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のんちゃんは病んでいて、ひーちゃんは壊れてる。  作者: れも
4章 希が瞳をアイするまで
35/68

-35-


 家に帰り部屋の中に入ると、明かりをつけるよりも窓を開けるよりも先に、まず抱き合う。少なくとも数分、長いときは数十分。


「みー。ひーちゃん好き」


 Meヒーチャンスキー。エセ日本語を話す外国人みたいな言葉を、猫を参考にした甘え声で出しながらひーちゃんに抱き着く。猫になりきると、その時は光梨のことを忘れ、代わりで紛い物のひーちゃんでも愛することができた。

 

「はいはい」

「みゃあみゃあ」


 ひーちゃんは私の支えだ。幼いころの「ひーちゃんは私が守る」という誓いはすっかり逆になってしまった。具体的には、今日の夢でも見たあの一件があった時から。


 夏場の帰宅直後の室内はサウナのように熱と湿気を含んでいる。それでも暑さや汗の不快感はシャットアウトし、私の気が済むまでひーちゃんを身に刻む。ひーちゃんの方から離れたことは一日たりともなかった。


 抱き合ったままひーちゃんに話しかける。息を吸うと、私でも光梨でもない女の子の汗の香りがした。


「ひーちゃん、今日は学校どうだった?」

「別にどうってことなかったよ」

彩瀬あやせさんとは何もなかった?」

「朝に挨拶して、休み時間に一回だけお手洗いに行って、昼休みはお弁当を食べた。そういえば今日のお弁当はおいしかった?」


 我が家の食事は全てひーちゃんが作ってくれる。


「今日も世界一おいしかった。午後の授業はちゃんと出た?」


 これは嘘じゃなくて本心だ。ひーちゃんは料理が上手だ。私と共同生活をする前もよく自炊をしていたらしい。家に体重計はないけど、確実に体重が増えてきているのが分かる。


「私は授業をサボったりしないよ。のんちゃんも知っているでしょ」


 嘘。


 ひーちゃんは中学の授業をサボったことはない。だけど高校のひーちゃんは授業をサボったことがある。それも深森みもり彩瀬と一緒に。

 五限の授業中、廊下を歩く二人を教室の内窓から見た時は目を疑った。しばらくした後、体調が悪いと言って教室を飛び出し、一年生の教室へ向かった。途中で通りかかった女子トイレの床が濡れていて、ほんのわずかな量の黒い髪の毛が排水溝の淵に落ちていた。


……母が私たちに暴力を振るった理由は、母が私たちをアイしていたから?まさか。


「……知ってる。授業が終わってからは、いつも通り?」

「うん。気がついたらチャイムが鳴って、のんちゃんが隣にいた」


 藤原瞳という人格はひーちゃんの中には存在せず、藤原瞳でいる間の記憶は残らないことになっているらしい。

 一日をよく振り返ってみると、ひーちゃんが藤原瞳ふじわらひとみとして過ごしているのはお花見部にいるわずかな時間だけだった。

 ありのままの瞳でいる時間は限られていて、ありのままの彼女に近づきたい私はもどかしさを感じていた。不器用にアクションをかけてるけど、「許さない」と言われたことが尾を引いてしまう。


「ところでさ、そろそろ暑いんだけどのんちゃんは平気?」


 私は痛みと暑さへの感覚が鈍い方なのだろう。後は人を思いやるための感性とかも多分鈍い。

 腕の中にいるひーちゃんは水分でブラウスが透けてしまうほど全身から汗を出していた。呼吸が浅く速くなっている。脱水症状になるとまずい。


「もうちょっとそのまま。って言ったら怒る?」

「はぁはぁ、ふぅ。私はのんちゃんの言う通りにする、よ」


 明らかに体に異常をきたす寸前だったから、「うそうそ」と彼女を解放した。ひーちゃんはふらふらとキッチンへ歩いて行き、水を全開で出した。顔を横にして流れ出た水を直接飲んだ後、そのまま下を向いて、首元を冷やしている。

 そのままの姿勢で、水の音にかき消されないよう少し大きな声を出して私に言う。


「待ってて、すぐご飯作るね」


 顔を上げると、濡れた髪先から垂れた水が、更に彼女の肌と服を密着させた。それを気にする素振りは見せず、素早く冷蔵庫から食材を取り揃えていた。


 健気に、私の望む「ひーちゃん」であろうとする彼女を見ると、この関係を終わらせることへの躊躇いが生じる。


 結局この日は別れを切り出すことはできなかった。


 彼女の善意に甘える日々が続く。


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