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僕と自分

作者: 山田太郎




誰かを殺したいと、そこまでのことを思ったことはない。


ただ僕は、あまりにも強く人を恐れ、人に絶望している。

ぼくは、その恐怖と絶望と共に育ち、逃げながら生きてきた。


母がおらず、小さい頃から父親に育てられ、その父にも半ば捨てられ、人に対しての信用や期待を全く抱かなくなったことは一つの理由だろう。


しかし、それが今の僕を作るすべてに起因したはずではない。

それは、高校に馴染めなかった頃からだろうか。いや、正しくは馴染む気がなくなった頃からだろうか。


高校入学の頃から人に対する観念が徐々に、変わってしまった。

それまでは、十人並みの学生時代を過ごしていた。

よく考えれば、小学時に先生に対する不信感で不登校になったり、バスケクラブのコーチと他の子のようにうまく関われなかったり、少しの片鱗はあったわけだが、今の僕みたいなはみ出しものではなかった。


実際、高校に入ってから虐められたわけでも、誰かとの仲違いがあったわけでもない。


僕は、空気になろうとして、空気になりきれなかったのだ。


人見知りな僕にとって、高校は難しい集団であった。

小学校、中学校のように、何も考えずに友人が常に周りにいるわけではない。その上、父の再婚の為に、無理矢理と言うべき程強引に遠くの地へといくこととなり、同じ高校に知り合いと呼べる人は一人もいなかった。


そんな僕にとって、高校では意図的に関わっていくしか人間関係が生まれない。同じ境遇でも意図してるつもりの人は少ないのかもしれないが、僕からすれば、その過程全てに、知り合いまたは友人になるまでの意図がある。

一挙手一投足が、相手の価値観による人間価値の篩にかけられている気がして仕方ないのだ。


ただ、そこで僕が出来たことは、言葉遣いや行動に気をつけ篩に落とされないようにすることではなく、その篩の目に怯えて恐怖することだけだ。

その篩は当たり前に持っていて、その篩を殆どの人が分かっていながら意識する事なく、ましてや恐怖することなんてなく生きている様に思う。


それでも僕にも、仲良くなった人は数人いたが、こんな僕がいつまでも仲良くは出来ないだろう。

徐々に僕は誰とも関わらなくなり、手洗い以外席を立たず、一言も喋らない日が当たり前になっていく。


その状況は自分にとって少し楽しみにかける寂しい気持ちもあったが、僕にとって何も苦ではなかったし、過ごしやすい状況とさえ言えた。


しかし、ずっと居心地が悪いのには、もっと前のしょうもなくて小さな大いなる理由があった。

入学当初、僕はルービックキューブの大会で入賞をしたことがある。僕自身SNSをやりはしないのだが、大会運営がその事をTwitterに上げたことで僕はちょっとした有名人となる。


入学当初だったことも大きかっただろう。まだ互いのことを深く知らない時期に、みんながわかる話題性を持った人間として扱われ、その事で声を掛けられたり、教室の外から「あの人だよね」と言う声が聞こえるような好奇心の対象と、高校に入ったばかりの僕はなってしまった。


振り返れば、大して多くの人に興味は持たれていなかっただろう。しかし、人前に立ったり目立ったりするのが苦手な僕の気を、360°囲いきるには十分な好奇心の目の数だ。


ただ、こうして目立つ期間もずっとは続かない。若い好奇心の目は数週間でこちらを向かなくなっていただろう。


だが、僕を囲う目は消えなかった。誰も見ていなく、興味も無いと分かっているはずなのに、僕の過剰な意識が作り上げる人の目が気になって気になって仕方がなくなった。


そうして僕は、空気になろうとして、空気になりきれないのだ。


僕がなりたかった空気と言う意味は、当たり前に在って吸ったり吐いたりして、一々在るかどうかを確認したりすることもないという意味での空気だ。


人と話さず、入学当初以降話題のなかった僕は、そういう意味で言えば空気になれて居ただろう。

しかし、僕が空気になる資格は、一時の話題と周りの目に怯える資性によって手に入れることができないものとなり、僕が僕を空気にせず、僕は学校に行くことが苦痛となる。


空気になれない、してくれない僕は自ら作り出した恐怖に耐えることができなかった。次の日に学校があればまともに睡眠はできず、学校へ行けば僕の他人の目に慄き呼吸が荒くなる。

精神科に行ったこともあったが、人に対する不信感や恐怖心のせいだろうか、先生はつまらない話を聞かされているように見え、渡される薬も僕を助けてくれはしない。


自分を助ける事を出来る人は、僕しかいなかったのだろうけれど、助かろうとすら僕はしてくれない。

結局、高校は続かずに退学することとなる。


それから僕は人と関わらない選択を取り、自分は人と関わらない孤独を感じながらも愛情や友情を感じない生活に深い僕の愛情を覚える。

これが僕にとっての幸せの形だったんだと、そう思う。


もし、自分が逆プロポーズを受けるとして「一緒に幸せになりましょう」と言われたなら自分は、「貴方がいては、それは不可能なのです。ごめんなさい。」そう答える事になってしまうほどに、僕の幸せとは唯一無二であり、自分の幸せは周りから見たら不幸とも言い得ようそんな寂しいものとなっていた。


一体全体僕に逆プロポーズしようと思うまで関係を進められる強者は居るのか、というもっと前に破綻している例え話で、こんな自分を好いてくれる人さえ一生現れないだろうという悲しくも現実的な事を考える。


自分は、ありふれた家族愛や恋心を享受することなく生きていくんだと寂しく思い、僕は、その不幸な感覚に心持ちを良くして、これからの人生を享受していくのだ。


ここで僕は、僕の人生に特定の強い感情を抱く相手が現れなかったことが本当に良かったと思う。

自分の事を愛してくれる人が現れていたら、何かが変わったのかもしれないが、そんな相手が身近に居たならば、未熟な僕は恐怖の感情の処理手段として、その相手に八つ当たりをしていたかもしれないし、特に嫌悪感を覚える相手がいたのならば、遂には、殺めてさえいたかもしれない。


ですから、自分の人生に誰もそういった人が現れなかった事を心の底から歓喜します。


こうして僕は、自分の感情をうまく処理して明日からも明るく生きていこうと、誰かを殺そうと僕の人生で思うことがなくてよかったと、明るい自分の明日のため、自分のため、今日も薬をのみいつもより期待を膨らませ


「今度は助けてね」


と眠りにつくのです。


しかし、寝る前は不安に押し込まれ色々考えてしまうもので、高校の時、自分を僕が空気にして、人の目を気にしない一人の地味な男子高校生をすることが出来ていたら、人に恐怖や絶望せずに、いつかありふれた愛を誰かから初めて貰い、愛おしくもあった孤独に別れを告げて普通に生きていけたのかな、と後悔混じりに思いを巡らせる。


そんな事を考えていると、薬の効果が効いてきて、眠りに落ちゆく自分は、あまりにも存在感が強く、在ると言うべき偽物の空気に、


「あの時の僕だ、今度はしっかり助けてよ」


と伝える。


しかし、返答がないので言いました


「CO対応だな。一酸化炭素だけに(笑)」


と。


僕と自分の違いは僕の気分で変わってしまうほど曖昧なものですごめんなさい。

ちなみに「自分」が人生を直接的かつ完全に悲観的に捉えてる表現はないですけど、一応逆プロポーズの話で、「貴方がいては、それは不可能なのです」のところで

貴方を「恐怖している人」

不可能を「生きていけない」

という意味でもう僕は誰かに恐怖して生きていくのが無理なんだと、そして全体通して少しずつ出している愛に対する寂しさや欲求との葛藤の中最後へと向かいました。

つまんない上に分かりにくくてごめんなさい。

でも、時間は返してあげられませんごめんなさい。

資料集のダリの時計にイタズラして時間変えた事はありますけど現実の時間は変えられないんです。

ちなみにダリの時計ってダリの時計って言う作品名だと思っていたことがありますが

『記憶の固執』という立派な名前があるみたいです。

嫌な記憶に固執した結果あの絵を描いたならあまりの印象強さに死ぬまで記憶が固執しそうですね

嫌な記憶とは限らないですけど

もしかしたら、何も考えずに気持ち悪い時計描いちゃおーって書いたかもしれませんね笑

ちなみに勉強に活用してたことなんですけど、寝る前に覚えたことは強く記憶に残るそうです。

それってつまり嫌な記憶も寝る前に思い出すと記憶に固執していくみたいです。

小さい頃怖い映画見てから寝たらしばらく夜寝れなかった事がありますがもっと早い時間に見てればまだマシだったかもしれませんね笑

なので寝る前は楽しい事か大事な事を考えるに限りますね!

僕も今から寝ますのでこの世で一番好きな猫のことでも考えて寝ます!








にゃんにゃん♫ゴキブリ♬さーだこ♪♪




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