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―――



 桜が散って、木々は緑になり、晴れ渡る五月晴れが広がっている。


 今年も季節の巡りはじっくりと感じることが出来そうだ。マンションの前の公園でゆうとあやせがおままごとをして遊んでいる。その様子を希と深森さんの奥さん、もといあやせママと三人で眺めていた。


 何年後かの未来から振り返るのであれば、子どもの成長というのは光の矢のように瞬く間に過ぎていくものだろうけど、今の私たちは一日一日が宝物であり、戦いだった。

 朝は朝食と昼食の準備。希を見送って、ゆうを保育園へ連れて行き、職場に行って、あれをしてこれをして。


 ぼんやり気を抜いていると、隣に座る希が私に話しかけた。


「瞳疲れてる?今日はゆっくり休みなよ。晩ご飯作ろうか?」

「希だって働いてるし、もうしばらくは休みだからいいよ、ありがと。あと料理はダメ」

「えぇ」


 私たちのやり取りを見て、あやせママは柔らかく微笑んだ。


 あやせママは私たちより結構年上で、身の上話や相談事もできるほど心を許す存在になっていた。彼女は私たちをあまり特別扱いしない。かといって気を使っているようでもなく、女性同士の子育てに興味を示すこともある。


「ねえ、のちゃんとひちゃん。二人で旅行に行って来たら?」


 あやせママは、ゆうがそう呼ぶように、希をのちゃん、私をひちゃんと呼ぶ。


「ちょっと急だけど、ゆうちゃんをしばらく家で預かるから、どこかへいってらっしゃいな」


 今日はゴールデンウィークの初日だった。

 二人で顔を見合わせると、自然と肩の力が抜けた。


「それじゃお言葉に甘えて」





 観光地はもう宿の予約が難しいから、行き先は漠然と、気の赴くままに旅に出ることにした。


「希、どこに行きたい?」

「海を見たいな」


 ゆうを深森家に預け、ろくな準備もせずに家を飛び出した。まるで近所を散歩するかのように、二人で手を繋いで玄関の鍵を閉めた。


「運転しようか?」

「いや、私がするよ」


 二人暮らしを始めた頃に購入した自家用車には気づいた頃には後部座席にチャイルドシートが一台。ゆうは来年で小学生で、それももうすぐ必要なくなる。


 珍しく希がハンドルを握る。シートを大分前にスライドさせ、バックミラーの位置を調節した。

 希も久しぶりに二人きりになってワクワクしているようだ。サイドブレーキを解除したタイミングでハンドルを握る右手を離し、上方に伸ばした。


「出発進行!」

「おー!」


 若々しい掛け声に触発され、私も気持ちを若々しくさせる。自然と笑みがこぼれた。



 高速道路は使わず、下道を制限速度より少し早いぐらいのスピードで進む。流れゆく景色は通勤電車から見るそれよりも当然ゆっくりで、その分時間の流れもゆっくりになったかのように感じた。


 市街地を離れ郊外へ、そして田園地帯に入る。目に入る景色は緑が多くなってくる。前方にそびえ立っている山を越えると海の見える町へ出るはずだ。

 助手席の窓を開けると、植物や土の香りが混ざった五月の暖気が鼻孔をくすぐる。車の走行音に加えて鳥の鳴き声や風に揺られ木々の葉が擦れる音が聞こえる。




 山のふもとで一旦道路わきに車を停めて飲み物を買うことにした。年季の入った自販機で缶のアイスココアを購入する。


「ねえ瞳」


 希は自分の分を購入する前に私に話しかけた。


「なに?」

「これからどこに行こっか」

「海を見に行くんでしょ」


 ガコンと自販機が音を立て、ペットボトルの緑茶が希の手に収まる。


「海を見た後だよ」

「んー、どこでもいいかな。海沿いを走って、行けるところまで行くの」


 希と二人で海を見ながらドライブをする。想像するだけで楽しくなった。


 窓は全開にしよう。きっと心地いい潮風が私たちを包んでくれるだろう。

 現在地から山の向こう側までの時間を逆算すると、ちょうど海に沈む夕日も見ることが出来そうだった。


「今度は私が運転するよ」


 期待に胸を膨らませ再び車を発進させる。

 少し山道を登ったところでトンネルの入り口に差し掛かった。片手でスイッチを操作し運転席と助手席の窓を閉めると車内は静寂に包まれた。


「ねえ瞳」

「どうしたの」


 トンネルの中を走っているにしては窓を閉めているにしてもやけに静かで、希の声だけがはっきりと聞こえる。まるで脳内に直接語りかけられているみたいだった。


「夢みたいだね」

「だね。急だったけど二人きりになれるなんて。深森さんには感謝しなきゃ」

「それも、そうなんだけど」


 トンネル内の照明が奥へ進むほど薄まっていく。先はカーブしていて出口が見えない。


 希は私とは違う夢を見ているみたいだ。その真意を探るため希の顔を見たいけど、安全運転のために横を向くのをはばかられる。


「だけど?」

「こんなに幸せになっていいのかなって」


 言葉選びが妙だなと思った。その違和感を振り払うように、はつらつと明るく返事をする。


「いいに決まってるじゃん」

「でも私は光梨を……」


 希が高校一年生の時、一つ年下の妹、光梨が亡くなった。


 死因は電車に轢かれての事故死。目撃者もいる。踏切に不具合があって、電車が来るのを知らせることが出来ず、それに気づかなかった彼女がはねられた。


 一方で、その頃の希は、光梨に「アイしているから」と暴力を振るっていたらしい。希は光梨を殺してしまったと、あれからもうすぐ二十年経とうとしている今でも口にする。


「暴力って、結局は何回かだけだったんでしょ」


 彼女が言うには日常的に振るっていたわけではなかったらしい。


「のんちゃんとひーちゃんで、二人で暮らしてきたんでしょ」

「それも、そうなんだけど」

「だけど?」

「こんなに幸せになっていいのかなって」


 さっきも全く同じ言葉を聞いた。


「いいに決まってるじゃん」

「でも私は自分を許せない。瞳だって傷つけた」

「お互い様でしょ。私だって希を、それだけじゃなくて光梨さんも利用してさ」

「それも、そうなんだけど」


 悪い夢でも見ている気がした。希の言葉がループして前に進まない。

 まるで出口の見えないトンネルの中にいるみたいだった。


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