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彩瀬は私の髪を切り終えた後、美容師がするように私の肩をトントンと叩いてマッサージをした。胸は小さいし運動も勉強も真面目に取り組んでいないから、肩こりとは無縁のはずなのに、やけに気持ちがよかった。
切る前と切った後とでは、毛先の整然さの違いは歴然だった。少し嬉しくて鏡の前で首を回していると、彩瀬は律義に床に散らかったわずかな毛を掃除用のホースから出した水で洗い流していた。
「ありがと」
「ううん、ちょっと楽しかった」
「そんなものなの?」
「そんなものかも」
そう言って彩瀬ははにかむ。
まだ五時間目が始まる時間からはほとんど経っていなかった。トイレから出ると、そのすぐそばの教室から授業を進めている教師の声が聞こえてきた。
少し底の濡れたローファーで歩く二人分の足音がぺたぺたとわずかに響く。どこへ向かうともなくそそくさと速足で廊下を進む。私はサボりを常習していないから背は縮こまって気配を消そうとしているけど、私の後ろに続いて歩く彩瀬は、堂々と胸を張って何事もないように歩いている。不揃いなぺたぺた音は靴底の水気が床に付いているうちに消えていった。
やがて階段までたどり着いて一息つく。
「彩瀬って授業サボっても気にしないタイプ?」
「いや、一回やってみたかったんだ」
「すごく慣れてるように感じた」
「もしかして嫌だった?」
「嫌ではない、と思う」
彩瀬に気遣われると、またしてもふわふわと心が浮きあがる感じがした。一時間にも満たないわずかな勉強をする権利と引き換えに、たった一人の友達と特別な体験ができた。この非日常感は、のんちゃんと一緒に過ごす時間とはまた違った種類のように思った。
後になって分かったのは、その体験はひーちゃんとして味わったものか、藤原瞳として味わったものなのか、その違いがあるということ。
「どこで時間つぶそう」
彩瀬に問いかけると、当の本人は軽い調子で呟く。
「ごめん、決めてないや」
見覚えのある表情だった。
「えぇ……」
そう返しながら、その正体を思い出した。彩瀬が私をデートに誘ったのに行き先を決めていなかったあの時のものだ。
「じゃあ」
この前は学校の外だったけど、今は学校の中にいる。このまま学校の外に飛び出てどこかさまようという考えもよぎった。でもすぐさま、今朝ののんちゃんの「またね」という言葉と、のんちゃんからもらった手の甲の爪の跡を思い出して、校外へ出る選択肢は消えた。
そもそも私はのんちゃんと一緒にいなくちゃいけないはずだったんだけどなあ。学年が違うから仕方がない。
「屋上とか?」
「いいね!」
彩瀬のわくわくとした表情がなんだか面白かった。私もわくわくしているから彩瀬も私を面白がっているといいなと思った。




