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「希、このトンネルを抜けたらこの話はおしまいにしよう」
右足に体重をかけてアクセルを踏み込む。
しかし、車は加速しない。
アクセルペダルから足を離しても減速しない。
徐々に自分が車に乗っているかすら分からなくなってきた。
ハンドルを握る手に力が入らず両腕をだらんと下げた。それでも車の挙動はそのままで、緩やかなカーブをそのまま走行している。
「希、なにかがおかしい!」
そう言って希が座っているはずの助手席を見ると、そこにいたのはパートナーとなった今の希ではなく、やせ細って髪が傷み肌が病的なまでに白い、私と出会って間もないころの希だった。服装も大人っぽい春のワンピースコーデから、高校の制服に変わっていた。
彼女の瞳孔が開きハイライトが消えていく。
「ねえ、ひーちゃん」
久しぶりにその名前を呼ばれた。
視覚と聴覚からの情報の処理が追い付かない。
「妹になってくれてありがとう」
「何がどうなっているの」
まるで今際の別れのように、悲しみと諦めの感情が伝わってくる。
次にまばたきをした瞬間、また希の姿が変わる。
今度は私たちが同居し始めた頃に色違いで揃えて買った、淡い水色のルームウェアを着ていた。さっきよりも血色がいい。
「瞳」
その声には温もりが籠っていた。
私はかつて自分自身のことが嫌いで、希に名前を呼ばれることすら抵抗を感じていた。瞳扱いではなくひーちゃん扱いをするよう希に訴えていた。
「なに?」
「ひーちゃんじゃなくて瞳のことを好きになっても、私のそばにいてくれてありがとう」
希はひーちゃんになった私ではなく、藤原瞳という人間が好きだと言ってくれた。
私は希のおかげで、大嫌いな自分と向き合うことができた。
かつて勇気がなかった私が、ずっと言えなかったこと。
『私が瞳に戻っても希のそばにいたい。私は希を愛してる』
まだ伝えていなかったことを思い出す。
「私も言いたいことが!」
しかし希は聞く耳を持たなかった。
「瞳は生きて」
そう言った瞬間、私たちが乗った車が真っ二つに割れた。まるで二本組のアイスキャンディーを分けたようにポッキリと。
割れた衝撃で、徐々に隣にいた希が遠ざかっていく。
車輪が二つずつになりながらも止まることなく前進する。
「希!」
体がふわりと浮く。座席や車体は消えてなくなり、トンネルが無重力になる。
見えない力に押されて、宙に浮いたまま錐揉み回転をしながら加速する。
話をする余裕がない。
出口が近いのだろうか、視界が明るくなる。
だけどその先が見えない。
トンネルを出ると同時に体が静止した。慣性が全くなくて現実味の無さが強調される。
トンネルの向こうに広がっていたのは、夕日に照らされた海ではなく、どこまでも真っ白な空間だった。
振り返っても何もなくて、自分が立っているのか浮いているのかさえ分からない。
体が、意識が真っ白になる。
「ああ、そっか」
―――
どうやら私が見ていたのは本当に最悪で、最高の夢だった。
私は希のパートナーとして大人になることは出来ない。
なぜなら、もうすぐ私たちは死ぬのだから。
頭痛、嘔吐、体の痙攣が止まり、幸福に包まれる。
―――
高校一年の夏休み。
私は希を殺して、自分も死ぬことを選んだ。
次回から最終章で、現実世界に戻ります。
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