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千客万来(センキャクバンライ)  作者: つかばアオ
_1の1 鬼を斬る鬼
1/58

第1章「大湊監獄救出作戦」

【まえがき】

 全体の傾向として、暗めのようで明るくもあるものにしようと思う



※もうこれで作品数10作目ぐらいになるのかな。本一冊分ぐらい切りのいいとこまでは書くつもり。それからの続きに関しては、今のところ書く予定はありません。そこで完結。23/03/30


※追記24/09/04 本一冊のつもりが思っていた以上に書いちゃってますね。あと3章ほどで終わり

※追記24/11/04 残すはあと1章


【創作中の作品です。より良い作品とするため書き直しをする可能性があります。通知することなく、掲載をやめる可能性もあります。予めご了承ください。誤字、脱字、思い違いなどありましたら、指摘してもらえると幸いです。】

 ・1



 大湊の城下町は、真昼の賑わいが嘘のように静まり返っていた。人影はまばらに、空には白い月が浮かび、柔らかな光が静けさを導いている。周囲のざわめきが徐々に収まる中、道を歩く者たちは口数を減らしていた。互いに視線を交わすことも少ない。彼らは、今日中に用事を済ませておかないと我慢できなかったのだろう。明日の朝でも構わないのであれば、夜気に触れる必要もない。




 そこは山深く、山々が連なる大湊の国。城下町からも見える、巨大な岩の柱のような山頂には、ひっそりと監獄が佇んでいた。罪人を幽閉し、時には罰する。立地は確かに異様だが、反逆者や国に抵抗しようとする者たちを収容するにはふさわしい場所といえるだろう。




 この日、やや強めな風、軽いとはいえない重み、経年劣化、いろんな要因で不安定に揺れるつり橋をおっちらと渡る者たちがいた。彼らは、これからその監獄に向かおうとしている。男が一人、女が二人である。




 先頭に立つのはジロテツだった。彼は手軽に作られた橋に向けて、「ぼろいな」と文句をつける。片脚を軽く上げ、足元の隙間をじっと眺めた。橋の揺れが彼の心に不安を呼び起こし、風が彼の髪を乱す。




「こんな場所、さっさと抜けよう」と彼は急いで先を行こうとした。その瞬間、つり橋が大きく揺れた。




「帰りも通るのに」とサモンは冷静に問いかける。彼女の声には不安がなかった。




「イヤなこと言うなよ」と彼は不満を漏らす。




 サモンは彼の返事を受けて、峡谷の静けさに目をやった。月明かりが照らす中、『もう一人』が無事に渡れているか、気になった。




「にしても、二人でなくて正解だったな。まさか人里近くに鬼が出るとは思わなかった」と彼が言う。




「完全に情報不足。ここで出るとか、聞いたことなかったし」とサモンは頷いた。




 つり橋を渡り切るまで、『もう一人』は何も口にしなかった。








 ジロテツは歩みを止め、両手で短銃を握ったまま考え込んでいた。彼の武器は幽鬼に対してあまり効果がない。




「名前は聞いた。名は、白鈴しらすず。じゃ、生まれは?」彼が問いかける。




 (もう一人)その女は目を合わせるが、答えようとはしない。




「大湊、ではないの?」とサモンがからかうように言った。




「お前に聞いたわけじゃねえよ」とジロテツは反論する。彼は、こちらを見る彼女に目を向け、無言の訴えを送る。小さく息を吐く。




「無口だな。これだと、歳を聞いても、答えてくれなさそうだ」と彼が続ける。




「布で、顔が隠れてるからわからない」サモンはわざとらしく観察した。「でも、ひと目見た感じだと、そうだねえ。だけど」




「さっきの身のこなし。ただ者ではなかった。ありゃあ」




「つわもの」




「特別な訓練でも受けてるやつの動きだ。普通の人間がそうそうできるもんではねえ」




「探るの厳禁かもしれないけど」と彼女は間を置く。「もしかして、忍びだったりする?」




 白鈴は何も言わない。身振りすらしなかった。




「この反応からして。忍びではなさそう」とサモンが言う。




「はじめ会ったときは、頼りになるのかねって思ってた。だって、ほら……」




「なに? 言ってみ」




「わかるだろ。ずいぶんと小柄だ。体つき、そこらへんにいる子供とたいして変わらない」




「魔法使いの紹介だよ?」




「だから信用できないんだよな。いや、まて。信用できるのか?」




 彼は銃に目を落とし、息を吸った。個人的な感情は捨てたようだ。




「スマン。ま、なんだ。とにかく、不安なんだ」




 ジロテツはそう言うと、明かりの乏しい夜の山を登り始めた。




 彼女の目には、何かを抱えた深い闇が潜んでいるように見えた。








 その後も、白鈴は素顔を見せることはなかった。鼻と口を隠し、両目だけを外気にさらしている。彼女の得物は刀のようで、言葉数は少なく、その素性を明かさない姿勢から、忍びであると疑われても不思議ではなかった。




 白鈴が後方から離れずに追いかけていると、振り返ったサモンと目が合った。彼女はつり橋の時と同じように、興味深そうな瞳を向けていた。




「これから荒っぽいことするんだから、力を貸してくれると言ってるわけだし、それでいいじゃないの」




「なにも、言ってないだろ」とジロテツが反応する。




「私たちではダメだったんだから、目黒が囮になって捕まってしまったわけで」




 山頂にある牢屋からの救出作戦。潜入しやすい夜中のうちに、『目黒めぐろ延幸のぶゆき』という男を脱出させる。それが、この夜に集まった三人の目的だった。




「報酬が、とにかく欲しいんだよね。それに、よくわからないけど監獄には、あなたの『刀』があるかもしれないんでしょ?」とサモンが続ける。




 白鈴は小さく頷いた。




「あっ、そうだ。じゃ、これならどうだ」とジロテツはひらめいたように、白鈴の股下から上へ視線を移す。「その顔を、見せてもらってもいいか?」




「顔?」とサモンが声を大きくした。「それっ。興味ある。私も見てみたい」




「――見ないほうがいい」と白鈴が冷静に言った。




「は?」




「えっと。『見ないほうがいい』って?」




「ヒグルから、顔は見せないほうがいいと言われた。目にしたところで、お互い得をすることはない」




「それって」ジロテツは言いながら、サモンに目をやる。しかし、彼女も理解できている様子はない。教えてもらえたのは名前だけ、それには理由があるということ。




「どういうことだ?」とジロテツが尋ねる。




 白鈴は返事をためらった。




 すると、なるほどとサモンが指を振った。「わかってないなあ。女性だよ?」




「ああ。そっか。うん。いや、だからなんでだよ」ジロテツは戸惑った。




 




 




「国は、妙な術で、鬼を従えている」「そして、この国は破滅へと向かっている」と彼らは口々に語る。彼らの考えには、少し乱暴なところが感じられた。独善的ではないものの、白鈴にはその印象が強かった。彼らとは出会って数日程度で、仕事として報酬を得られると聞いたため申し出たが、彼らの主張には一理あるようにも思えた。




 この世、うらぶれて見る影もない大湊は幽鬼で溢れている。それは事実だ。しかし、『国が妙な術で鬼を従えている』というのは、確証のない話だった。少なくとも三年前には、そんな話は聞いたことがなかった。




 目黒信幸という男が監獄に幽閉されている理由は、こういうことだった。国のことを調べていたら、へまをして見つかり、捕まった。なんとも間抜けな話だろう。




 とはいえ、彼らはこう言う。「俺たちは目障りだった」と。




 白鈴はその時、彼らに調子を合わせた。「だから、たぶん知られたくない事情があると」




 彼らは「そのとおり」と頷いた。勝手に大湊城の城内に入ったのなら、兵士に捕まってもおかしくない。しかし、場所が場所だけに、事情は複雑だった。




 白鈴は事情を聞いて、疑問に感じるところがあった。目黒が監獄に収容された過程は難しくもなく理解できる。反逆者だ。だが、彼が幽閉されている「正確な場所」は、聞く限りでは少しいびつで特殊な環境のようだった。監獄の。




 侵入者を閉じ込めるだけなら、そんな場所には入れないはずだ。その男は、二度と空を拝めることはないかもしれない。そう、例えばの話になる。憶測だ。彼は見てはいけない物でも見てしまったのではないか。




「いま、大湊の国は、大きい大きい病を抱えている」




 夜になると、突然『巨大な骸骨』が現れる。それはまるで山のようで、大地をゆっくりと移動していく。白鈴はこの話も半信半疑で聞いていた。『巨大な骸骨』、その幽鬼は人を捕まえては、その大きな口で人を食べてしまうらしい。これまでに、どれだけの人が被害に遭ったか。




 しかし、いつからかその幽鬼は、ちっぽけな村でさえ襲わなくなったのだという。だが、城下町や村を離れた者は、逃げ切ること叶わず手で握り潰され食われてしまうらしい。




 夜が明け、朝となると、姿を消す。




 奇妙な話だ。




 




『国が操っている。』




 認めたわけではない。彼らなりの考えがあり、根拠があるというのはわかった。




 








 小高い山を登り、彼らは目指していた監獄に辿り着くと、監視の目を潜り抜けて内部へ侵入した。忍び込むのは難しくなかった。監視は真面目に仕事をしている様子がなく、警戒はしていたものの、状況が彼らに味方していた。




 見回りに見つかるとまずい。ジロテツは行く先を見詰めながら言った。目的の場所があるにもかかわらず、進めない環境に苛立ちを感じているようだった。やるべきことを済ませて早くここを出たいという気持ちが、彼の表情に表れていた(当たり前だ。この場に長く留まりたいと思う者はそうはいないだろう)。




 サモンとは別行動を取っている。彼女には与えられた役目がある。男を救出するにしても、逃げ道を確保しなければならない。考慮すべきことは他にもいろいろとある。




「予定が狂ってしまうな。どうしたものか」とジロテツは見回り二人の行動を窺いながら呟いた。奥へ進みたいが、状況はそれを許さない。




「救出するんだろ? そして、今、騒ぎにはしたくない」と白鈴が隣で問いかけた。




「にしても、見つからないにも限度がある」と彼は小声で応じた。




「私が注意を引く。お前は先に行け」




「いいのか?」




「それが私の仕事だ。すぐに追いかける」




 そう言って彼女は、(何もない)空中から刀を取り出し、彼を近くの物陰に隠れるよう促した。そこにいれば、彼がうっかり発見される心配はない。




「戦っている時も思ったが、その刀……」




「なんだ?」




「いや。なんでもない。頼んだ」




 その場で、彼女が取った二人を誘い込む方法は、「音を立てる」という、わざとらしい手段だった。少しでも頭が回る者なら、明らかに注意を引こうとしているのがわかるだろう。とはいえ、「緊張」というのは非常に便利なものだった。




 白鈴は鞘から刀を抜かず、先端で床を数回突く。聞こえるように音を鳴らした。




 男たちは軽い会話を交わす。「おい、聞こえたか?」




 短機関銃を構える二人は、物音がした方向へ慎重に歩み寄り、安全を確保していく。やがて音の正体を捉えると、彼らは不用意に近付かず、警告を発した。




「止まれ」




「何者だ?」




 背後からジロテツはその場を離れ、振り返りはしない。




「おんな?」




 白鈴は刀を手にしていなかった。男が二人いるが、必要ないと考えたわけではなく、油断させるために持たなかったのだ。もし『武器を持った女』がいれば、彼らは隙を見せようとはしないだろう。不安や恐れを感じさせた時点で、発砲される運命にある。




 白鈴は予兆を見せず、「眠ってろ」と、見回りの二人に飛び掛かった。




 結果として、彼女の作戦は成功した。救出作戦にも支障はないだろう。迅速に見回りを拘束し、影響力を無くす。殺す必要はないと判断した。




 手早く彼らをひと目につかない場所へ運んだ白鈴は、移動を開始し、ジロテツの後を追いかける。行くべき檻まではもうすぐだった。








 長いな。白鈴は階段を下り、もう一階へと進もうとした。




 だが、立ち止まった。人の声が耳に入った。




 女の声だった。用心しながら、障害にならないか確認する。通路の先には老婆がいる。




「逃げ出したスライムか。どうしたものよ」




 老婆は確かにそう言った。こんな荒涼とした場所に、なぜ彼女がいるのかはわからない。手足が拘束されているわけでもなく、その姿から判断するに、罪を犯して捕まったわけではないだろう。処断されたのか。誰がどう見ても、見回りをしている兵士のようには見えなかった。




 白鈴は過去を思い出していた。三年前の出来事が、まるで昨日のことのように鮮明に心に浮かぶ。その後悔は、胸を締め付けるような痛みとなって彼女を襲った。過去の記憶に囚われているうちに、注意は次第に散漫になり、周囲の警戒を怠ってしまった。




 すると、僅かな時間で事態が変わる。女の背後に、長くて黒い影のようなものが渦巻いていた。しいて言うなら、人魂のような動きでそれは浮遊している。




「計画を早めるか」




 女はそう呟き、立ち去っていった。長い黒い影は、蝋燭の火のように消えてしまう。




 白鈴には見覚えのある女だった。だからこそ、昔のことを思い出したのだ。その記憶が、彼女の心に不安を呼び起こす。




 彼女は追いかけようとはしない。――から木田きだ




 急ごう。優先すべきことがある。ジロテツが待っている。彼をここで一人にするのは心配だった。




 




 驚くほど静かな空間が広がっている。山の中では、どれだけ暗くても生き物の気配が感じられた。しかし、ここにはそれがない。大湊のトラツグミの声も聞こえない。建物の内部では人々が目を光らせ、重い武装で歩いていた。ここは最深部ではないが、濁った空気に薬品の香りが混ざり、ひたすらに静寂が支配していた。




 ジロテツが監視を黙らせている。その男は今、静かに眠っている。




「問題なし、か?」ジロテツが尋ねた。




「ああ」




「そいじゃ、手分けして探そうぜ」




 白鈴は通路の先に開けた空間を見つけると、直感的にそちらを選んだ。静けさの中に何かを感じたのだ。




「賑わってる感じもないし。すぐに見つかるだろ」




 彼はそう言って、足取り軽く右側を攻めた。




 ほとんどの檻は空っぽだった。ここは、上の階とは違い、ただの罪人を収容する場所ではない。監視は一人だけのようだ。広場を通り過ぎると、異様なまでに足音が響く。




 賑わっている感じはなし。そのようだ。「ひと」がいたとしても、みんな黙りこくっている。




 白鈴は錠の掛けられた檻を一つ見つけ、ゆっくりと中を覗いた。どれも立派な牢屋のようだが、この中にいる者はどんな人物なのだろう。




 部屋の隅に、男が一人いた。背中を壁に寄せ、膝を曲げて座り込んでいる裸の男だ。両脚は広がり、膝の上に腕を乗せている。目を凝らさなくても、「服」と呼べるものは何も着ていないように見える。




 その光景はまるで「絶望」を表しているかのようだった。男は俯き、ぴくりとも動かない。




 白鈴は声をかける前に、錠の方へ意識を向けた。そして、要領よく話しかける。




「名前は?」




 彼女の声が辺りに響く。しかし、男は聞こえていないのか、石のように動かない。




 彼女は待った。




「ああ? だれだ? 新しい監視か?」




「答えろ」




 うなだれていた男は舌打ちをする。「目黒。目黒信幸。これで満足か」




 この男が。白鈴は思った。




「お前を助けに来た」




「助け? 監視じゃないのか?」




 どうやら彼は「石」ではなかったようだ。




「監視に、見えるか?」




 白鈴と目黒はお互いの顔を見合わせた。目黒は立ち上がり、部屋の奥から格子の方へと歩み寄る。




「おまえ……。ほんとうか。出られるのか?」




 短髪。体が大きく、ごつい感じ。一見、粗野っぽくも見えるが、そうでもない。




 白鈴は「間違いないだろう」と聞いていた特徴と一致させていく。




 彼は体を背けた。「おっと、すまんな。こんな格好で」




「構わない」




 白鈴は、いくつか気になることがあった。




「それより」




「白鈴、そっちはどうだ。見つかったか。こっちは全然ダメだ」




「その声。ジロテツ。お前か」




「おっ。いたか。探したぞ」




「助けって、お前たちだったのか」




「おうよ。感動するだろ。って、なんて格好してんだ? 服は?」




「ねえ。まっ、その格好は、いろいろとあんだ」




「そっか。大変だったみたいだな」




 この場を離れ、彼を探しに行く手間が省けた。あとは、この男を牢屋から出すだけ。




「こりゃあ」とジロテツは周囲を眺め回した。




 白鈴は錠に手をかざす。格子にも障壁が施されている。「普通の檻ではない。魔法だ」




「鍵、がないと開けられそうにないな。解除方法とかわかるか?」




「いや、このくらいなら開けられる」と白鈴はそっと刀を取り出した。




「ほんとか? じゃあ、任せるぞ」




 錠さえどうにかすれば、なんとかなるだろう。手元に「鍵」があれば、楽ではある。




「えっと、それは、大丈夫、なのか?」目黒は、不安に襲われている。これから何が起こるのか、彼には虫の知らせがあるようだ。




「鍵を壊すだけだ」と彼女は言い、間を置く。「怪我したくなければ、下がっていろ」




「おいおい……。それなら、なにか服を探してきてくんねえか。さっすがに、『このまま』、っつうわけにはよ」




「わかった。待ってろ。仮に気に入らなくても、文句はつけるなよ」




 ジロテツは広場の方へと走り出した。そんなものがないと告げないあたり、彼には当てでもあるのかもしれない。




「お前、名前は?」




「白鈴」




「そうか。ありがとな。ここまで」




 白鈴は刀を鞘から抜き、両手でしっかりと握る。彼女の視線は対象に集中し、緊張感が漂っていた。目黒は警告どおり奥の方へと移動し、近くで見物する気はなさそうだ。




「集中してるとこ邪魔しちゃあ悪い。一ついいか? 『覚悟』とか、必要か?」




「いらない。一瞬だ」




「お、おう」




 彼女は深く息を吸い、吐き、腕を高く上げる。刀が美しく構えられた。




 刀が振り下ろされ、その瞬間、空気を切り裂く音が響く。




 目黒が不安そうに尋ねる。手応えが感じられないように見えた。「終わったのか?」




「終わった。出られるぞ」




「なんだ。ビビッて損しただろうが」ああと目黒は大きく溜息を吐く。




 白鈴はその場の空気を和らげるように言った。「なにも起こらなくてよかったな」




「あったのかよ。可能性が」




 その時、ジロテツがすぐに服にできそうなものを持ってきた。探すのには苦労しなかったのだろう。目の前にあるのは、囚人服だった。




 目黒は裸のままではいられないと、急いで服を着ようとする。これまでも堂々とした態度を見せていたが、羞恥は覚えていたらしい。




「いやあ、助かった。まだ喜ぶには早いが、これは命の恩人ってやつだな」




「ホント早えよ。せめて、こっから、出てからだろ?」




「で、誰なんだ?」目黒はジロテツに問いかける。




「あ?」




「名前は聞いた。それに、申し分ない」




「ああ、助っ人。魔法使いの紹介」




「ヒグルの紹介?」




「ああ」




「そうなのか」と彼は次に白鈴に問いかける。彼女は何も答えず、言わなくてもそれが伝わるだろうと考えた。




 目黒はじっと彼女を見つめ、何かを考える。「おい、ちょっと、顔をよく見せろ」彼には納得できないことがあった。




「お、おい」とジロテツが言う。そして、「ああ、やった」と声を上げる。白鈴は抵抗むなしく顔の布を剥がされてしまった。




 風向きが変わったようだった。緊張感が漂い、両者ともにしばらくは口を開かなかった。




「白鈴、と言ったな? 俺の女になれ」その言葉には、冗談の気配はなかった。目黒の思いが込められていた。




 白鈴はその唐突な告白に驚き、思わず強く突き放した。「――命の恩人にたいして言う言葉か、バカモノめ」




 小さな頭、小さな体が背を向け、離れていく。心の中には混乱と怒りが渦巻いていた。




「言っておく。あいつは俺たちにも、顔を見せたがらなかった。サモンにもだぞ」ジロテツがそう告げた。




 目黒は疑問を抱き、尋ねる。「なんでだ?」




 ジロテツは肩をすくめた。「さあね。こっちも仲間として行動するなら、顔ぐらいは見ておきたかったんだが。しかし、傷でもあんのかと思ってたら、綺麗な顔してるじゃないか」




 白鈴は広場の方で距離を置き、立ち止まっている。布はそのままのようだ。横顔が見える。




「にしても、そんなに怒ることか?」目黒は告白のことを指して尋ねた。




「どうだかな。まっ、さっきまで素っ裸だった男が言う言葉かと思うとな」




 その後、目黒は自分の行動を反省し、申し訳なさそうに謝罪を述べた。強引だったことを自覚している。事情を知らなかったとはいえ、乱暴な振る舞いだったと感じていた。




「気にするな。私も、突然大声を出してすまなかった」彼女は意外にも冷静さを取り戻しているようだった。再び顔を隠すこともなく、話題を切り替えた。牢屋について。




「あれは、普通の檻ではない」




 白鈴は彼が厳重に閉じ込められていた理由が気になっていた。




「どうも俺は、体を、『化け物』に変えられてしまったようでよ」




「……そうか。私もだ」




 その時、周囲に緊張の兆しが走った。




「なにか来る!」と白鈴が警戒して叫んだ。




「ウソだろ」目黒が驚きながら声を上げた。




 白鈴は刀を取り出し、気を引き締める。広場に飛んできたのは、見た目だけで言えば、「かかし」だ。まるで野鳥のように軽やかに空を舞い、優雅に着地した。




「ありゃあどう見ても、人じゃあねえよな」目黒が目を細めて確認する。




「使い魔だな」白鈴は状況を瞬時に把握し、刀を抜いて戦闘の構えを取った。ようこそと目の前に立つ者がいる以上、言葉が通じるとは思えず、穏便に済むとは考えられなかった。




 彼女は一瞬の躊躇もなく、その存在に向かって斬りかかる。しかし、敵を切り捨てることが簡単ではないことを彼女は理解していた。




「先に行け」白鈴はジロテツに伝えた。戦いは長引く可能性が高いだろう。




 図体に似合わず、動きの速い「かかし」だった。両腕らしき部分は人間にとっては使い勝手が悪いはずなのに、器用に振り回している。見た目は「かかし」、中身は「精霊」。だが、その両腕には刀や薙刀の刃が見えていた。




 最初の勢いはどこへやら、白鈴はいつの間にか攻撃を仕掛ける隙を失っていた。それもそのはず、相手の戦い方は非常に効果的だった。戦術が多彩とは言えないが、休む暇を与えず、一方的に攻撃を続けることで、白鈴の反撃の機会を奪っている。




 彼女が「自分を守る」という姿勢は、相手にとって勝利への道だった。白鈴もその意図を理解していた。だからこそ、彼女は距離を取ろうと試みる。このままでは何も進展しないと察していた。




 どうにか相手の動きを止め、わざと離れるように誘導する。




「相手は、ひとりじゃあねえんだぞ」




 次に攻撃に出たのは目黒だった。退いた「かかし」の背後に回り込んだ彼は、拳を握りしめ、相手の頭部を素手で殴りつけた。




 お世辞抜きで、それは力強い一撃だった。彼の一撃は、まさに「殴り飛ばした」という表現がとてつもなく適していた。




「かかし」は体勢を整える前に、追い打ちをかけられてしまう。前方には白鈴が待ち構えていた。彼女はしっかりと構え、踏み込んだ。




 刀が迷いなく振り下ろされ、相手の右腕が床に落ちて音を立てる。




「かわしたか」




 狙いは右腕ではなかった。彼女の思惑通りにはいかなかった。




「十分だと思うぜ。片腕がなければ、これまでのようには動けねえだろ」




「精霊、使い魔が、なぜ監獄にいる?」




 二人が少し話をしていると、戦況が一変する。「かかし」は落ちた右腕を気にしていた。正確には、気にしているように見えた。力無く横たわっていた右腕が、次第に彼と同じく浮遊し始める。




「動かせんのか」




 右腕は躊躇うことなく、気持ちよくもう片方の腕を切り落とした。やっていること、その見た目、不気味としか言いようがない。




「関係ねえってか」




 以前よりも身軽さを感じる「かかし」は、間髪入れずに攻撃を仕掛けようとする。相手の手段が増えたとしても、白鈴は焦ることなく、一振りの刀でそれに応じていた。彼女にとって、やるべきことは変わらない。




「関係ない。攻めるぞ」




 刃と刃が激しくぶつかり合う。




 目黒は先ほど、自分は化け物になったと口にしていたが、実際にこの戦いでその一端を目にすることができた。彼は少し体を切られたり、刺されたりしても、それが大きな痛手とはならなかった。どういった原理なのか、赤黒い煙を出しながら傷が消えていくのが見える。知らないうちに癒えているようだった。痛みを感じているようには見て取れるが。




 目黒は「かかし」の左腕を掴み、素手で胴体を殴った。多少血が流れても、恐れる素振りは見せず、その動きには一瞬のためらいもなかった。彼はとどまることを知らない。




「かかし」は殴られた後、体をわずかに回した。そんなもので終わらせるつもりはなかったのだ。腕の付け根を相手に向け、次の攻撃の準備を整えた。




 たじろがない男の動きを、一瞬でも止めようとする。そこから、太い枝が幾つも生えてきた。目黒は広場の壁へと突き飛ばされる。




「ちきしょう」




 彼は身動きが取れない。大きな隙が生まれていた。そう、「かかし」も思うように動くことはできなかった。




 白鈴はその隙を見逃さなかった。残った右腕を巧みにあしらい、詰め寄る。




「かかし」は逃げない。飛来してきたときから一向に表情らしきものはないので、ただその時を待っているようだった。




 白鈴はあと数歩のところで、背中から刃が突き刺さった。右腕の刃が彼女の体を貫通し、腹から突き出ていた。




 それでも彼女は床に倒れない。




「やれたと思ったか? お前の負けだ」




 手加減などせず、「仕留める」と一太刀浴びせ、使い魔は活動を停止する。急成長した枝は、今度は枯れて細かいクズとなり、飛び散っていく。




 目黒の傷は癒えていた。彼は肩を触り、回してから、何事もなかったかのように広場を歩いた。




 内心では驚愕していた。目の前の光景がその理由だった。




 痛ましいというより、初めて見るものだ。白鈴の体は「人」ではなく、「液体状」になっている。彼女の面影は残っていたが、そこに立っているのは「女」であり、透明度の高い「水」のように見えた。




 目黒は、背中を向けている彼女の頭部から手を見た。彼女の手には、液体状の体とは対照的な鞘が握られていた。その鞘は通常の形を保ち、白鈴の異様な姿を際立たせていた。




「ええっと。ああ……」彼も、さすがに想定外であり。




「すまない。抜いてくれないか?」




「お、おう」




 背中には、右腕が突き刺さったままだった。




「おまえ、そのからだ……」




「言っただろ。私もだ。人の体ではなくなった」




 




 大湊の監獄からの脱出は、使い魔との戦闘を経て、問題なく成功した。ジロテツは「急ぐぞ」と声をかけ、途中で待っていたサモンは白鈴を見て「あれ? 顔」と驚いた。




 柄木田が話していた『スライム』。二人に明かすのは、この時ではない。




 山を下りて、城下町へと目指す。作戦はまだ終わっていない。




 白鈴は山の上から地上を眺め、空飛ぶ船のような「大きな影」を目撃する。




「あれは、なんだ?」と彼女が尋ねる。




「なにって、ありゃあ」と目黒が答える。




「あれが、『がしゃどくろ』」とジロテツが言った。「いると言っただろ」




「大湊を徘徊する、話していた鬼だね」




 あの頃には――。

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