あのころの未来に僕らは立っているのかな
サブタイトルでお気づきの方もいるとは思いますが、私はスガシカオが好きです。
「あのころの未来に僕らは立っているのかなぁ……」は夜空ノムコウの一節ですね。
SMAPバージョンより本人が歌っているほうがずっと好きです。
例の陶芸が完成しました!
壊れていなかったのが幸いですね。
ちょっとメインの色が強すぎて、他の色が出なかったのが残念ですが。
びっくりしたのはデッサン。なんと完成品の絵をかけとのこと。「これも成績のうちに入るよ」と脅され、絵の才能なんてこれっぽちもない私は泣く泣く書きました。ようやくできたと思ったら「影をつけて立体感を出して」と注文をつけられ、「おれは本当にダメなんですよ……」と反論したら、笑って一蹴されました。
なんですか? 国宝級の陶芸職人だってきっと絵はへたくそですよ――たぶん。
それから発表会。
説明することは
1、 どうしてこの形にしたのか
2、 失敗した点
3、 成功した点
4、 何の花を挿したいか(いちおう花器ですからね)
そして私の言葉
「えーと、花瓶なら穴が空いていればいいだろうということで、とりあえず穴のある形にしようと思いました。それで砂時計を作ろうとしたんですけど……うんぬんかんぬん」
まあ半分くらいはウケ狙いでやったので(あんまりおもしろくはできなかったですけど)、よくは覚えていません。
みんなレベルが高くてびっくりしました。粘土で作った作品とは思えませぬ。
私は美術に成績なんて期待していませんので、赤点を取らないよう授業態度を良く見せることに全力を注いでいます。
まあ、そんなもんですよね。
才能の壁は越えられそうにありません。
私は完成図をイメージすることがとても苦手。
そこにあるものがどう変化し、化けるのかさっぱり想像がつかないのです。
将来美人になりそうだな、くらいならわかりますけどね。方向音痴なのもその辺に原因があるのかもしれません。
でも、今回わかったことがあります。
未来予想図なんて当てにならないということ。
いくら勉強したって運に見放されることもあれば、遊んでばかりいたって大成することもあるでしょう。
努力に結果はつきものじゃない。
偶然という産物が運命を変えることだってたくさんあるのだ。
大切なのは未来がどうこうではなくて、今がどうかということ。目の前にあるものの将来を考えるより、それが綺麗なのか、心を癒やすものであるのか、なんてことを考えているほうがずっと楽。
ただ、あのころ描いた未来、というのを現実にすることも忘れちゃいけない。
理想が一番なのだから。
プロフェッショナルがしばらくお休みなのが残念。
早く寝て明日に備えよう。