の陰がない。

「オジサンにとって辛いことを思い出させてしまったのなら御免なさい」

「きみが謝る必要はないよ」

「でも……」

「決心がついたよ。きみの伯母さんの所へ行こう」


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