第16章「星のない夜に」_1
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力の限り挑んだ魔法の壁は気持ちと裏腹に儚くも打ち破られ、球体に飲み込まれた先はといえば光のささない暗黒に包まれた。地面から足が浮き、肌にくる感覚は雲のなかのようで、それとは異なり、体中至る所、「いやな何かが蠢いていた」とわかる。呼吸はできなかった。音も濁る。
顔に、腕と、足先と、とてつもない恐怖が襲う。助けを求める。永遠と囚われると。
しかし、それも長くは続かなかった。
ヒグルは眠りから覚める。
呼吸が荒い。悪夢にうなされていた。
「やっと目覚めたか」
ヒグルは布団の上で色々と整理する。趣ある建物、どこか見覚えのある壁際に目黒がいる。
「心配したぜ。気分は、どうだ?」
「ここは?」
「ノボリだ。村瀬ウゴウの屋敷。頼み込んだら、ウゴウが匿ってくれた」
彼女は未だに理解できない。『あの後』、どうなったというのか? それに。
「みんなは?」
「俺が目を覚まして、西の森で見つけられたのはお前だけだ」
「――探しに行かないと」
「無理すんな。わかってる。探した。だが、お前だけ。お前だけしかいなかった」
目黒は悔しさを噛み締めていた。見つけられなかった。少しだけとか、適当になどで、粗末に表せられるものではない。ヒグルには彼の態度でそこまで読み取れた。心配なのは、自分だけではない。
事実、彼はなかなか目覚めないヒグルを町ノボリに運び、ウゴウに預けると、その間、その動ける体で(ひとりで)自身が目覚めた場所からできる限り漏れがないよう仲間を探し回っている。生きていてくれと願いながら。
「ねえ。あれからどうなったの? わたしたち」
ヒグルは意識を失う前のことを思い出す。「『刀』」と、手元にないと知って焦る。
彼女は次に目黒の顔を見て、気持ちを落ち着かせた。見えていなかっただけで、大事な刀はすぐそばにあった。
間違いない。そこにある。白鈴の刀だ。
「動けるか?」目黒は少し安心したのだろう。縁側のほうへと歩く。
「えっ? うん」
「じゃあ。見ろよ」
彼はそう言って、障子を退かした。
「空がおかしい」
「……なに、これ? ……夜、なの?」
ヒグルは目を疑った。外は、明るい時間帯ではないのだろうとは考えてはいたが。
「これが、『星のない夜』ってやつなんだろうな」
見上げる場所に、星は一つもなかった。大湊の国に移り住んで、暮らして、このような光景を見た経験のある者はいないだろう。夜空一面に光り輝く星々は探せどどこにもなく、吸い込まれそうな空に確認できるのは帯状の赤い光だけである。明らかに星の輝きではない。「川」と表現もできようが、ただの風とも思えない、目で分かる速さでそれは動いている。
「空を見て、こんな気持ちになったのは初めてだ。気味がわりい」
「どうすれば」
火門は、『大湊の化身』の封印を解いたのだろう。でなければ。
私たちは止められなかった。
目黒は何も言わなかった。
ヒグルはもう一度しっかりと「空」を確かめる。こういう時、白鈴なら。
「あいつの意志を無駄にしない」彼は呟いた。「ここにある。あいつらの意志は」
「目黒」
「とにかくだ。ゆっくり休め。腹も減ってるだろ。目を覚ましたことを、ウゴウに伝えてくる」
色々と、隠しきれていない。彼はその場を離れていく。
突然押しかけたにもかかわらず、ウゴウは文句ひとつ言わず親切にしてくれた。食事や風呂を用意するなど、どれもどう伝えるべきか悩むぐらいには感謝の念に堪えない。
我々は太陽を失ったわけだ。聞くまでもない。町ノボリは、今、混乱に陥っているであろう。人に食べ物を振る舞うほどの余裕があるとはとうてい思えない。
平常心を保てるか。
この空を見て、何を思うか。
自棄を起こすか。
中には空を見て、会いたい人を浮かべる者もいるだろう。
身近な話題になる。ヒグルがそうだった。
たとえば、温かい湯に浸かりながら、「白鈴」と口にするほどには。
そうして時間はいくら経てど、この見上げる大空にこれといって変化はない。
「お前が眠っているあいだに空飛ぶ船を見た」
「船?」
火照った身体に風があたる。縁側にいた彼女に、目黒が話しかけた。
彼も縁側で不動の姿勢をとる空を眺める。
「ありゃ大国の船のようにも見えたが」
「それって……。まさか。攻めてきたんじゃ。こんな時に」
「どうだろうな。それにしては、静か過ぎやしねえか? 俺の目には攻撃をしているようには見えなかった。危機感でも覚えたか。それとも、見学にでも来たのかもな」
「『様子見』、じゃなくて?」
星のない夜と不意に浮かんだ大国の船。そこに「救援」という言葉は出てこない。兎にも角にも彼らからしてみれば、望まない最悪の事態でしかなかった。
目黒は考える。「この状況は、他の国からは、どう見えてんだ? 世界中が、まさか、こんなことになってるわけはねえよな」
「たぶんだけど、この現象は、この国のなかだけで起きてる」
空を眺めれば眺めるほど不安に襲われる。規模を把握できない。逃げ場など、私たちにはもうどこにも無いのではないか。
「そう、思いたい」
すると、屋敷内を大きな音を立てて、ウゴウが帰ってきた。彼は少しの間、屋敷を留守にしていた。
ただならぬようす。彼はどうにも慌てている。新しい知らせを得たようだ。
「よかった。いたか」
「なに? どうしたの?」
「お前たち。無理を承知で言う。頼みを聞いてくれるか」
「なんだ? どうした?」
「カシワが危ない」
「カシワが?」
「『カシワが危ない』って、どういうこった」
応援に向かったはずの部隊が道中鬼に襲われた。部隊は壊滅。助太刀を求むカシワに非情にも到着していない。
つまり、追い打ちが加わったかたちだ。
『夜』の影響で、鬼の群れ、その勢いが増している。
ウゴウの話を聞いて、二人は早速カシワへと向かうことになる。




