蹴りたい背中
勉強の合間に、久しぶりに読書をした。
前々から読みたいと思っていた綿谷りささんの「蹴りたい背中」を読んだ。最年少の芥川賞受賞作だったけど、堅苦しいような印象はまったく感じなかった。
私も私なりに高校生とか、若さとかを文学に仕立て上げようとしているけど、それを見事にやってのけた作品だったと思う。間違いなく私の心に深く記憶を刻んだ一冊になる。ちょっと短いのが残念だったけど、その分何回でも読みなおせる。
私も作家のはしくれなら、誰かの心を動かす作品を書きたいものだ。
ただ、最近はスランプで……本当に書きたいものが書けていない。この日記もリハビリテーションの一環として始めたものだから、自分でもよく続いていると思う。
それはひとえに読者さんのおかげですから、私はすごく感謝しています。
小説の腕前は、読書量×執筆量 で決まるといわれている。
私はそれにプラスαとしてセンスを加えさせてもらいたい。遺伝子レベルでの得手不得手がある、というのが私の持論だから。
だとすれば、私があのレベルまで達するには寿命を10回ほど繰り返さなければいけないことだろう。追いつけるとは思っていないから気が楽だけど、頑張っても頑張っても到底越えられそうにない壁を見たら、人はどう思うものなのだろうか。
白アリのようにコツコツと壁を崩していくか、その壁が張りぼてだったことに気がつくか、気合いでぶち破るか、ヘリコプターを使うか、向こう側から誰かがやってくるのを待つか、回り道をするのか、それとも地下から攻めるか、自分の背を伸ばすか……とまあ、私の貧弱な想像力ではこのくらいしか思い浮かばない。
私自身がとるだろう道といえば、おそらくがむしゃらな努力などできそうにもないから、隕石でも落ちてこないかと思いながら散歩するのが精いっぱいだろう。
そういえば最近の若者は上昇思考が少ないといわれる。それは単に我々の世代の能力が落ちているだけなのか、それとも競争なんてしたくないという平和な民族に進化しようとしているのだろうか。もしそうだったら嬉しいことだ。
広いサバンナで、ライオンのいない楽園が出来上がる。
きっとどこかで火事が起こるか、宇宙人がやってくるかして崩れてしまうだろうけど。
アダムとイブがリンゴを食べてから、この世界に平穏はない。
争いなんて嫌いだ。
私には宗教というものが到底理解できそうにもないから、それで対立している人たちをみるとひどく滑稽に見える。
お金にしろ、神様にしろ、人間の作りだしたもので殺しあっているのだから、全員が自殺願望を持っているとしか考えられない。
知恵を得た代わりに、どこか大切なねじを落としてしまったのだろうか。リンゴを食べた時に前歯が抜け落ちたのかもしれない。永遠に帰ることのできない楽園に置いてきた落し物は、元には戻らないから。
つまり何が言いたいかというと、私は私だから、のんびりやっていこうということなのである。
とはいっても、私の背中を蹴っ飛ばして前に進みたいのも事実なのですけどね。